殯の森と同じ監督の作品。原作は未読。
一人でどら焼き屋を経営する千太郎だったが、あんがイマイチらしく売れ行きは芳しくない。
そこに徳江という老婆が雇って欲しいと現れ、自らの作ったあんを置いて帰る。
そのあんがすごく美味しかった事から、雇用を決定。
徳江は毎日、店内であんを作る。
餡って実は作った事が無いのだけど、いやー、こんな時間と手間のかかるものだったとは。
どうも千太郎は、けっこう短時間で雑に作っていたらしく、最初驚愕して見ていた。
徳江の餡が好評で、店は繁盛する。
しかしある日、店のオーナーが徳江が元ハンセン病患者で、その施設から来ている事を千太郎に伝え、暗に解雇を勧める。
一日飲んだくれた後、千太郎は彼女を解雇するどころか仕事の範囲を更に広げ、接客も任せるようになった。
しかし手が不自由である事からハンセン病の噂が広まり、店は前以上の閑古鳥に。
感の良い徳江は、何も言わず自ら去ってしまう。
「こちらには非の無いつもりで生きていても、世間の無理解に押しつぶされてしまう事もあります。」
そんな手紙が後から届く。
理不尽な暴力に、長い間曝されてきた事を感じさせる言葉だと思う。
徳江は再び、偏見によって店を追われ、千太郎もオーナーの可愛がっている親戚の息子によって店を追われた。
それでも持たざる者、マイノリティの悲しい末路で終わらず、屋台で一から一人で再出発し、どうやら客が来た様子で終わる千太郎、尊厳を失わず過去を受け入れ前向きに生きる徳江の姿に救われる。
らい予防法が廃止されたのは1996年。
誰もが煌びやかな光を浴びていたとされる時期、「私達も日の当たる社会で生きたい」と願いながら闇に埋もれていた。
彼らの人権が認められたのは、皮肉な事に皆が闇に埋もれた、バブル崩壊後。
前回に記事で、多くの人が憧れてやまないバブル期をディスった。
その続きになるようでしつこいと思うけど、だって「もう一度バブル期を!」とか「経済最優先」「あの頃は良かった」と言ってる勢力が、左右問わず居て、悪いけどそれについてすごくもやもやするんだもの。
多分、というか確実に、徳江さんみたいにゆっくりでも良いから良い物を作るとか、食べに来る女子中学生の話に相槌うったりして客と交流を持つみたいな事、バブル期にどんどん無くなっていったんじゃないかな?
大量消費、大量生産。紛い物でも良いから効率よく作って、とにかく儲ける。ケチつけてくる客は口八丁、手八丁で金を毟れ。
とにかく金稼げれば何でも良い。
今問題になっている下町ボブスレーみたいな企業、珍しくないだろうし、そういうヤクザな価値観がバブル期に肯定され、定着したんじゃないかと思う。
経済最優先!の成れの果てやで。
また、その頃は耐えれば耐える程、金が貰えた。
だからパワハラや性犯罪に耐える事が美徳とされ、生産性があれば許される、そんな価値観が定着したんじゃないかと思う。
金のことしか考えてなかったのではなく、金以外の事で頭がいっぱいなクセに、金の事しか考えていないと思い込んでいたし、そうする事で自分を誤魔化してたんじゃないかと。
今はどんなに頑張っても、耐えても金にならない。それで目を覚ました人がどんどん出てきたのでは。
何を言いたいかというと、道徳・倫理観低いまま経済だけ良くなっても、かえって有害って事。
バブル崩壊後を「失われた20年」と呼ぶらしいが、むしろバブル期に色々と失ったんじゃないの?