「朽木の灯/ムック」レビュー | brilliant-memoriesのブログ

brilliant-memoriesのブログ

ドエルさんでもあり、V系好きのギャ男でもあり、60〜00年代の音楽好きでもある私がお送りするこのブログ。アルバムレビューや自作曲の発表、日常、ブログなどいろんなことをします!

「最近電車に乗っていると陽気の中で眠りにつくことが多く先日初めて寝過ごすという体験をしました。講義は新学期一発目となるので、参加しないと科目そのものを受ける権利を無くすので、かなり焦りましたね。」

 

そんな春真っ盛りになったあるあるエピソードを綴ったところで、皆様、お疲れ様です。いよいよここまでやって参りました。今回は初期ムックの集大成、2004年に世に解き放たれた、いや解き放たれてしまったムックの4thアルバム「朽木の灯」を遂にレビューしようと思います。

 

このアルバムも辛い方には是非とも聴いて欲しいアルバムですが、ここで前もっての警告です。このアルバムは何も知らない生身の状態で飛び込むとかなり危険です。

 

今作の世界を全身全霊で味わうのなら「痛絶」「葬ラ謳」「是空」の単位取得は絶対、更にはミニアルバム「アンティーク」「哀愁」(現在はその2作を合体させた「哀愁のアンティーク」というアルバムがあるのでそっちをオススメします。)も履修しておくべきでしょう。それらのアルバムを全て履修して初期ムックの世界観に慣れていたとしても、これまで以上に精神的に来るので覚悟が必要です。聴いている最中に、本気で辛くなったり、何かが脳裏をよぎったりしてしまったら、一旦視聴をやめることもおすすめします。

 

アルバム「朽木の灯」のポイント

 

・「痛絶」「葬ラ謳」で洗練された内面的な負の世界に「是空」でチャレンジしたヘヴィなサウンド外面に解き放つ表現が入り乱れた過去最凶のアルバムだと思っています。特にサウンド面のヘヴィさには更なる磨きが掛かっておりズッシリと来るこの感覚は楽曲にも新たな幅を持たせています。ここまで完成されてしまうと、改めて完成形を目指して果敢にチャレンジをしていた前作「是空」という存在の重要性と再評価にも繋がるのではないでしょうか。

 

・圧倒的な絶望感に名作「葬ラ謳」と比較し、その絶望度を議論する方々を今でも見かけます。かつて「葬ラ謳」は歌詞によって心身を抉られながら深い森の中を彷徨い最奥地で死んでいくというとレビューしましたが、「朽木の灯」の場合はとにかく絶望に”叩きつけられる”感覚がします。そしてバリエーションも歌詞でココロを抉る意外にも「是空」を得て手に入れた破壊力で物理的に殺しに来たり、楽曲と歌詞のアンバランスさで歪めてきたり、その他を含め様々なパターンで私たちを殺しに掛かってくる感覚がするのです。その点が大きく、私の場合は今作「朽木の灯」に軍配が上がります。

 

それでは、参りましょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

青→シングル曲 黒→アルバム曲)

 

1.「朽木の灯」(作曲:ミヤ)

 

さてこの世界に入る準備はできましたか?まずは自分に纏わり付いた偽りを遮断し、このインストをじっくり聴きましょう。

 

アルバムタイトル。宗教的な香りも感じる不穏な空間に響き渡るキメを意識したバンドサウンドの重圧は、足を踏み入れてはいけない禁忌の世界そのもの。響き渡る群衆達の手拍子は、まもなくこの世界に足を踏み入れようとする私たちを祝福しているのか、哀れんでいるのか、果たしてどちらなのでしょうね。

 

この先、ここには戻って来れないかもしれません。それでもこの先へ進む覚悟はできましたか?それでは2曲目へ参りましょう。

 

2.「誰も居ない家」(作詞:逹瑯 作曲:ミヤ)

 

前作「是空」で追求したヘヴィさを満遍なく注ぎ込んだナンバー。荒々しさを得た弦楽器隊のユニゾンが生み出すリフと迫力を増した音圧に殴り殺されます。インストを抜けてこの世界に足を踏み入れてしまった私たちを絶望のどん底に叩きつけるのにピッタリの楽曲と言えるでしょう。この流れもあの「葬ラ謳」を思い出させますが、同時に絶望に”叩きつけられる”という新しい感覚も襲ってきます。

 

鍵っ子である幼き主人公にのしかかる環境と当たり前のように纏わりつく生々しくリアルな孤独感を綴った歌詞が私たちの心の孤独を抉ります。「ほんの少しだけ必要とされていた記憶をください」という部分から、主人公はどれくらいの親と会えていないのか、親はどこで何をしているのか、更には歌詞では明かされなかった「家庭の事情」まで考察するとさらに後味が悪くなります。

 

3.「遺書」(作詞:ミヤ 作曲:ミヤ)

 

名曲。叩きつけられた先でさらなる絶望に叩きつけられます。が、この締め付けられる感覚は一体。とても辛くて苦しいんだけど、どこか似たような私たちに寄り添ってくれているようで温かい。ズッシリと来るヘヴィなサウンドに乗る歌謡曲独特の哀愁漂うメロディライン、ミクスチャー要素、歌詞に綴られた人間と楽曲に描かれた世界観のリンク。かつてムックの曲の中で同じいじめをテーマにした「スイミン」を遥かに凌駕する、初期ムックの特徴がこれでもかと凝縮された名曲です。(この名曲をシングルカットしないところがムックらしいですね。)

 

いじめを受けて自殺直前の主人公溜まりに溜まった負の感情が最後の大爆発。生き地獄の毎日、自分の心を殺した人間に対する根強い怨念、そんな自分に偽善者共が投げかける「うわべだけの前向き」に対する否定、そして死んだ人間に対するマスメディアへの怒り、何もかもが信用できなくなってしまった今、視界に入る全てのモノに中指を立てながら死んでいく姿が映ります。

 

「みんなうわべだけの前向きをありがとう、簡単に悲しいふりして笑ってるお前らが死ぬほど嫌いです。」

 

「僕にとって生きること、それはお前らにとっての死ぬことで、感情の塊が今日も僕を押しつぶす」

 

こちらは1番サビの歌詞ですが、いじめられた主人公とは違う環境にいるはずなのにとても他人事とは思えない、楽曲の世界に自身が映っているような気がして震えました。誇張なしで一言一句全てのリリックが心の内核に深く深く突き刺さるので、特に辛いという感情を抱えている方に聴いて欲しいです。

 

あまりの圧倒さに人によってはここで「葬ラ謳」を越えた何かがこのアルバムにあると身構えた人もいるでしょう。私もその一人です。

 

4.「未完の絵画」(作詞:ミヤ 作曲:ミヤ)

 

さて、早くもクライマックスのようなエグい名曲が来てしまいましたが、勢いをそのままに現れたのはワルツの姿をした歌謡曲ナンバー。負の大嵐に殴られながら退廃的な世界を黙々と進行していき、サビで果たせぬ魂の叫びが大爆発するこの展開は名曲「君に幸あれ」を思い出しますね。負のどん底に落ちた人間をここまで生々しく演じる逹瑯の表現力に圧倒されます。ラストの遠吠えはもはや怨念ですよこれ、禍々しく轟いているのが溜まらないですね。

 

歌詞には夢を叶えることが出来ず、羽を引きちぎられ堕ちていった主人公が映ります。堕ちた先の世界で主人公に待ち受けていたのは孤独と自戒の日々だったということ。もう再び歩くことの出来ないであろう主人公の「最期」がここだとするならば、あまり辛いです。タイトルの「未完の絵画」を「出来損ないの人生」という自戒の日々の中で生まれた結論という意味でつけたのならば、マジで天才だと思いました。今でも「夢を追いかける人々への応援ソング」は度々耳にしますが、この曲にはその応援ソングの陰にある、見事なまでに隠れされてしまった「現実」が綴られている気します。

 

5.「濁空」(作詞:ミヤ 作曲:ミヤ)

 

一変して、前作「是空」の血を引き継いだような殺伐としたヘヴィさで荒々しく爆走するナンバー。この曲と次の曲は音圧の破壊力で「物理的に殺しにかかる」楽曲達です。イントロやサビではメンバー全員がキメを意識した音を奏でることによって生まれる音塊に殴り殺されます。一転して、Aメロは16分のカッティングをザクザクと刻むギター、スラップをかますベース、暴れる弦楽器隊をしっかり支えるドラム、そしてミクスチャー要素を含んだボーカルときった各パートが自由にアピールしているのが面白いです。メンバー全員がそれぞれのパートに責任を持って取り組み、メンバー同士厚い信頼があるからこそできる業ですよね。

 

歌詞は社会へ向けて絶叫するリリックが特徴ですが、この現実に生きる者、見渡す人間全てに中指を立てる様がマジで容赦ないです。ですが、このアルバムを頭から聴いてきた流れでこの曲を聴いたら思わず二ヤリと薄気色悪い微笑を浮かべてしまうのでは?、今回は絶望を叩きつける役割は楽曲の方に一任し、歌詞は此処へ降ってきた壊れた私達の心を見事に代弁してくれているような気がします。

 

6.「幻燈讃歌」(作詞:ミヤ 作曲:ミヤ)

 

こちらも「是空」の血を引き継いだゴリッゴリのヘヴィなナンバー。ギターとベースと荒々しいリフと同化して更なる破壊力を与えるドラム、そしてそれに負けないぐらいの迫力があるボーカルが一体化したA.Bメロは見事に各楽器が存分にアピールしていた前曲のAメロの対をいくような感じがして、メンバーの演奏力の高さを感じます。一転して気に開放的になるサビは雲が晴れて紅い宙が広がる光景。改めてこの世界に逃げ場が無いことの現実の再確認と音圧に2度抹殺されましょう。

 

今回は絶望を叩きつける役割は楽曲の方に一任し、前半こそ夢を見ることそのものへの皮肉から始まりますが、その後は夢に敗れて崩れ落ちてしまった者を抱擁する歌詞が光ります。なお、「幻燈」とは300年前に発売されたいわゆる、プロジェクターの原型でもある投影装置のことを指すようですよ。

 

7.「暁闇」(作詞:逹瑯 作曲:YUKKE)

 

楽曲の方はYUKKE作曲と言うことで、いかにも歌謡曲らしくてメロディアスな歌メロが光るナンバーとなっております。儚いギターのアルペジオの音色が舞う静かなゾーンとズッシリと抉るヘヴィなゾーンが切り替わる曲の展開が、報われることの無い人生と、壊れた私達のココロを表現しているように感じます。

 

歌詞は絶望のどん底にて、もう救われることのないと悟った人生をこの手で終わらせて、来世の人生に祈る主人公が映ります。締めの「明日、天気になれ」という言葉こそ、この主人公の「最期の言葉」なのかもしれません。タイトルの「暁闇」は(あかつきやみ)と読み、月が消え太陽が昇るまでの真っ暗な闇を指すとのこと。主人公にとっては死ぬことよって、やっと長かった夜が終わり、太陽が昇るということなのでしょう。「この辛い世の中で生き地獄をみるなら、いっそ死んでしまった方がいい...。」私たちが現実で生きる上で、必死に押し殺している本音をピンポイントで突いてくるのが、恐るべしムック。

 

このアルバムの前半戦を締めくくるのに相応しい壮絶なバッドエンドでしたが、もしかしたら私たちもこの主人公と同じような終焉を迎えるのかもしれません。

 

8.「2.07」(作曲:ミヤ)

 

前半戦を終え、境界線へ。タイトル通り「2分7秒」で終わるインストでございます。怒濤の前半戦にて、絶望に叩きつけられ叩きつけられ叩きつけられボロボロになった私たちを待ち受けていたのは、不協和音のギターとブレイクビーツが奏でられる不安定な世界とその後の容赦ないヘヴィな世界が交互に交わり合って待ち構えています。箸休めゾーンかと思いきや、さらなる絶望への序章に過ぎなかったという事実、無機質に心臓が抉られていよいよアルバムは後半戦へ突入です。

 

9.「ガロ」(作詞:逹瑯 作曲:ミヤ)

 

後半戦スタート。ベースリフが核となり、ネジが狂ったかのように疾走する3分間、個人的には当時のムックにはかなり珍しく王道のV系らしさを感じさせるダークロックなナンバーだなと思いました。しかしながらソコに乗ったのは行き場の無い苦しみ。逃れられない暗黒の世界にて、今度は楽曲と歌詞のギャップが生み出す歪みが私たちを更なる地獄へ叩きつけます。

 

個人的にはガロと聴くと「学生街の喫茶店」の方を連想してしまいますが、恐らく「牙狼」から取られていると思われます。前作収録曲「蘭鋳」では自我を忘れた自身の事を「犬畜生」を自虐していましたね。この歌詞も狼として成り上がっていくはずが、簡単に牙を折られ世間に飼い慣らされた飼い犬に成り下がった自己を自虐しており、鎖につながれ縛り付けられた状態から脱走という即ちこの現実から逃げたいという心の悲鳴の核心をついたリリックが炸裂します。

 

10.「悲シミノ果テ」(作詞:ミヤ 作曲:ミヤ)

 

スッと耳に入るメロディアスなメロディラインが印象的、歌謡曲のような世界観とヘヴィなサウンドが一体化したこの混沌はどこか私たちの心の中と似ていますね、展開によっての強弱のメリハリや閉鎖的な空間からサビの開放感、Aメロは1番2番とでリズムの変化、2番では禍々しく響き渡るコーラスしか無いといったチャレンジしている見所も多いです。

 

歌詞には夢を失いひとりぼっちになってしまった自己を歌っています。この曲1曲で単体で観てみると確かに「いつか心から笑える日が来る」の部分から応援歌にも聞こえますが、このアルバム全体の中の1曲としてみると、逃げ場の無い絶望の底からどうせ来ないのを薄々と分かっていながらも必死に自分を鼓舞している状況に見えてしまい、生きる理由を見つけるために消えかけている灯火を必死に守っている姿が余りに辛いです。その灯火もそのうち消えてしまい...。嗚呼....。

 

ドラマやアニメのエンディングっぽい曲調で「悲シミノ果テ」というタイトルですが、絶望はまだまだ続きます。さぁ、この世界の最下層へ向けて溺れていきましょう。

 

11.「路地裏 君と僕へ」(作詞:逹瑯 作曲:ミヤ)

 

7thシングル。満を持してのシングル曲登場ですが、このアルバムは全てに於ける完成度が凄く高いので、「シングルだから完成度が特別飛び抜けている」という印象は無いですね。イントロのギターはピッチシフターとディレイを施した独特な音色から始まり、そこからズッシリとしたヘヴィな絶望で固められた暗黒の世界が姿を現します。ヘヴィなサウンドの中でつ不安定の漂うメロディラインが印象的、ミクスチャー要素も出てきますよ。この世界の中を禍々しく響き渡る逹瑯の表現力の高さに改めて圧倒されます。

 

相変わらず、シングルとは思えないほどの重苦しさですが、今度はムック自身が受けた痛みがドス黒い雨と化しこの絶望の世界に降り注ぎます。歌詞はメジャーデビューした自分たちが今何をするべきかについて綴られていますね。バンドをやっている人間ならほぼ全員が憧れるメジャーの世界ですが、いざデビューしてみるとこれまでにやっていた音楽が否定されて、メジャー使用の楽曲を制作させられることが余儀なくされたり、かなり複雑で混沌に満ちあふれていました。その世界の中で葛藤に葛藤を重ねるムックのメンバー達が映ります。特に(こう断言するのはアレですが、)キラキラとした幸せが溢れた楽曲が並ぶメジャーの世界とは真逆の負の世界の住民として活動していたバンドですから、余計に色々口出しされたのは、私でも用意に想像できます。ムック自身もそれに気づいていたからこその、派手にアピールをしないひっそりとしたメジャーデビューをしたのではないのかなと思います。だって、メジャーデビューして心の奥底から嬉しいならデビューシングルに「商業思想狂時代考偲曲」なんて収録しないですもんね。

 

メジャーという煌びやかな大都会にドス黒い大雨が降り注ぐ中、かつての自分たちを思い出せる路地裏にて、これまでとは逆に私達に対してムックが助けを求めている感じがするのです。絶望を叩きつけられているのが私達だけでは無く、ムックのメンバー達も一緒だったということに改めて気づかされる楽曲でもありました。シングルになったのも納得です。

 

12.「溺れる魚」(作詞:逹瑯 作曲:逹瑯)

 

逹瑯のアコースティックでフォーキーなナンバー。中盤まではアコギとボーカルのみの弾き語りスタイルで進行していき、その後バンドサウンドが合流します。音づくりも歪ませて見るからにダークなバンドサウンドの合流ですが、メロディラインの聴きやすさの影響なのか他の楽曲に比べて、かなりポップな印象がありますね。この世界を大きな水槽に例え、私達は水槽に飼われた魚。最初は澄んでいた水槽の中も徐々に濁っていき、やがては生活できない環境になり死んでいくという経過を「夢への敗北」に例えたリリックが乗ることで、見事に楽曲にしてしまいました。

 

個人的には、この曲を初めて聴いた時に思った「闇堕ちしたつじあやの」ってイメージが今も抜けません()。

 

13.「名も無き夢」(作詞:逹瑯 作曲:ミヤ)

 

当時のトレンドだった青春パンクを取り入れたナンバー。逃れられない暗黒の世界で叩きつけられてボロボロになった私たちの前に一筋の光が差し込みます。爽快感のある駆けるバンドサウンド、全てがサビのようなキャッチーなメロディライン、(でも、途中で変拍子やリズムを変えたり展開を入れ込むのは流石ムック)、そして、私達の背中を押す歌詞、

 

背中を押す歌詞....

 

背中を押す歌詞...!?

 

そうなんです。今回の歌詞は夢に破れた私達の背中を押してくれる応援歌のような歌詞が乗ります。曲調もメジャーキーの青春パンクなので、感じるアオハル観もそのもの。数ある初期ムックの楽曲の中でも異例中の異例の楽曲です。

 

かつての「前へ」とは違い、「嘆き鳥と道化人」のように前向きに振り切ったので、1曲だけ明らかに浮いていますが、ここまで振り切ったからこそ、その後の過去最大の楽曲への前フリでもあり、一瞬、救われたと油断させる巧妙なトリックですね。今、改めて観てみると中期以降のムックの伏線にもなっている気がしました。

 

14.「モノクロの景色」(作詞:逹瑯 作曲:YUKKE・ミヤ)

 

8thシングル。YUKKEとミヤの共作ですが、YUKKEにとっては初めてのシングル採用曲となります。ということは、YUKKEがお得意としてる歌謡曲感が漂うナンバーの登場です。特にクリーンギターの優しさとディストーションギターのヘヴィさが展開ごとに姿を変えて襲いかかってくるので、静かになったり、荒々しくなったりと世界観の変化が激しいです。相変わらず世界観は重ためですが、メジャーデビューしてからこれまでに出した2曲に比べると、シングルとして求められるメロディラインのキャッチーさがこのシングルにはあるように思います。

 

歌詞は色鮮やかな青春時代を終えてモノクロに落ちていく様を描いており、早速、前曲で魅せた希望を粉々に遮断しました。あの頃は夢や憧れが沢山在ったけれど、年を取っていくうちにそれは叶わないものだったという現実が突きつけられますが、モノクロの景色になっても未来を描くことが出来るという僅かながらの希望が残っているの部分が、いかに「名も無き夢」が明るすぎたのかを物語ります。

 

15.「朽木の塔」(作詞:逹瑯 作曲:ミヤ)

 

「...。」

 

 

 

 

「.....。」

 

 

 

 

「......。」

 

 

 

 

やって参りました、此処がどこまでも果てしない絶望の最下層。11分にも及ぶ朽ちる寸前の私たちをオーバーキルする究極に凝縮された負を注ぎ込んだトドメの一撃。追求し続けたヘヴィさはドゥームメタルに変貌し、キメを合わせた圧倒的な破壊力と、心臓を抉リ抜く歌詞、この世の全ての負を注ぎ込んだムック史上最凶の楽曲です。特に全2曲の前フリもあり、その摩擦から生まれる破壊力は尋常じゃ無いです。

 

前作「是空」収録されたミヤから逹瑯へ向けて書かれた「茫然自失」という楽曲、それに対して逹瑯からミヤ、そしてメンバーへ向けたアンサーソングとなります。前回是空のレビューにて、なぜミヤが逹瑯へ向けてあのような歌詞を書いたのか予想しましたが、この懺悔に満ち溢れた歌詞を見てみるとその予想を遥かに超える不協和音がムックのなかで起きていたのでしょう。

 

そして、逹瑯の表現力も大覚醒...なんて言葉も生ぬるい、とにかく言葉には表せないほどの圧倒的な表現力。自分の贖罪を綴ったからというのも大きいのかも知れませんが、壊れそうな歌声から後半に進むに連れ泣き叫ぶように震わせたり、禍々しく響き渡る全身全霊の大絶叫や孤独の中を1人で彷徨うようなアカペラまで存在しており、ひれ伏し、粉々になってもなお、許しと救いを乞う圧倒的なボーカルにじっくりと聴き入って、朽ち果てましょう。

 

楽曲自体は8分で終わるのですが、その後は3分にも及ぶ無音な時間があります。大絶叫の残響が響き渡り朽ちていき生まれる空白が示すものは「そして何もいなくなった。。。」そうです、私たちの死地は此処なのです。早い人は「アンティーク」「哀愁」から、迷い込んだ絶望の世界「痛絶」「葬ラ謳」「是空」を越えて辿り着いた今作「朽木の灯」で遂に逃れられない絶望の世界を死ぬことによって完結することが出来たのです。

 

 

この世界には八百万のバンド、そして楽曲が存在しているので、まだ知らないだけなのかもしれませんが、このアルバム以上に人間の心に映る絶望感と陰鬱さを兼ね備え、圧倒的な負を凝縮した名盤を私はまだ知りません。そして、このアルバムの完成により、負の世界の極致を知ったムック自身も負の世界の住民である初期ムックとしての役目は終えたと感じたのでしょう。ここから先の音楽性の変化を観てみるとそう思えます。皆様も初期ムックの世界を巡りに巡り、今ここにいると思いますが、負の世界の住民が生みだしたここまでの大冒険はいかがだったでしょうか。

 

次回はそんな中期ムックのはじまりを告げるアルバム「鵬翼」をレビューしようと思います。どのような変化を遂げるのか楽しみですね。今回もありがとうございました。次回もよろしくお願いします。