熱中時代! 社長編 -9ページ目

Berry Caffe

3月14日! 栃木県佐野市に「Berry Caffe」がオープンします!
栃木県を代表するフルーツ「いちご」やベリー系が大好きなオーナー。ヨーロッパのカフェのように、ふらっとお客様が集えるお店になりたいという願いが込められた「Berry Caffe」さんです。

だから、カフェといっても喫茶店ではないのですよ。飲物は、スープ類です。

「食楽」というコンセプトに、テイクアウトを中心ですが、店内でもお召し上がりいただけるようにスペースを設けます。設計は、異業種交流会でお友達になった小林設計所さんです。社長さんに「Berry Caffe」の運命を委ねて佐野駅前通りに間もなく完成です。

オープンが3月14日とは、オシャレではありませんか。
$熱中時代! 社長編-Berry Caffe 案内
このオープンチラシは、異業種交流会の主催者「リンリンデザインオフィス」さんの鈴木達也社長が手掛けています。

良い感じのロゴも出来上がりましたね。
$熱中時代! 社長編-Berry Caffe LOGO
Berry Caffe
栃木県佐野市若松町189
TEL. 090-2903-5287


小林設計所 公式HP
$熱中時代! 社長編-小林設計所 オフィス
〒327-0005 栃木県佐野市七軒町2214
TEL:0283-22-1370/FAX:0283-22-5352

元アメリカ大統領が日本で最も尊敬する 上杉鷹山とは 

1961年、第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネディは、日本人記者団からこんな質問を受けた。「あなたが、日本で最も尊敬する政治家はだれですか」ケネディはこう答えた。

「上杉鷹山(ようざん)です。」
熱中時代! 社長編-J.F.ケネディ
おそらく日本人記者団の中で上杉鷹山の名を知っている人はいなかっただろう。
鷹山公は江戸時代に米沢藩の藩政建て直しに成功した名政治家で、財政危機に瀕する現代日本にとっても、学ぶべき所が多い。戦前は、小学校の修身教科書にも登場し、青少年に敬愛されてきた人物である。

上杉鷹山とは、どのような人物なのだろうか。そしてなぜケネディは鷹山を尊敬していたのだろうか。

破綻していた藩財政
上杉鷹山は宝暦元(1751)年、日向(宮崎県)高鍋藩主の二男として生まれ、数え年10歳にして米沢藩主上杉重定の養子となった。
熱中時代! 社長編-上杉神社 入口
上杉家は関が原の合戦で石田三成に味方したため、徳川家康により会津120万石から米沢30万石に減封された。さらに3代藩主が跡継ぎを定める前に急死したため、かろうじて家名断絶はまぬがれたものの、さらに半分の15万石に減らされてしまった。

収入は8分の1になったのに、120万石当時の格式を踏襲して、家臣団も出費も削減しなかったので、藩の財政はたちまち傾いた。年間6万両ほどの支出に対し、実際の収入はその半分ほどしかなく、不足分は借金でまかなったため、その総額は11万両と2年分近くに達していた。ちょうど、現代の日本のような深刻な財政破綻におちいっていた。

収入を増やそうと重税を課したので、逃亡する領民も多く、かつての13万人が、重定の代には10万人程度に減少していた。武士達も困窮のあまり「借りたるものを返さず、買いたる物も価を償わず、廉恥を欠き信義を失い」という状態に陥っていた。

熱中時代! 社長編-上杉鷹山

民の父母
受次ぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母鷹山が17歳で第9代米沢藩主となったときの決意を込めた歌である。藩主としての自分の仕事は、父母が子を養うごとく、人民のために尽くすことであるという鷹山の自覚は、徹底したものであった。後に35歳で重定の子治広に家督を譲った時に、次の3カ条を贈った。

これは「伝国の辞」と呼ばれ、上杉家代々の家訓となる。

・ 国家は、先祖より子孫へ伝え候国家にして、我私すべきものにはこれなく候
・ 人民は国家に属したる人民にして、我私すべきものにはこれなく候
・ 国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民にはこれなく候

藩主とは、国家(=藩)と人民を私有するものではなく、「民の父母」としてつくす使命がある、と鷹山は考えていた。
しかし、それは決して民を甘やかすことではない。鷹山は「民の父母」としての根本方針を次の「三助」とした。

・ 自ら助ける、すなわち「自助」
・ 近隣社会が互いに助け合う「互助」
・ 藩政府が手を貸す「扶助」

武士たちの「自助」と「互助」
「自助」の実現のために、鷹山は米作以外の殖産興業を積極的に進めた。寒冷地に適した漆(うるし)や楮(こうぞ)、桑、紅花などの栽培を奨励した。漆の実からは塗料をとり、漆器を作る。楮からは紙を梳き出す。紅花の紅は染料として高く売れる。桑で蚕を飼い、生糸を紡いで絹織物に仕上げる。
熱中時代! 社長編-紅花
鷹山は藩士達にも、自宅の庭でこれらの作物を植え育てることを命じた。武士に百姓の真似をさせるのかと、強い反発もあったが、鷹山自ら率先して、城中で植樹を行ってみせた。この平和の世には、武士も農民の年貢に徒食しているのではなく、「自助」の精神で生産に加わるべきだ、と身をもって示したのである。

やがて、鷹山の改革に共鳴して、下級武士たちの中からは、自ら荒れ地を開墾して、新田開発に取り組む人々も出てきた。家臣の妻子も、養蚕や機織りにたずさわり、働くことの喜びを覚えた。

米沢城外の松川にかかっていた福田橋は、傷みがひどく、大修理が必要であったのに、財政逼迫した藩では修理費が出せずに、そのままになっていた。この福田橋を、ある日、突然二、三十人の侍たちが、肌脱ぎになって修理を始めた。
熱中時代! 社長編-上杉砲術隊

もうすぐ鷹山が参勤交代で、江戸から帰ってくる頃であった。
橋がこのままでは、農民や町人がひどく不便をし、その事で藩主は心を痛めるであろう。それなら、自分たちの無料奉仕で橋を直そう、と下級武士たちが立ち上がったのであった。「侍のくせに、人夫のまねまでして」とせせら笑う声を無視して、武士たちは作業にうちこんだ。
$熱中時代! 社長編-江戸時代の暮らし
やがて江戸から帰ってきた鷹山は、修理なった橋と、そこに集まっていた武士たちを見て、馬から降りた。そして「おまえたちの汗とあぶらがしみこんでいる橋を、とうてい馬に乗っては渡れぬ。」と言って、橋を歩いて渡った。武士たちの感激は言うまでもない。鷹山は、武士たちが自助の精神から、さらに一歩進んで、「農民や町人のために」という互助の精神を実践しはじめたのを何よりも喜んだのである。
熱中時代! 社長編-橋
農民たちの「自助」と「互助」
「互助」の実践として、農民には、五人組、十人組、一村の単位で組合を作り、互いに助け合うことを命じた。特に、孤児、孤老、障害者は、五人組、十人組の中で、養うようにさせた。一村が、火事や水害など大きな災難にあった時は、近隣の四か村が救援すべきことを定めた。
熱中時代! 社長編-鯉
貧しい農村では、働けない老人は厄介者として肩身の狭い思いをしていた。そこで鷹山は老人たちに、米沢の小さな川、池、沼の多い地形を利用した鯉の養殖を勧めた。やがて美しい錦鯉は江戸で飛ぶように売れ始め、老人たちも自ら稼ぎ手として生き甲斐をもつことができるようになった。これも「自助」の一つである。

さらに鷹山は90歳以上の老人をしばしば城中に招いて、料理と金品を振る舞った。子や孫が付き添って世話をすることで、自然に老人を敬う気風が育っていった。父重定の古希(70歳)の祝いには、領内の70歳以上の者738名に酒樽を与えた。31年後、鷹山自身の古希では、その数が4560人に増えていたという。
熱中時代! 社長編-米沢雪灯篭祭り

天明の大飢饉をしのいだ扶助・互助
藩政府による「扶助」は、天明の大飢饉の際に真価を問われた。天明2(1782)年、長雨が春から始まって、冷夏となった。翌3年も同じような天候が続いた。米作は平年の2割程度に落ち込んだ。

鷹山が陣頭指揮をとり、藩政府の動きは素早かった。
熱中時代! 社長編-江戸時代の農業  
・ 藩士、領民の区別なく、一日あたり、男、米3合、女2合5勺の割合で支給し、粥として食べさせる。
・ 酒、酢、豆腐、菓子など、穀物を原料とする品の製造を禁止。
・ 比較的被害の少ない酒田、越後からの米の買い入れた。

鷹山以下、上杉家の全員も、領民と同様、三度の食事は粥とした。それを見習って、富裕な者たちも、貧しい者を競って助けた。

全国300藩で、領民の救援をなしうる備蓄のあったのは、わずかに、紀州、水戸、熊本、米沢の4藩だけであった。
熱中時代! 社長編-江戸時代の農業
近隣の盛岡藩では人口の2割にあたる7万人、人口の多い仙台藩にいたっては、30万人の餓死者、病死者が出たとされているが、米沢藩では、このような扶助、互助の甲斐あって、餓死は一人も出なかった。それだけでなく、鷹山は苦しい中でも、他藩からの難民に藩民同様の保護を命じている。

江戸にも、飢えた民が押し寄せたが、幕府の調べでは、米沢藩出身のものは一人もいなかった、という。

米沢藩の業績は、幕府にも認められ、「美政である」として3度も表彰を受けている。

自助・互助の学校建設
鷹山は、領内の学問振興にも心をくだいた。藩の改革は将来にわたって継続されなければならない。そのための人材を育てる学校がぜひ必要だと考えた。しかし、とてもそれだけの資金はない。

そこで鷹山は、学校建設の趣旨を公表して、広く領内から募金を募った。武士たちの中には、先祖伝来の鎧甲を質に入れてまで、募金に応ずる者がいた。また学校は藩士の子弟だけでなく、農民や商人の子も一緒に学ばせることとしていたので、これらの層からの拠出金が多く集まった。子に未来を託す心情は、武士も庶民も同じだったのである。ここでも、農民を含めた自助・互助の精神が、学校建設を可能としたのである。
熱中時代! 社長編-イザベラ・バード
アジアのアルカデヤ(桃源郷)
イギリスの女流探検家イザベラ・バードは、明治初年に日本を訪れ、いまだ江戸時代の余韻を残す米沢について、次のような印象記を残している。

南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕したというより、鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)である。自力で栄えるこの豊沃な大地は、すべて、それを耕作している人びとの所有するところのものである。・・・・・・美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地域である。山に囲まれ、明るく輝く松川に灌漑されている。どこを見渡しても豊かで美しい農村である。
イザベラ・バードは、この土地がわずか100年前には、住民が困窮のあまり夜逃げをするような所であったことを知っていたかどうか。この桃源郷を作り上げたのは、鷹山の17歳から55年にもおよぶ改革が火をつけた武士・領民たちの自助・互助努力だったのである。

美しく豊かなのは土地だけではない。それを作り出した人々の精神も豊かで美しい。病人や障害者は近隣で面倒をみ、老人を敬い、飢饉では富裕なものが競って、貧しい者を助ける。鷹山の自助、互助、扶助の「三助」の方針が、物質的にも精神的にも美しく豊かな共同体を作り出したのである。
$熱中時代! 社長編-星条旗
ケネディの問いかけ
And so my fellow Americans,
Ask not what your country can do for you.
Ask what you can do for your country.

それゆえ、わが同胞、アメリカ国民よ。
国家があなたに何をしてくれるかを問うのではなく、
あなたが国家に対して何ができるかを自問してほしい。

ケネディ大統領就任演説の中の有名な一節である。国民がみな国家に頼ろうとしたら、国家はもたない。それは社会主義国家の失敗や、福祉国家の行詰りで歴史的にも証明されている。

現代日本の財政危機も、ひたすら景気浮揚のための政府公共投資、福祉充実のための予算膨張と、国民が国からの「扶助」のみに頼ってきたツケがたまりにたまったものだ。国家という共同体が成り立つためには、その構成員が、それぞれ国家のために、お互いのために何かをしよう、という自助と互助の精神が不可欠である。それがあってこそ、国が成り立ち、その中で国民は自由と豊かさを味わうことができる。ケネディが鷹山を尊敬したのは、自助・互助の精神が、豊かで美しい国造りにつながることを実証した政治家であったからであろう。

しかし、我が国の戦後教育は、鷹山公をことさら無視してきた。それは「扶助」のみを訴える戦後の社会主義的風潮からは、「自助・互助」とのバランスをとる鷹山の姿勢は受け入れがたいものがあったからであろう。

財政再建も、また教育や政治の改革も、「自助・互助」の精神の復活が鍵である。それを教えてくれている人物は、我々自身の歴史のすぐ手の届くところにいるのである。
熱中時代! 社長編-上杉鷹山公
参考
小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫)/童門 冬二

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名指導者 上杉鷹山に学ぶ―試練の時 何をすべきか、どこまでやれるか/鈴村 進

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藤沢周平全集〈第24巻〉漆の実のみのる国・短篇拾遺/藤沢 周平

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日本奥地紀行 (東洋文庫 240)/イサベラ・バード

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「三助」のように、我が国の歴史伝統を訪ねれば、そこに明日への革新の理想とエネルギーが見つかる、というのが、我が 国のありがたい所です。

日本「復興の一年」

東日本大震災の発生から、間もなく約1年が経つ。日本が直面している課題は深刻だが、日本は社会構造のレベルで、こうした難問に対処する準備ができていると国際政治学者イアン・ブレマー氏は指摘する。
$熱中時代! 社長編-イアン・ブレマー
イアン・ブレマー 国際政治学者

福島原発危機をもたらした東日本大震災の発生から、間もなく約1年が経つ。日本は広島と長崎への原爆投下以来の危機を経験したといっていいだろう。
$熱中時代! 社長編-東日本大震災
今回の震災では、特に津波により、1万を超える人々が犠牲になっており、最終的な死者数は、震災時に適切な医療を受けられなかった人たちを含めればさらに増える可能性もある。地震後には一時約40万人の大人と一緒に、多くの子どもたちが自宅を離れて避難生活を強いられた。福島第1原子力発電所の事故による放射性物質の影響を受けた地域では、がれきの除去作業などは始まったばかりだ。

こうした災厄はすべて、世界的経済危機や日本の産業減速の最中に降りかかったものであり、日本にとっては過去数十年経験したことのない出来事だった。
$熱中時代! 社長編-福島第一原発
日本は現在、電力供給の柱だった原子力発電が事実上封じられているという事態に対処しなくてはならない。新しい原発建設という概念そのものが言下に退けられる風潮がある中で、電力インフラをどう再構築していくのか。また、いまだに自宅に戻れない多くの人たちの支援を国はどう続けていくのか。避難生活者の多くは、福島原発事故で警戒区域に指定された場所の住民だが、彼らには自宅に戻るという選択肢はないかもしれない。この国が直面している課題は深刻だ。

しかし、これまでの日本の震災への対応は見事と言うほかない。日本人はひたむきに復興に取り組んでおり、それは称賛に値する。自身を泥臭いどじょうに例えた野田佳彦首相が率いる政権もそうだ。日本政府は自衛隊と官僚組織を復旧活動に動員しており、私の知る限り、その取り組みは財界からも評価を得ている。

実際のところ、日本のビジネスリーダーたちは、私が過去何年も見たことがないほど楽観的だ。これから何年先もさらに不安定さが増していく中で、日本は自らが有利な立場にいること、つまりは最悪の事態への準備が出来ている事を知っている。日本経済は品質に力を注ぎ、細部にまで注意を払う。日本社会は老いも若きも大切にし、先進国としてでさえ驚異的な長寿を実現している。震災という大きな試練を経験し、日本のリーダーたちの間には、この国の衝撃に対する耐久力が証明されたという安心感がある。
$熱中時代! 社長編-高齢化社会

国内外の一部には、人口減少の続く日本はもっと移民を受け入れるべきだという議論もある。しかし私は、日本ほどの同質的社会でなければ、震災に同じようには立ち向かえなかったのではないかと思っている。「占拠せよ(Occupy)」と銘打って始まった抗議運動は東京でも行われたが、私が見たときは六本木ヒルズに3人しか集まっていなかった。この国には暴動や略奪が起きやすい下地はないが、それはおそらく、その社会的構造によるものだろう。

日本に改善しなくてはならない分野が1つあるとすれば、イデオロギー的により一貫性があり、より安定した政党を作ることだ。自民党は戦後長らく与党として君臨してきたが、政権交代によって政治システム全体が不安定化し、政党間の終わりなき離合集散プロセスに突入したように見える。与党となった民主党の指導部は党内掌握と政権維持に追われており、今年にも大きな政変により、政党制度がさらに寸断される可能性もある。

日本が取り組まなくてはならないもう1つの大きな課題は、潜在労働力のフル活用、つまりは女性の活用だ。私が今年の世界経済フォーラム(WEF)で米日経済協議会の会合に参加したとき、日本側の幹部は全員男性だった。日本は多くの面で高度化した社会だが、女性への雇用機会や雇用訓練の提供という点では、他の先進国に後れを取っている。慣習や伝統に屈したくない女性にとって、日本国内にはキャリアの選択肢が少ない。そうした女性の多くは多国籍企業の日本オフィスで働くか、もしくは日本から完全に脱出するかだが、どちらも日本を助けることにはならない。メディアが取り上げる高齢化社会への心配は誇張されているかもしれない一方、女性の社会進出の遅れは軽視されているのではないだろうか。

日本が抱えている問題は多いものの、他の先進国が現在直面する問題に比べて極端に多いわけではないという点は驚きに値する。日本の国内外では、この国が困難を乗り切り、やるべきことを成し遂げると信じられている。それが簡単なことだと言うつもりはない。日本がすでにすべての答えを持っているとか、除染や復興のプロセスで、汚職や無駄、厳しい選択といった典型的な問題に直面しないとも思わない。しかし、重要なことは、日本は社会構造のレベルで、こうした難問に対処する準備ができているということだ。そのことは、日本がなぜ戦後の大半において成功を収めることができたのか、日本がなぜ21世紀にも同じことを成し遂げるチャンスがあるのかを如実に物語っている。
自由市場の終焉―国家資本主義とどう闘うか/イアン・ブレマー

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*筆者は国際政治リスク分析を専門とするコンサルティング会社、ユーラシア・グループの社長。スタンフォード大学で博士号(政治学)取得後、フーバー研究所の研究員に最年少で就任。その後、コロンビア大学、東西研究所、ローレンス・リバモア国立研究所などを経て、現在に至る。全米でベストセラーとなった「The End of the Free Market」(邦訳は『自由市場の終焉 国家資本主義とどう闘うか』など著書多数。

*本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

特定非営利活動法人 いのちのバトン

本日、銀行の事務手続き後に、いつもの隠れ家に立寄ると特定非営利活動法人 いのちのバトンの理事長 金子庸三さんと知り合いになりました。

NPOの活動内容を伺うと、食物のサイクルをつなぐ活動(生ゴミの堆肥化)実践指導生ごみの堆肥化奨励・推進・指導子育て相談、地域文化活動支援・教育相談・文化活動支援・山の学校、ピアノ探検隊、手作り楽器教室などと多彩です。
$熱中時代! 社長編-いのちのバトン
【金子庸三理事長から一言】
文化の系統進化を考えれば、子ども時代に何が必要か解かります。
子ども時代は、大人と全く違う時間の長さを持っています。
それは、長さと言うより深さと言えるものなのでしょう。 

子どもたちのことや町興しのことを話させていただきました。
金子さんと同じ思想を私が持っているようです。

いつもの隠れ家では、色々の交流が生まれます。


役員人事