昨日9月19日のハンギョレ新聞の記事です。
一部抜粋・編集して紹介します。
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麻生副首相、侵略戦争美化「大東亜共栄圏」また使用
登録:2019-09-19 02:08 修正:2019-09-19 07:18
日本の麻生太郎副首相兼財務相が、自衛隊幹部の招請行事で、侵略戦争を美化する意味をもつ「大東亜戦争」という表現を再び使用した。
この用語は、日本がアジアの植民地を解放するために戦争をしたという歪曲された意味を含んでおり、日本国内でもこの表現を使うこと自体がタブー視される。
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麻生副首相は17日、東京の首相官邸での自衛隊と防衛省の幹部を招いた懇談会で「大東亜戦争」という言葉を口にした。
麻生副首相は乾杯のあいさつで、「大東亜戦争が始まる前、武官として駐英日本大使の吉田茂に仕えた人がいる」と語った。
日本の自衛隊幹部を養成する防衛大学の設立に貢献した人物について説明する中で出た表現だった。
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麻生副首相は太平洋戦争そのものを美化する脈絡で「大東亜戦争」という表現を積極的に使ったわけではないものの、「大東亜戦争」という表現自体に問題がある。
日本は1937年からこの表現を使い始め、1941年の東條英機内閣の時、閣議で「大東亜戦争」という表現を公式表現とした。
この表現は、日本が主張した「欧米諸国からアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を打ち立ててアジアの自立を目指す」という「大東亜共栄圏構想」から来た表現だ。
敗戦後、日本を占領した連合軍総司令部(GHQ)は公文書でこの用語を禁止した。
安倍晋三首相らも公式の場では「先の大戦」のような表現を使い、「大東亜戦争」は使わない。
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麻生副首相が「大東亜戦争」という表現を使ったのは今回が初めてではない。
2008年の首相在任時にも「大東亜戦争」という言葉を使用して批判をあびた。
彼は当時、日本の過去の戦争に対する立場を問う記者たちに「日清、日露(戦争)といわゆる大東亜戦争、第2次世界大戦とは、少し種類が違うと思う」と発言し、その後批判が殺到した。
東京/チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/910017.html
韓国語原文入力: 2019-09-18 17:21
訳D.K
引用:ハンギョレ新聞 登録:2019-09-19 02:08 修正:2019-09-19 07:18
http://japan.hani.co.kr/arti/international/34399.html
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先の大戦を、米国は「太平洋戦争」と呼んで戦い、日本は「大東亜戦争」と呼んで戦いました。
終戦直後に日本を占領した連合国軍GHQの指令によって、先の大戦を「大東亜戦争」と呼ぶことが禁止されました。
戦勝国側(米国、英国など)にとって、「欧米諸国からアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を打ち立ててアジアの自立を目指す」という「大東亜共栄圏構想」に繋がる「大東亜戦争」という呼称は都合が悪かったからです。
これらは、いわゆるGHQが秘密裏に進めたWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム;戦争贖罪意識植え付け計画)の一環としておこなわれ、
先の大戦は日本の侵略戦争であったという歪曲された歴史観が日本国内に浸透し現在に至っています。
https://ameblo.jp/brendy6m/entry-12301148645.html
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ハンギョレ新聞の記事は、「大東亜戦争」という言葉は、「日本がアジアの植民地を解放するために戦争をしたという歪曲された意味を含んでおり、日本国内でもこの表現を使うこと自体がタブー視される」と書いています。
歴史を歪曲するな! 歴史を修正するな! 歴史修正主義者め!というわけです。
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しかし、日本が、欧米列強によって植民地にされていたアジア各国の解放も目的として、「大東亜戦争」を戦ったのは事実です。
例えば、インドネシアが独立宣言書を発表したのは1947年8月17日ですが、独立宣言書の年月日は日本の「皇紀」で記されています。
これは、インドネシアの独立運動指導者のスカルノやハッタらが、インドネシア独立運動に対する日本人の献身的貢献に感謝し、独立宣言書を「皇紀」で記すことにしたためです。
(日本語訳)
宣 言
我らインドネシア民族はここにインドネシアの独立を宣言する。
権力委譲その他に関する事柄は、完全且つ出来るだけ迅速に行われる。
ジャカルタ、05年8月17日
インドネシア民族の名において
スカルノ / ハッタ
ジャカルタの独立宣言記念碑
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/インドネシア独立宣言より
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この独立宣言書に記された「05年8月17日」というのは「皇紀2605年(西暦1947年)8月17日」のことです。
このあたりの事情は、例えば、日本外国人記者特派員協会の会長を長年勤められたヘンリー・S.ストークス氏の著書「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄 」(祥伝社新書 2013/12/2)に解説されています。
興味があれば是非、ご一読ください。
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最後に、少し前に見つけたYoutube動画
https://www.youtube.com/watch?v=apPZLLGbQIM
の解説の中から、歴史上の人物たち、一部はまだご活躍中の偉人、が残したいくつかのコメントを紹介しておきます。
■ SF作家 H.G.ウェルズ
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。
あの戦争の敗者は日本ではない。
真の敗者は植民地をほとんど失った欧米列強だ」
■ 中華民国顧問 オーエン・ラティモア
「日本が立派にやり遂げた事は欧米の植民地帝国を完全に破壊した事である」
■ 初代インド首相 ジャワハルラール・ネルー
「彼ら(日本)は謝罪を必要とすることなど我々にはしていない。
それ故、インドはサンフランシスコ講話条約には参加しない。
講話条約にも調印しない」
■ ビルマ(現ミャンマー)首相 バ・モウ
「我々を白人支配から救い出してくれたのは日本だった。
我々は大戦終盤に日本を見限ったが、その恩は忘れない。
日本ほどアジアに貢献した国はいない。
日本ほど誤解を受けている国はいない。
真の独立記念日は1948年1月4日ではない。
1943年8月3日だ。
独立の真の理解者は東條大将と大日本帝国だった」
■ タイ首相 ククリット・プラモード
「日本のおかげでアジアは独立できました。
日本というお母さんは、母体を壊してまでもアジア諸国という子供を産んでくれました。
今日、アジア諸国が欧米と対等に話しができるのは誰のおかげか。
それは自らを殺してまで産んでくれた日本というお母さんがあったからだ。
我々は、お母さんがお産を決意した12月8日を、全ての力を出し尽くし私たちの国を産み、(日本が)力尽きた8月15日を忘れてはならない」
■ フランス第五共和制初代大統領 シャルル・ド・ゴール
「シンガポール陥落は白人植民地主義の歴史に終焉をもたらした」
■ ASEAN提唱者 マレーシア上院議員 ラジャ・ダド・ノンチック
「我々は日本軍を歓呼で迎えた。
日本は将来の我々の独立のために多くのモノをもたらしてくれた。
我々が日本から学んだ最大のものは「国を守る術」だった。
かつて日本人は清らかで美しかった。
かつて日本人は親切で心豊かだった。
アジアの国の誰にでも自分のことのように一生懸命尽くしてくれた」
■ シンガポール首相 ゴー・チョクトン
「日本の統治は過酷なものだった。
しかし日本軍により欧米のアジア支配は粉砕された。
これはアジアに自信を与えた。
大戦後15年以内にアジアの植民地はすべて解放された」
■ ビルマ独立の父 アウン・サン
「日本の軍事訓練は厳しすぎた。
何度か自殺を考えるほどだった。
しかしラングーンが落ちた時、我々は間違っていないことを確信した」
■ (スカルノに並ぶインドネシア独立の父)初代副大統領ハッタ
「日本の戦いは8月15日に終わった。
我々の戦いは8月17日に始まった」
■ 第二代エジプト大統領 ナーセル
「(第三次中東戦争惨敗後)アジアには日本がいた。
アラブには日本がいない」
■ インドネシア元情報相 ブン・トモ
「あの戦争は我々の戦争であり、我々がやらなければならなかった。
それなのに、すべて日本に背負わせ、日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。
申し訳ない」
■ ビルマ外相 ウ・ヌー
「高い理想と目的の高潔さに動かされたある国は、アジアの独立と民衆の解放に生命と財産のすべてを犠牲にした。
その国の名は「日本」という極東の島国だ」
■ (極東軍事裁判)ローガン弁護人
「私はこの裁判を引き受けた当初は正直後悔した。
勝ち目がない裁判だからだ。
しかし、研究、調査を重ねるごとに被告の無実が証明されていった。
最初から、日本に20年間一貫した世界侵略の野心など全く無かった。
私は断言できる。
彼らは全員無罪だ。
もし彼ら裁けるものがいるとすれば、それは日本人だけのはずだ」
■ 歴史家 A・トインビー
「第二次世界大戦において、日本人は日本のためよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために偉大な歴史を残した。
それらの国々と日本の掲げた短命の理想、大東亜共栄圏に含まれた国々である。
日本人が歴史上、残した最大の業績は、世界を支配していた西洋人が「不敗の神」ではないことを示した点である」
■ インドの独立運動家 チャンドラ・ボーズ
「インド国民軍はインド完全解放のために、日本の友情と共に戦い抜く。
デリーへ!」
■ 英印軍総司令 マウント・バッテン卿
「かつて精強を誇った日本軍も、最後は精神力のみとなり敗れていった。
が、何かが残った。
『西洋人をアジアから追い落とした』という結果だ」
■ スリランカ大統領 ジャヤワルデネ
「(サンフランシスコ講話条約において)なぜアジアが日本が自由であることを望むのか。
それはアジアにとって日本が唯一信頼できる国であったからだ。
日本の理想に、独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい。
憎しみは憎むことで消えない。
愛することで消えるのだ」
■ 台湾 李登輝総統
「私は22才まで岩里政男という日本人だった。
なんら恥じることはない。
死した兄が眠る靖国に行く。身内なら当然のことじゃないか?
現在の日本人たちは、日本を愛することができないと言うかもしれません。
日本はそれほどまでに戦争中にアジアの国々に悪いことをしたのだと。
しかし、それも私から言わせると歪曲された歴史観です。
日本が戦後から行ってきた教育は、あまりにも自虐的過ぎました。
そうした考えに正義感を覚える輩は、ただ無知なだけです。
日本の皆さん、日本を愛しなさい、胸を張りなさい!
日本はあなた方現代の日本人だけのものじゃありません。
私たち「元日本人」のものであることを忘れないで下さい」
■ インド法曹界の長老 パラバイ・デサイ博士
「インドはまもなく独立する。
この独立の機会を与えてくれたのは日本である。
インドの独立は日本のおかげで、30年も早まった。
インドだけではない。
ビルマも、インドネシアも、ベトナムも、東アジア民族はみな同じである。
インド国民はこれを深く心に刻み、日本の復興には惜しみない協力をしよう」
■ マレーシア外相 G.シャフェー
「なぜ日本が謝るのでしょうか?
あの大戦でマレーシア人と同じ小さな体の日本人が大きな体のイギリス人を追い払ってくれたではないですか?
日本なくして東南アジアの独立はありませんでした。
この日本の払った尊い犠牲を否定することはバックミラーばかり見ているようなものです」
■ インドネシア大統領特使 アラムシャ
「日本にはあと5年がんばってほしかった。
そうすれば中東とアフリカはもっと早く独立できたはずだ。
中東もアフリカもこんなに苦しまずに済んだはずだ」
■ タイ副首相 T・クーマン
「日本の勇戦で、新しい独立国が不死鳥のように現れました。
誰に感謝を捧げるべきか、余りにも明白です」
■ インドネシアの教科書
「日本の占領は大きな利益をもたらした。
第1に基礎教育、第2に軍事組織、第3に政府機構。
これはインドネシア独立の基礎となった」
■ インパール作戦慰霊碑のある村の村長
「日本兵は飢餓の中、勇敢に戦い死んでいった。
この絶望的な、しかし勇敢な行動はインド独立の糧となった。
この慰霊碑は日本兵の供養であり、独立インドの象徴なのです」
■ 歴史家 クリストファ・ソーン
「日本には、ファシストも、ヒトラーも、ナチスも、ムッソリーニも存在しなかった。
ファシストの名にふさわしい東洋人を挙げるならば、それは蒋介石だ」
■ ポーランド系ユダヤ人指揮者 ローゼンシュトック
「マイジンガーがスパイリストを作り、日本に逮捕を要求した。
私はリストの筆頭に挙げられていた。
しかし誇り高き日本はそんな迷信には耳を貸さなかった。
ユダヤ人にとって日本は安全地帯だった」
■ 評論家 金満哲
「韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。
誰も日本からの独立を望んでいなかったのに、アメリカに強制的に独立させられたというのが真実だ」
■ 元韓国軍参謀総長 雀慶禄
「私は韓国人でしたが、少佐として日本人を率いていました。
私が敵中で瀕死の重傷を負った時、私の部下は自分も被弾していながら私を背負い、重囲を突破し、私を救い出してくれました。
私を救った彼はその傷が元で亡くなりました。
旧日本軍の厳正なる軍規は感嘆を禁じ得ません。
私は旧日本軍として戦えたことに誇りを感じている。
私は韓国を愛するが故に、親日である」
■ マレーシア外相 G.シャフェー
「日本以外の方は特攻隊員が洗脳されたり狂信的なものと想像することでしょう。
だが、彼らの遺書を読めば、狂信者とはほど遠い存在であることがわかります。
彼らが守りたかったのは、母であり、妻であり、愛する家族だったのです」