初詣の好きなところ

 


数年前のことですが、今考えると面白かったなという思い出(イベント)を記しておきます。



今から6年前のこと…

平成29年(2017年)1月2日


夫(当時の彼)がこんなことを言い出しました。



彼「平成29年だし、29km歩くか!」




私「ポーン…❗️❓ファッ❓」




え、私箱根駅伝見たいんだけど?

母校の応援していたいんですけど?

てか寒いチーン



と思ったのですが…



まぁ、面白そうやな❗️


と思い、付き合うことにしました。
(あの時はぎりぎり20代で若かった)



街歩きが趣味の夫。

目的もなく、知らない路地をただ只管歩くことに人生の楽しみを見い出しています。


職場の同期である夫は、早稲田出身ではありませんが(東北大学出身)、高田馬場という街がやたら好き。

馬場歩きは何度やっても飽きないという位、
高田馬場〜早稲田は一緒に何度も訪れている場所でした。

大学時代の元彼と行ったワセメシは、全部夫とも制覇した気がします(夫も私も全く嫉妬深くないタイプ)


さあ極寒の中、無謀な29kmウォークstartです


ルートはうろ覚えですが、高田馬場だけでぐるぐる8箇所巡り→下落合にある氷川神社→高円寺→荻窪だったかな?

直線距離で行くとそこまでkmがないのですが、何せ地図を一切みない、なりゆき街歩き。

知らぬ間に地図の上に行っていたり、下に行っていたり…

スマホのカウンターが29kmになるまで終われない旅でした。

平成29年だったので、本当に29km歩きました。

2017年だったので17箇所神社めぐりました。


その次の日も懲りずに10kmは歩きました。


本当…若いって素晴らしいですね…


かなり疲れましたが、高田馬場には沢山神社があるんだなぁって気付けて、とても楽しかったですウインク


氷川神社でお参りしようとした瞬間、目の前の小さな男の子に指を指され「アカピー!」と言われたのが、この旅のハイライトでした。



アカピーって何だろ。今でも気になる。



たまたま見つけた哲学堂公園がとても素敵でした。いつかまた訪れたいです。

当時の日記には、

「今年は沢山歩いて健康的になるのと、ギター上達を目標にがんばります」と書いてありました。





平成30年(2018年)


例によって、年号のキロ数分、1日で30km歩きました。


2018年の18箇所分は神社が見つからず…お参りは一日で9箇所しかできなかったです。


高田馬場から船橋くらいまでいきたかったのですが、立石までしかいけなかったかな。


また地図を見ないなりゆき街歩き。


どこもお店やってなくてランチ難民になりました。(2017年は高田馬場のわたなべでラーメンを食べれらた)


足が痛いな〜と思いつつも、次の日残りの分お参りしに13km位歩いたため、足が完全に死にました。足を地面につけるだけで痛かったです。





平成31年(2019年)


この時も勿論31km歩きました。



実はこのお正月、私はかなり落ち込んでいました。


1年半前の仕事のミスが12月に発覚し、父は病気で緊急入院&手術。


(しかもその手術日は親友の結婚式で受付も頼まれていたというニヤニヤ



ミスに関して、誰一人私の事を悪く言わず、係長も

「これは誰でも起こし得るものだし、組織の問題だから気にしちゃだめだよ」


と言ってくださったとはいえ



私は自分を責め続け、かなり落ち込んでいました。



夫は私のメンタルを心配して、最近身内の病気だったり不幸なことが多すぎるからお祓いに行けと、年末に5,000円をくれました。



ただメンタルお豆腐な私。


メソメソしていたら、お世話になっている取引先のお姉さんが、


「東国三社参り」やってみなよ!


と言ってくださり、藁にもすがる思いで、お正月に夫と、スタート地の鹿島神宮にきました。




因みに「東国三社参り」とは…


東国三社と総称される


鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)

香取神宮(千葉県香取市)

息栖神社(茨城県神栖市)


の三つの神社を巡ることだそうです。





ただ、やはりうちの夫、容赦ありませんの…




「歩いて三社参ろう♪」


と言うではありませんか





まぁ平成31年だし?


たぶん来年は〇〇2年(元号未定)になっちゃうし?


二度あることは三度あるって言うし?







ノリで歩いて3社を参りました。



鹿島神宮→息栖神社→香取神宮の順番で只管歩きました。


31kmちゃんと行きましたよ…



3年連続3回目の「年号の数だけ歩こう企画」無事完遂





因みに令和2年(2020年)はもう臨月だったため、歩けず…

(歩くどころか産む直前まで吐いているような体調で、妊娠初期からずっと自宅警備していた)




いや、まさか…

こんな極寒の中、3年もこんなアホなことをやっているコンビはきっと私たちだけでしょう



もし、東国三社巡りを歩いて行ったという方がいらっしゃったら、友達になりたいです…ラブ




仕事初めの日がキツかったけど、今となっては良い思い出です。


なんだかんだ、全力でバカなことをするのが嫌いじゃない。楽しかったなウインク



あと、この三社巡り、ご利益が凄くてですね…❣️


私、その年は本厄だったのですが、



父の病気も順調に回復し、


仕事のミスも周りのサポートのおかげでなんとかなり(感謝してもしたりません)


前年度のミスがあったにも関わらず、仕事の成績もかなり良くボーナス増



何より、

最愛の娘を授かるという幸運に恵まれましたクローバー




(重症妊娠悪阻で入院し、産むまで吐き続ける生活はキツかったけど、間違いなく幸運でした)




特に、当時大吉を引いた鹿島神宮。


つい数週間前も訪れてみましたが、夫はそこでとても良いインスピレーションを得たようで、


「今はそう思えないかも知れなくても、全てが良くなるよ。心配いらない」って言ってくれました。


(12月、私は育児でかなり悩んでいたのです)





また、鹿島神宮の近くにある、エミールというレストランは、汽車が食事を運んでくれます。

乗り物好きな娘は連れて行ったらとても楽しそうでした爆笑

エミールは別記事で絶対に書きたいです。



長くなりましたが、私たち夫婦のバカなイベントについて読んでくださり、ありがとうございましたキラキラ



今年も家族でバカなことをたのしめる一年にしたいです照れ




ご訪問いただき、ありがとうございますクローバー

フルタイムワーママのシロです。

娘は2歳。パパが大好きです赤薔薇

ゆるいペースで育児記録やイラストを残していきます

pixivもはじめました流れ星

どうぞ、よろしくお願いいたしますクローバー



ご無沙汰しています。シロです。


仕事が忙しく、少し落ち着いたと思ったら、帯状疱疹になったりコロナになったりで、ずっと不調でしたえーん

今はコロナ後遺症も治まり、結構元気です。
心配してくれたり、助けてくれた友人たちに感謝の気持ちでいっぱいですキラキラ


「ママー、母の日にーありがとう!」って言ってくれた時のモモちゃん

1歳8ヶ月頃から3語文、多語文を話すようになり、毎日お喋りな娘です。


この前、急に、「モモちゃん、ママのフラッシュカードが好きなんだぁ」と言っていて

びっくりしすぎて、歯ブラシくわえたままかけよったら

「ママ、歯ブラシくわえたまま歩かないんだよー!」

と諭されました。

いやぁパパ、よいしつけできてますねキラキラ

2歳5ヶ月時に試しに神経衰弱(絵カード20枚で)をやってみたら、ママふつうに負けました笑い泣き
「モモちゃん12枚とったよー!」とはしゃぐの可愛いな。


はやく成長記録をリアルタイムまで追いつきたいです。



さて、少し前に「学歴より経験」が話題になって、思うところがあったため、ちょっと自分の気持ちを整理するために書きます。



私にとって「勉強」は、毒親に支配された貧困家庭から抜け出す唯一の道でした。

良い大学・会社に入ることが最善と、今は思いませんが、勉強はやればやった分ある程度は報われやすい努力だと今も思っています。

「経験」に関して、家庭毎の格差を本人の努力で埋め合わせるのは困難すぎると感じます。

ペーパーテストが一番平等だと思うんだけどなぁ。



私は、母に中々の暴言を吐かれる家庭環境で育ちました。

「生むんじゃなかった」は日常的に
受験直前には「落ちろ!破滅させてやる!」

中々精神的に辛かったです。



塾には行かせてもらえないから、参考書をバイト代で購入し、家を出たい一心で図書館で勉強しました。

良い大学に入れば人生逆転できると思っていたんですよね…



大学受験料は出してもらえないからバイト代で賄い、授業料も生活費も、自分で調達して卒業できました。

学内奨学金(給付型)に加えて、成績を上げて民間の奨学金(給付型)も受給できたため(合わせて年間72万円程)、なんとか卒業できました。

夜勤バイトも沢山しました。

早稲田大学は学内奨学金が充実しているところが好きです。

日本学生支援機構奨学金も、満額借りていたため、まだ奨学金を返還しています。

大学一年時は、多額の借金背負ってまで私大に入ってバカなんじゃないか、やっていけるのかと未来のことを考えすぎて、元々病んでいた精神がさらに病んでいました。

ただ、大学生活は振り返ると貴重な期間でした。



大学時代、色々な人と出会いました。


ずっと温室育ちで人の心の痛みが全くわからない人。

酔って暴れて暴力をふるう先輩。

私と同じように親の経済状況で苦労してきた男友達。

毒親に支配されて苦しんでいる人。

苦労してきたからこそ、人の心の痛みに寄り添える優しい人。

惜しみない愛を注いでくれた彼。


沢山の人と出会えて楽しかったです。

バイトも沢山の種類をしたけど、どれも勉強になりました。



娘は大学に行きたければ行けば良いし、必要ないなら行かなくて良い。
行かなくても幸せになる道なんて沢山あるので、研究したいことがあるなら行ったら良いと思います。

私は大学進学を機に実家から完全に独立したので、それは本当に良かったです。

あのまま家にいたらと考えると恐ろしいです。


相変わらず、お受験にはあまり関心がない私ですが、いちばん頭の柔らかい時期に働きかけを沢山してあげたくて知育をしています。



実家は嫁姑仲も、両親仲も最悪で、よくお皿が割れていました。

母と祖母の両方からお互いの悪口をきかされていつも悲しかった。

どちらも本当は大好きだったから。

父が借金をつくり、私の生まれつきの病気の手術代も大学のためのお金も全部なくなり、サラ金について少しだけ詳しい10代でした。

父は思い詰めて樹海に行き、2週間行方不明でしたが助かりました。
あまり仕事は続きませんが今は元気でいます。


よく兄弟で一人だけごはん抜きにされていたから、お腹がすいて…冷蔵庫の中のものを食べたら泥棒扱い。ふりかけを食べていました。

母はいつも精神的に不安定で、よく物を投げたり蹴られたりしました。
ハサミ投げるのは危ないよー。

小学4年生の時、洗濯したくて洗濯機を使おうとしたら、泥棒と言われてお風呂場で自分の服を洗っていたりもしました。


高校時代も、お弁当なんてもたせてもらえなくて、お年玉を切り崩して、毎日50円のハムカツを食べていました。

家でお財布を落として、2万円無くなっていたこともあります。


高校まで片道13キロあり、毎日26キロも自転車を漕いでいたから、いつもお腹が空いていました。

大人しそうな見た目のせいか、社会人になってからも何回も変質者に遭遇したり、
受験生の時、性被害にあって精神を病んだこともあります。

でもずっと誰にも相談できませんでした。




私には生まれつきの病気があり、母は私が生まれた時すごくショックだったそうです。

(見た目に関わる病気で、治療すればかなり良くなるものですが、当時はあまり知られていなかったのかな)



「あんたが生まれた時すごくガッカリしたの」って言われたのはやっぱり今でも悲しいです。

娘が生まれてきてくれた時、私はすごくうれしかったから。

母は私が生まれてうれしくなかったんだと思うと今でも苦しくなります。


「あんたが大変だったから次の子を堕ろしたの…あんたが殺したんだ」

と言われた時から完全に精神が壊れました。

私のせいで…って思う時が今でもあります。


ずっと母から嫌われていると思っていたから、小学生の頃描いた絵が県で表彰された時も、何かしら表彰されても報告をしませんでした。

進学先も就職先も事後報告。

大人になってから母に言われました。
「ずっとシロに嫌われていると思っていた」って。

結婚式に関しても、貴重なお休みに、お金も手間も人様にかけさせてしまうなんて申し訳なさすぎる!絶対にやらない!って決めていました。

自分が目立つのも大嫌いだし、母への手紙とか絶対に書けないしね。

結婚式に夢を抱けるような精神の女性が羨ましかったです。

恵まれた環境で愛されて育ってきた人が羨ましかった。

私は友人に恵まれてきたけど、実家の家族を誰にも見せたくありませんでした。
酷い娘ですね。


元々の家族5人、上京後15年以上揃ってないけど、これからも死ぬまで会わないかもしれないけど、元気でいてくれたらと思います。


(実家には一切帰りませんが、両親とは時々会うまでには関係が回復しました。やはり自立したことが何より良かったんだと思います)




中々刺激的な家庭で育って、当時はなぜうちだけこんななん…って思っていました。
(今では私より酷い思いしてきている人は沢山いるし、私はまだ恵まれた方だとわかっています)


でも良かったことも沢山あります。

①外の世界の人が皆、優しく素晴らしい人に思えて、慕っていたから、人間関係ではあまり苦労しなかった
沢山可愛がってくれる人がいた



②自立心がかなり身についた



③たいていのことは許せるしあまり怒らない
 人にあまり期待しない


幼少期から、何故だかわかりませんが、
「起こることは自己責任」だと言う考えがずっとありました。

人の良いところ綺麗なところをみたいって思って、積極的に良いところばかり見るようにしていたためか、小学生時から周りにほめ上手とほめてもらえました笑

夫には、「無理に人の良いところばかり見なくていいんじゃない」と気遣ってもらっていますが、私はやっぱり人のステキなところをみたいな。

今までの人生、沢山の人に助けてもらえたし、人間関係には本当に恵まれていました。

ラッキーも多かったです爆笑

感謝している人は沢山いますクローバー


感謝と思いやりの心が、幸せになるためには大切だといつしか学びました。

「これからがこれまでを決める」って言葉にも励まされました。

いちばんしんどい受験生の頃、何度スピッツの曲に救われたことかクローバー
ずっとスピッツが大好きです照れ



娘の知育をはじめて驚いたのが、自分が昔話や童謡を意外と知っていること。

絵本は好きだったし、童謡は勝手におもちゃのピアノ弾いて覚えたから詳しいのかもしれないけど…

少なくともそういうものに触れられる環境にあったんだな。少しは愛されていたのかな。
と思えました。

自分の生い立ちを話した事があるのは、夫と元彼のうちの一人だけでしたが、急に書きたくなっちゃいました。

長すぎる暗い話を読んでくださり、ありがとうございます。


色々あったし、病んでた時期も長かったけど、今は幸せです。


娘や夫と出会えて本当に良かった。

ここに書いた知育の指針を忘れずにいきたいです。
(正直、毒親育ちの私がちゃんと子育てできるのか…毎日不安はあります)

知育もしますが、親を反面教師にして、娘には愛のある語りがけを、スキンシップをしていきたいです)

喧嘩したり、イライラすることもあるけど、今の幸せを自分で壊さないように…

これからも自分の家族を大切にしていきます赤薔薇

読んでくださりありがとうございましたキラキラ
ご訪問いただき、ありがとうございますクローバー

フルタイムワーママのシロです。

娘は2歳。パパが大好きです赤薔薇

ゆるいペースで育児記録やイラストを残していきます

pixivもはじめました流れ星

どうぞ、よろしくお願いいたしまクローバー

 


新年度がはじまり、2週間ちょっと。

仕事が忙しすぎて、平日は朝しかモモちゃんと会っていません…(起こしたくないから寝顔すらみれない)


新年度はじまって数ヶ月は、鬼の忙しさとわかってはいましたが、残業で全然帰れません。

担当が変わって、仕事内容も高度になり、毎日あたふたしていましたえーん

1日2日目は、只管涙目。
3日目でなんとかイケる!慣れてきた!と安心するも…

毎日夜遅くまでの残業が久々すぎて、疲労がすごかったです。(10日経ってようやく身体が残業に慣れてきた)

こんな連日残業、私は妊娠前の令和元年以来だもんな…


昨年は長くいた係で慣れていたし、係人数もこの時期は例年より1名多く、慣らし保育もさせていただいていたから、はやく帰れていました。

昨年は本当にありがとうございました赤薔薇



ただ…

私…今年も時短申請してるんだけどな…ニヤニヤ


昨年度、係長が長期で療養休暇にはいっていたため、時短は7月位から取れずにフルタイムにしていました。

フルタイムで、18時に迎えにいけるならまだ全然良かったのですが、


今は帰るのが大体22時半過ぎです。


昔はもっと遅くまで仕事していた時代もあるし、
私だけが残業してるわけじゃないから、
独身だったらあまり辛いと思わなかったですが



今は
2歳女児がママを待っているのよ…



周りの方々には、時短申請してるのに取れないなんて…
来年度異動の可能性高いのに担当変えるんて…子育てあるのに気の毒

と同情されています。





さて、一体誰がモモちゃんのお世話をしてくれているかって…


パパです。






もはや私より余程育児、家事をしています。

毎日仕事も大変な中、定時で切り上げ、ワンオペの連日で大変なのに


「あなたの職場はこの時期はウルトラ繁忙期だから仕方ない。残業は遠慮せずちゃんと申請してね。その残業代、投資に回そう

と、理解してくれ、イライラをぶつけてくることもありません。

※夫は年末から投資に目覚めました。あれだけ現金主義でポイント等をバカにしていた人と同一人物と思えません



毎日育児家事が出来ていなさすぎる、申し訳なさで、コンビニで気付いたら沢山お土産を買ってしまっていた私。

それに対しても

「何も買わなくて良いから、お金をしっかり貯めて」

と言ってくれます。



夫には本当に頭が上がりません。

いつも本当にありがとうクローバー

モモちゃんは、平日ママがいない生活に慣れるまでは、寂しさから

「ママやだ!パパが良い!」

ばかり言うようになり、ママはメソメソしていました。



たまに

「ママはやくかえってきて…」

と悲しそうな顔で言われると何とも言えず泣きそうになります。

知育も全然できていません。



二人には負担をかけて本当に申し訳ないです。



今はすっかり仕事に慣れましたが、年度始めは、上司の仕事スピードの遅さにイライラし過ぎて、夫に愚痴ることも沢山ありました。



昔、「私のどこが好き?」とヤンデレ風な質問をした際

「人を悪く言わないところ」


と言われていた私は…


もういません


最近めっちゃ愚痴言ってる…さよならいい子だった私…。


夫がいないと成り立たないこの生活。

愚痴り過ぎて嫌われないように…って思ってしまいます。


仕事でストレスを溜めたのはすごく久しぶりで、今まで本当に恵まれていたんだなと実感します。


私は今は子育てに専念したいし、2人目もそろそろ考えたい…

けど、上司には子育ての大変さは理解してもらえません。


「折角良い大学出ているんだから、幹部になってほしい。担当替えをするのは期待しているのと成長してほしいからだ」

と面談で言われて


私は死んだ顔で無言になりました。


失礼な態度だったとは思いましたが、

私はその時ハッキリ思ったのです。



たしかに辞めるのは勿体なさすぎる業界だし、長く勤めるには最適解と思える会社だ。


でも、ずっとハードに働き続ける人生で良いのか?

やりたいこと、あるよね。

できたらそれで食べていきたいよね。

子育てだって、もっとしっかりしたいよね。


定年後まで自由な時間が限られている人生で良いのか?


と…



心の奥にはあったけど、知らず知らずのうちに隠していた本音に気付いてしまいました。


私は問題を先延ばしにしていたのです。


安定した職場でぬるま湯に浸かっていた私は、


「しばらくこのまんまで良いかー」


とぬるい考えでしたが



状況的に追い込まれ、自分の本音に気づけたことで、やっと本気で動き出さなくては!とスイッチが入った感じです。


だから、今のこの忙しい状況は、自分が本当にやりたいことに向けて行動を取らせるための発破をかける、良いきっかけになったんだと思えてきます。


子育てが疎かになる位ハードに働くのは嫌だ!

でも、今回の状況で自分の望むものがハッキリわかってよかったです。



望まないものから、望むものをみつける。
コントラストって本当に大事だなと実感しました。


私は幼少期から絵を描くことと、漫画が好きで、ずっと絵を描く仕事がしたかったです。


でも自分では食べていけないと諦め、良い大学を出て安定した会社に入ることに全力を注いでいました。

今までの安定思考の自分には最適解な会社だったけど、これからはどうだろう…?笑


自分の夢をちゃんと人に言えるようになっただけ、私は少しは成長したんだと思います。
(今までは親しい人にすら、絵で食べていきたい!なんて自信がなくて言えなかったから。小学生の頃には既に本当にやりたいこと言えなくなっていた)



頼りになる夫と一緒に、
①少しでもはやく経済的に自由になって
②やりたいことをしっかり楽しんで
③モモちゃんをもっと幸せにしたい



よーし!行動するぞ!


まずは、新年にたてた目標を着実に実行していきたいと思います。





今回は愚痴が多めになってしまったため、最後に癒されたエピソードを載せておきます。




今回も長くなりましたが、読んでくださりありがとうございました爆笑