個人的な記録です。長いです。そして暗いです
3w1d
着床出血。完全に生理だと思っていた。
しかしこの頃から眠気とだるさが酷かった。
4w4d
妊娠に気づく。
お互い予想だにしなかったため、青天の霹靂でした。
未熟な私が、ちゃんと親になれるのか、幸せにできるのか…
うれしさよりも不安のほうが大きかったです。
今の部署(超少人数)で妊娠することは全く考えていなかったため、仕事どうしようって悩みました。
5w
妊娠に気づいた3日後位からつわりと思われる症状がはじまり、食後吐きはじめる。完全なる吐きづわり。
生理痛が重いからつわりは軽いのではないかと、謎の思い込みを持っていましたが、単なる思い込みでした。
6w
気持ち悪さのあまり、仕事中うまく呼吸ができず過呼吸のようになり、昼休みに力尽き、医務室に車椅子で運ばれる。
その折は大変ご迷惑をおかけしました…
本当にありがとうございました。
7w〜9w
入院生活。6wで職場から早退した後、1週間程自宅療養していたが、水を飲むのことすら困難になり、3日で体重が5キロ減少する。
病院に行ったところ即入院が決定。
重症妊娠悪阻との診断名。
安定期まで全然先ではあるが、休暇の手続きの都合上、課長に妊娠報告をする。
入院初日から2日間は絶食。毎日24時間点滴に繋がれる。
一晩あけたら点滴が終わっていて、血が点滴のところまで逆流していたが、まだ朝の5時でナースコールを押して良いのかを躊躇うくらいチキンな私でした。
3日目に久々に朝ごはんを食べた時の感動は忘れられない。
…が、即リバース&お腹のびっくりによる下痢に苦しむ。
その後も、毎食後リバースをし続ける。
食べるのが怖い。しかし栄養とらなくてはと恐る恐る食べるが、中々食べられるものがみつからない。
特にカレーは一番相性が悪く。どんぶりいっぱい出してしまう。
(出産後もカレーは食べると体調不良になります…カレー大好きだったのに…)
おやつに出たケーキ等は、だいたいお見舞いにきた母に食べられる…悲しい。
とにかく食べても食べなくても常時気持ち悪く、テレビの音も、病院で流れるクラシック音楽も全てが神経に触り、無になりたかったです。
寝ていたり気絶している時しか安息がない。
夫はお見舞いに来てくれましたが、ある日夫が後輩と飲みに行き(※2019年です)、飲みすぎて中々連絡つかない時に、私が嫌味を言ったら喧嘩になりました。
(たしか「貴方は良いよね、飲みに行けて。こっちはこんなに苦しんでるのに」みたいなことを言った)
3日ほど無視され、私も意地で連絡しませんでした。
(夫は全く覚えてないが、この時のことを私は未だに根に持っています。入院中離婚を本気で考えていました)
(今では信じられない程優しくなりましたが…人って変わるんですね。娘の力はすごいです)
私は点滴が入れづらい血管をしているようで、8wのある日、点滴が何回やっても入らないことと夫への負の感情が限界に達したのが原因なのか、急に悪寒が走り、20分後には40度まで熱が上がる。
20分位震えが止まらず、痙攣なんて記憶ある限りはじめてだから本気で焦る。
寒い寒いと震えながら号泣。電気毛布をもらって泣きながら気を失う。
半日後、夜には熱は38.5度まで下がったが、まだ妊娠初期だったため赤ちゃんに影響がないか不安で仕方なかったです…。
その後、少し食べれるようになり、水分も取れるようになったことから9wで退院しました。
入院費22万円也。
個室しかない病院だから仕方ないとはいえ、差額ベッド代が1日1万円はつらい…
その後は自宅で一日一日をひたすら耐える日々。
あらゆる匂いが気持ち悪い。
ある夜、夫が目の前でスーツにリセッシュをかけており、吐き気を誘引されたため、「本当にやめて!あっちの部屋でやって!」と叫んでしまいました。
疲れていた夫は不機嫌になり、わざと目の前で何回もリセッシュをかけられた時は、私は気持ち悪さと頭痛で半狂乱になっていました。
ああ、今思い出しても非常に腹が立つ
※娘が生まれてからは別人のように良いパパになりましたが、この時は殺意が湧きました…
食べられるものが限られすぎて、この頃はほぼ、ピノとフライドポテトとみかんとダカラだけで、娘は育っていた気がします。
夫が料理を覚えてからは生姜焼きも大丈夫になりました。作ってくれたスパイスカレーはやはりダメでした。
仕事は診断書をもらい、病気休暇を取らせていただきました。
私は当時かなり少人数の部署におり、私が休むとペアで仕事をしている先輩(男性)一人に全ての負担が行くことになるため、本当に申し訳なくて心苦しくて、消えてしまいたかったです…
その後も、妊婦検診の度に入院を強く勧められましたが、差額代が辛いという理由で入院しないでいました。
そのかわり、毎回点滴を3時間打って帰りました。
12w
12w位にはだいたい楽になる人が多いときいていたのですが、どんどん悪化し、14w15 wの頃が一番辛かったです。
食べたら絶対リバースするし、食べないでいても胃液や胆汁が出てくる…なんか赤い液体も出てくる…
大好きなスピッツやBUMPの音楽すら聴く気力がなく、寝ている時しか安息がない。
身体が非常に重く、手足が動かせず、ろくに起き上がれず意識も朦朧としていて悪夢を見る毎日。
たまたま部屋で頭をぶつけた際、痛みが分散されたからか、気持ち悪さがマシになった感覚があり、本気で頭打とうかなとか、長時間気絶する方法ないかなと考える位に病んでいました。
一日が三日位に長く感じ、毎日がはやく過ぎ去って欲しかった。
「はつかねずみは良いなぁ」が当時の口癖でした…本当に病んでいました。
よだれづわりも酷く、ひどい時は5秒に1回ペースで吐き出していました。この頃は完全に不眠でした。
16w
安定期を迎えてもあまりよくならず、もしかしてこのまま出産までこんなんなんだろうか…
娘のために入院すべきだったんだろうか…
今でもたまに考えてしまいます。
家では勿論、出産直前まで、検診時も毎回ビニール袋とうがい受け手放せませんでした。
17w
病院に行くため電車に乗り(いつもは父が送ってくれていましたがその日は都合つかず)、満員だったため立っていたら、
一駅だけなのに気持ち悪く、駅で目が見えなくなり(貧血?)倒れる。
駅員さんに事務室のソファに寝かせていただき、少し休んでいましたが、救急車を呼ばれてしまいました。
(徒歩5分で着くのに申し訳ない。本当に恥ずかしい…)
その折は大変ご迷惑をおかけしました。
ありがとうございました。
それからは、必ずタクシーで病院に行くようになりました。
21w
少しマシになった実感があったが、母親学級では気持ち悪くなり途中退出したり、色々な方に迷惑をかけまくる。
ぶり返して吐き続ける毎日ではあるが、ピーク時よりは吐く回数が減ってきため、はやく復帰をしなくてはと焦っていたら…
今度は切迫流産と診断されてしまいました。
私本当何やってるんだろう…
娘にも申し訳ない…
結局、妊娠初期から産休に入るまで休職することになり、ペアの先輩と係長にはこの上なくご迷惑をおかけしました。
欠員補充があるまで、先輩は半年以上一日も休めなかったと思います。
本当にごめんなさい。
この先輩も係長も課長も皆、男性でしたが、誰一人嫌な顔をせず、常に私の体調を心配してくださいました。
つわりについても、夫より調べてくださっていました。
生まれた際もお祝いをくださいました。
本当にいくら感謝してもしたりません。
私は本当に職場に恵まれていました。
だから4月に復帰したら、恩返しになるかはわかりませんが、これまで以上に仕事を一生懸命がんばりたいです。
(でも時短を取るので結局負担をかけてごめんなさい)
その後も吐く頻度は減ったとはいえ、気持ち悪さは出産直前まであり、生まれる1分前にもオレンジジュースを吐きました
キューピーちゃんのような娘。
※下に本物のエコーを載せます。
苦手な方は引き返していただけると幸いです。
中学生の時、赤ちゃんは天才!のような本を読んで以来、将来子どもを授かったら絶対に胎教しよう!って思っていましたが…
妊娠中は日々をなんとか生きることで精一杯でした。
クラシックも体調が少しマシになる7ヶ月くらいまで全然聴けなかった。
妊娠中イライラしてばかりで、お腹の中で辛かったんじゃないかなと今でも落ち込みそうになります(安定のお豆腐メンタル)
余裕のない人間で、娘に本当に申し訳なかったです。
夫にも、体調悪い時期はごはんを買ってきてもらったり作ってもらったりしていたのに…
イライラを全面に浴びせて、反省しています。
妊婦検診以外殆ど外出できず…
戌の日の安産祈願、行きたかったなぁ。
無事に生まれてきてくれて、本当に良かったです
長くなりすぎたので、悪阻対策で色々調べたことや役に立ったことを次の記事に綴ります。
読んでくださってありがとうございました