昨日は、結局オールになってしまった。

いやぁ~、いい飲み会やった。

場所については
都心からけっこう離れてたから、
なぜここで?
と思っていたけど、
先生の来易い場所とのことで納得。

何かなければ、行くことがないであろうところに
行くのはそれはそれで面白い。

先生は75歳になるといっていたけど、
よくしゃべり、元気そうで何よりでした♪

75歳ぐらいの年齢になると、
もう、その人自身が歴史となるなぁ。

治安維持法がどういうものだったかを
経験談としてしゃべれる人はそうはいないです。

その後、クラブに行くと
DJはロケットマンことふかわりょうでした。
いろいろやっとるねぇ~。
携帯から初めての書き込み。
さぁ~うまくいくできるかな?



先輩の招きに誘われて、
大学時代の学部長を囲みに向かい中。

卒業後約5年目にして、
学部長とはほぼ初めて話すような感じです。
他に誰がくるのかはわからない。


イイねぇ~。


どんな状況かは、
空けてからのお楽しみ♪

帰ろうと会社を出ると
雨が降っていた。

まぁ、今日は会社にストックしている傘を持っていたから
何とか濡れずすんだけどね。


ただ、傘がなくて駅から家に向かうときは、
テレビで見たある実験をよく思い出す。


その実験とは、

雨が振る中で
歩いたときと、走ったとき。
やっぱり走った方が、歩いたときよりも
濡れる量はすくないのか?


というもの。



実験内容は、
吸水性の高いレインコートを着て、
雨が降っている5メートルぐらいの区間を渡る

そして、どちらがどれだけ雨を受けたかを
重さでもって比べるというものだった。


吸水性の高いレインコートというのも
どうかと思う。



まぁ、それはおいといて
その結果は、

歩いても走っても濡れる量は同じ。
だから雨が降っても、慌てて走らなくてももいーじゃないか。




なぜ同じぐらいになっていたかというと、
歩いた方は、体全体に雨を受けている。
走った方は、上半身の濡れは少ないけど、
泥跳ねで足元が濡れている。

だから結果として、
雨に濡れた総量は同じだと。


その時の素直な疑問。


泥はねしないように走ったら、いいんじゃないのか?



でも、その実験ではそこには触れていなかった。

猛烈にツッコミたかったが、
テレビに対してツッコンだところで、
実験結果が変わるわけでもない。




やるせなさだけが残る。




そのやるせなさが影響してか、
雨の中では、必ず思い出す。



そして、傘を持っていないときは
その実験を参考に

できるだけ泥跳ねしないように、
着地はソフトに
しかし瞬発力は損なわずにスピードを保つ



と、心がけている自分がいる。

なんか、その実験に囚われている事が
癪にさわる。


歩いても濡れ方が一緒なんてあるはずないやん!


とツッコミたい!問い詰めたい!

解消されないであろう、
俺の小さな、些細な心の叫び。


『着信アリ2』が怖いらしい。

俺は「着信アリ」は1も2も見ていないけど、
確かに家で見るよりも、
映画館の暗闇で見るほうが面白いかもしれない。


いまは、世界的にも日本のホラーというものが
ウケているし、リメイクされている。

恐らく「リング」あたりから、
日本のホラーというものは注目されだんではないでしょうか。


俺は「リング」と「らせん」は
最初本で読んだけど、確かにこれは怖かった。


内容が内容なだけに、

コレを読んでいたら俺も呪われるんとちゃうか?

と、読んでいるときに無意味に後ろを振り返ったりしていた。


日本のホラーは外国のホラーと
怖さの種類がなにか違う。


乱暴にそれを分けると、

外国は視覚的な怖さ
日本は心理的な怖さ


ではないかな。


日本の怖さは心理的なものである分、
作る側と見る側の
共通の認識とか感覚が必要だと思っていた。

でも、日本のホラーは外国にも広まっていっている。
日本のホラーは人間が持っている
恐怖の確信的な部分をけっこう捕らえているのかもしれない。


では日本のホラーと言われているのは
どこから来ているんでしょう。

いまあるホラーはは、現代風にアレンジはされているけれど
基本的には江戸時代に作られた怪談などが
土台になっているように思う。

四谷怪談とか。

日本の文化ということを考えたとき、
江戸時代は、いまに対してかなり影響しているよなぁ、
と思う。

江戸時代といえば、
俺はまっさきに鎖国ということが思い浮かんだのだけど、

外国との関係を絶ったことが、
ホラーに限らずに
現在、日本の文化として外国に発信しているものの
大部分が生まれような気がする。

いまはそれをアレンジしている形かな。


まぁ、江戸時代だけじゃないとは思うけど、
重要な部分を占めていると思う。


といったところで、
いま現在、新たに生まれている日本の文化って
いうものはあるのだろうか?
と思ったわけです。

100年後ぐらいに、
少しづつ見えてくるんでしょうね。
会社のネットワークが
一時不通になってしまった。
午前中だけだったけど・・・


だれかのPCがウィルスに感染し、
サーバに対して
猛烈にアタックをかましていたのが原因だという。

最初は

まぁまぁ、数分で復旧やろー

と、

メールを書いたり、タバコを吸いにいったりと、
悠長に構えていた。


が、

システム担当者が、

いつ復旧するかわからない

とおっしゃる。


こっちとしてはサイト運営の関係で
どうしても
お昼までに更新しなければならないものがある!



結局、

ネット環境を求め、サイトのシステム管理をしている会社に

直接赴く。
電車を乗り継いで。。。

俺自身がパケット通信の一部となった記念すべき瞬間。


でも、今はスゴイすぎことになってる。
どこの会社に行っても一人一台のPC環境。

ネット環境のない仕事のやり方というものが
まったく想像できない。



ちょっと想像してみる。


今の通信手段からいろいろなものを引いてみて、
そして、
引いた結果から出てくる通信手段を考えてみる。


①現在-ネット=FAX・電話
②現在-ネット-FAX・電話=郵便
③現在-ネット-FAX・電話-郵便=伝書バト
④現在-ネット-FAX・電話-郵便-伝書バト-飛脚
⑤現在-ネット-FAX・電話-郵便-伝書バト-飛脚=のろし



②番目ですでに電気というものがなくなり、

③番目までくると
“通信費”ではなくむしろ“えさ代”
と言ったほうがシックリくる。

⑤番目では薪代となる。
裏山から持ってくれば無料である。


①番から⑤番の流れが
合っているかどうかは疑わしい。

いや、むしろ間違っていると思う。


しかし、
いまインターネットというものがなくなったらどうなるんだろう?

と思うけど、手段はイロイロある。


実際できるかどうかで言うと、

“インターネット”は出来るけど、“のろし”は出来ない

ということになるのかな。


これを進化というのか、退化というのか。


まぁ、“のろし”をやろうと思えば、
どんなのか、なんとなくの知識はある。


できるかどうかは別にして・・・


となると、

進化とはできるかどうかは別にしての『知識の量』

となるのか。


・・・・行き止まり。




世界の中心で、愛をさけぶ

なんやセカチューって。
なんか、流行りすぎててイヤ。
純情モノ? アホか。



とかなんとか、思ってたけど、
何気にレンタルして見てみたら・・・

面白いやん。いい話やん。よくできてるやん。

と、不覚にも、
今さらながらにウルウルと感動してしまった・・・


しかも、セカチューとは訳さずに

「世界の中心で、愛をさけぶ」

少なくとも

「世界の中心で」
と、しっかり言い切って欲しい!


という変な思い入れまで芽生えてしまった。。。


はいはい、時代のトラックに10週ぐらい遅れております。

だって、プロモーション映像が
男女2人が写って、
タイトルそのままに男が叫んでる映像が流れてたやん。

あらあら、ほんとに叫ぶんや・・・
なんか取るに足らない、単純な映画なんやろなぁー。

と、思ってたわけですよ。


良かった点。
・長澤 まさみがカワイイ
・山崎 努のダルそうな、力の入らない演技が落着けた
・心に残るいいシーンとイイ台詞を発見できた



そういえば、長澤まさみは
日本アカデミーショーの助演女優賞に選ばれていましたね。
柴崎コウよりも圧倒的に出演時間は長いのに、
助演なのか?

主演と助演の決め方が良く分からない。


まぁ、良かった点の1番目と2番目は
見ればそのまま提供される。


3つ目の「心に残るいいシーンといい台詞を発見」
でいくつか挙げると、

①空港で飛行機の待っているときの亜紀の台詞
朔太郎の誕生日は11月2日、私は10月28日。
朔太郎が生きてる間、
私がこの世に存在していない時間はなかったんだね。

のくだり (ウル覚え、ニュアンス的書き起こし)

セリフというより、
そんな考え方をもらえたことが嬉しかった。

思わず自分の周りで、
俺が持っている時間を過ごしていない人は・・・
または、
俺が持っていない時間を過ごしている人は・・・
と、回想させられた。


②亜紀という名前の由来

最近はよく、
「コレはなんて読むの?」という、少し凝った、
親の愛情がチョットはみ出ているような名前を
見ることが多い。
少し押し付けがましさを感じるときもある。
まぁ、それはそれでいいんやろうけどね。

しかし、
この“亜紀”という名前はシンプルながらも、
その由来は親の愛情深さを感じる。

「結婚して女の子供ができたら付けたいなぁ・・・」
一瞬。
いつくるとも分からない未来空想旅行をさせられてしまった。


③ラストシーン
「ここに来てみて世界の中心がどこか分かったよ」
と朔太郎が言うセリフと映像の流れの組み合わせ。


「世界の中心がどこか」
については明言していないけど、
映像によって、
それがどこかをうまく表している。

はっきりと言い切ってしまわず、
いい余韻を残して締めくくってくれた。


ちょっと、熱く語っている自分が恥ずかしい。

でもいい映画や。
見ても損はないと思う。
腰がイタイ・・・

腰痛へのファーストコンタクトは、
去年の年末に、飲んで帰って、そのままの勢いで就寝。
勢いあまった姿勢で寝てしまったため、

腰を寝違える。


まぁ、正月はイタイ、イタイといいつつも、
そのまま、見てみぬフリをして直してしまったけど、

先週末に再び再発。


年末のものが影響しているのかどうかわからないが、
同じ腰でも、痛みを感じる場所が違う。

しかも、右足の太ももの表面に若干の痺れ。


右足の太ももの表面だけ

こういうところが、中途半端でなかなか俺らしい。
心配していいかどうかの判断を鈍らせる。


試しに、インターネットで“腰痛"といれて検索をかけてみると、
検索結果のトップに

『腰痛NET』

なんとも今の俺にピッタリなサイトを発見。

腰痛で苦心するというは、なんとも辛気臭い。
“ようつう”という言葉の響き自体が辛気臭いな。


読んでみると、『脊椎分離症・腰椎分離症』の症状が一番近いけど、
これも当てはまったり、当てはまらなかったりで
いまいち症状がつかめない。


そんなこんなで、一週間を過ごしていると、
痛みはほとんどなくなった。

が、“右足の太ももの表面に若干の痺れ”の中途半場さ
だけが残る。


というわけで、
いざ近所の形成外科の病院へ。

歯医者、健康診断以外で病院へ行くのは、
さて、何年ぶりだろう?

ほとんど痛みはなくなっていたが、
何年ぶりかに病院にいくというワクワク感に誘われて、
病院にクイクイ引き寄せられる。

初診だったので、いくつかの紙に症状などを書きこんで
いざ、診察へ。

イスに座ると医者が、
素顔を見せず、マスクを被って、ボソボソっと

「どうしました?」

というようなことを聞いてきた。


なんかこの医者やばいなぁ。と、瞬間的に思う。

やばいなぁ、っていうのは、技術云々ではなく、
果たして、この医者は俺を安心させてくれるのか?
というモロモロの雰囲気という意味で。

医者は病気の重い、軽い、治る、治らないに関わらず、
安心、信頼、和み、接しやすさ、頼りがい
といったようなキーワードが大切なように思う。

しかし、この医者にはそういった雰囲気がなさそうや。

レントゲンをとり、
それを見ながら説明をしてくれるのだけれど、

『人間って、100パーセント完璧というところはなくてですね
云々云々・・・生物学的に言えば人間の腰は・・・云々云々・・・』


俺を安心させようとしている言葉が
逆に俺を不安にさせる。



その医者の説明を自分なりに解釈すると、

特に問題なし

である。


「もう一段階上の診察もあるんで、
時間に調整がついたらまた一週間後来てください」

という、抑揚のない言葉を浴びながら診察終了。

たぶん、俺はもうは行かない。


その後、処方箋をもらって薬局へ。
シップ24枚と何故か錠剤をもらった。


24枚という量はおいといて、湿布は分かる

しかし、錠剤って何や?

錠剤は3種類。
その説明を見てみると、


・ロキソニン錠
炎症によるはれや痛みを和らげ、熱を下げる。


まぁ、コレはわかる。


・ミオナール錠
筋肉の緊張を緩め、こわばりや痛みをとったり
血液の流れをよくしたりする。


まぁまぁ、コレも分かる。
でも、薬を飲むとのどが乾いたり、眠たくなったり
するみたい。なんかヤダ。


・イサロン錠
胃腸の粘膜を保護して、傷ついた粘膜の修復を促す。
人によっては、便秘が現れることがあります。


さて・・・この薬をなぜくれたのかが分からない。
診察の段階で、胃腸のことで何の話題も上がっていない。
まぁ、腰痛から胃腸への影響とも考えられるが、
便秘のリスクを犯してまでは飲みたくはない。
3つ目の錠剤でいいオチをつけてくれた。


医療保険の問題でよく言われている

医者は薬をたくさんだしてそれでお金を稼ぐ

これなのか?もしかしてそうなのか?


まぁ、そうであっても、そうでなくても
もらった湿布や錠剤は使わないし、服用しないやろなぁ。

こう思った時点で、
今回診てもらった医者に対して信頼を寄せていない。


結局

俺にとって中途半端な医者の診察は
精神衛生上よくないということが分かった。

やっぱり、医者や病院はよく調べなくてはいけないね。
今日はネット広告のクリエイティブセミナーに行くため、
六本木ヒルズに。

今日は天気もよく、風は冷たくチクチクしつつも
日は光は柔らかい♪

セミナーの一番の目的はCMプランナーの中島信也さん。
前に一度話したとき、めちゃ面白い大阪のおっちゃんで、
作っているCMも面白い。

最近のものでいえばサントリーの伊右衛門がよく目に付く。


しかし、このCMの宮沢りえはいい!

本木雅弘もいい味出している。
CM全体のトーンもよい。

特に、お茶の師匠に認められたバージョンにはやられた。

お茶の師匠(?)演じる三國連太郎に
本木雅弘がお茶を認められた時の自分のように喜ぶさま、
そして、家の門をくぐる時の『手ぇ~え』というイントネーションとその状況。


言葉少ない不器用な男と無条件に明るい女のシチュエーション。


これに俺はやられているのかもしれない。
このバージョンは特にそれがよく表現されていた。


さて、中島さんの講演。

内容自体は、当たり障りのないものだったと思うけど、
演出命だけあって、
プレゼンのうまさが際立っている。

パワーポイントは毛筆風に書かれていていい味出している。
話のテンポもいい。

自分の作品紹介の映像では
学生時代に作った『餃子の歌』にあわせて、
CM映像がテンポよく流れる。

こんなこといえる身分ではないけど、


さすがや。


しかしCMディレクターというのはほんと実力勝負。

名前が表に出ない分、
その人の作風といったものが認知されにくいというか、
CMという性格上、出せないと思う。

このCMとこのCM同じ人がつくったんや
ということが少なからず、自分にとってはよくある。

商品はよく見せないとだめだろうし、
不特定多数に印象を与えなければならない。

自分を中心に置かない表現は、
考えの柔軟性や感受性の鋭さが求められる。

そういうことが関係しているのか、
広告のクリエイターにはクセがありながらも
魅力的な人が多い。


うむ。いろいろ思うところがありつつ、
言葉がまとまらず。


とりあえず、本日は収穫あり。

ということで。
今日はヒョンなことからプロレスを見に行った。
全日本プロレス。代々木第二体育館。


格闘技の観戦経験から言うと、PRIDEは見に行ったことはあるけれど、
プロレスを見に行ったのは初めて。

思い返せば、小学生の時はプロレスは今よりもテレビでよくやっていて、
それなりに熱くなって見ていたように思う。


純粋に、そして筋書きのないドラマとして。


そんな思いで見ていたプロレスを長く遠ざけた一言を
なぜか今でも憶えている。
それだけ小学生の私にとってはセンセーショナルだったのかも
しれない。

ある日、

「プロレスってすごいよなぁー!」

と、家でホッカホカの興奮状態で話したときに兄貴が一言、


「プロレスなんて八百長」


涼しい顔で解き放った兄貴のその一言で、
プロレスに対する何かが湯冷めした。

湯冷めした俺も若かったし、
熱く語る純粋な弟に冷酷に言葉を解き放った兄貴も若かった・・・


まぁ、そんなこともありプロレスから遠ざかっては
いたけれど、プロレス好きな友達がいたりして話を聞いていると、

そうはいっても、プロレスには
筋書きが作られていながらも、
勢力争いがある人間くさいドラマ。
その中でのリング上での鍛え抜かれた戦い。



ひょっとして面白いんじゃないか?


という思いが徐々に心のシコリとなっていながらの本日の観戦。


で、感想は?


申し分なくおもしろい!


試合自体も面白いし、試合を見ながら試合展開を語っているファンもいい。
プロレスが持っている暗黙の了解を共有しながら、
試合自体を純粋に楽しみ、そして熱く応援している。

レスラーのパフォーマンス、そしてレフリーも個性豊かで、
すごく楽しめる。

いや、そんなことを抜きにして面白い!
これから積極的にプロレスを見ていこう。

そんな思いの湧き上がる、プロレス観戦。

いやぁ~、いいもん見せてもらいました。