わかりえないもの芸やスポーツを通じての教育、成熟、人格的完成などを、私としては、説くつもりはありません。 トレーニングとしての上達、いえ、それが安易にとられるなら、稽古といいかえますが、その上達は、「上達していない者には、わかりえない」というのは、当たり前のことと思うのです。 「たまに、うまくできたこと」が、そのときのように、「いつもできるように」というのが目的になることが多いのですが、それらは、、現状の実力の発揮への調整計画にすぎません。本人がやる前から予想でき、その通りになるだけのことだからです。