リターンズもなにも、別に私がしばらく語らなかっただけなんですけどね。
●前者後者論とは
前者後者論というのは、人間は脳のOSによって2種類に分けることが出来るというタイプ論。
最初に心屋仁之助さんが提唱し始めた頃は、論を深めるとかではなくて、互いの違いを認め、ある意味で諦めて、自分らしく生きていこうよという意味での発信だったと思います。
一方で、このタイプ論に自分への謎を解く鍵を見出した人も多く、私がここで言う「前者後者論」というのは、向江好美さんが発見した「2種類の違いは脳のOSの違いではないか?!」から発展して来たもの。
(なので他にも、新たな気づきから展開する論やら自分の特性からより掘り下げた論やら、いろんな角度のものがある)
向江好美さんのブログです。
ちなみに「前者後者論ユニバーシティ」今日から募集だそーです!
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話は戻りまして。
【前者後者論リターンズ】です。
前者後者論の出始めの頃に、よく前者が言ってたんですよ。
自分が無い
って。
で、前者の中にコレにうなづく人は、そこそこ居た。
少なくとも私の視界に入る範囲には結構居た。
一方で「は?」「自分が無いってどーゆーことよ?!」て言う前者も確実に居た。
その違いは何だろう?て思いつつ、コレという答えは見つからなかった。
それから5年ほどが経った今。
「自分が無い」って
どういう状態のことだったんだろう?
てところをつらつらと考え巡らせてみようと思います。
●「自分が無い」って?
「自分が無い」と感じることは私にもあったんですが、でも、「自分」が無いというより所在ない?
確固たる「自己」認識がない。
主張するほどの強い自己感覚がない。
そういう感じ。
対人関係では、集団の中では私から声をかけないと、誰も私に気付かないとか。
(注意を向けられない、気にかける側であってかけてもらえる側ではない)
行動の癖としては、自分の好き嫌いよりもその場の段取りや流れを優先しがち。
なのに、そのことに若干の寂しさや不満を持ちがち。
「場」
を優先しがち、という点においては、ある意味で前者ならではと言えなくは無いと思います。
というのも、この、前者の自己と世界の認識を表した2D図。
自分は多数の中の1人という自己認識。
各々に役割や立場があって、例えば私の母は父の妻で、私の父は母の夫。
それぞれに相関関係があることを、考えるまでもなくナチュラルに分かってる。
(その範囲の広さや角度は人によります)
例)保育園生の頃のエピソード。
私にとっては怖い保育園の主任先生は魚屋のおじちゃんのお姉さん。
だから魚屋のおじちゃんの前では、主任先生の話はしない。
自分のお姉ちゃんを怖いとか苦手なんて言われたら、気分良くないだろうなと子供なりに判断した結果。
そんなに真剣に考えたわけじゃなく、あ、ヤだろうな、やめとこ、みたいな感じ。
ゲーム盤のように、自分という駒も含まれた配置関係で捉えているのに、同時に自分が無いと感じる。
不思議だよなぁ。
●「ゲーム盤」の仕様・用途
私はシミュレーションボードのように使います。
で、盤上では個々の情報をステイタス管理?してます。
実際の、生身の情報ではデータが重すぎるので、
性別
年齢
主な活動や仕事
性格や興味の傾向
湿度
対人スキル
ほか特記事項
こんな感じ。
つまり、記号化して軽く把握して、それを使ってシミュレーションしてるんです。
そして私(シミュレーターの持ち主)の興味に従って「ほか特記事項」のデータが増えます。
もちろん、ここに自分も含まれます。
自分のデータが最も詳細ですが、シミュレーターにおいてはやっぱり軽い。
で、ここでシミュレーションしたように動いてみるんですが、問題は成長するに従って精度が落ちていったこと。
現実とシミュレーションが噛み合わない。
シミュレーター通りに動けない
動こうとすると結構な負荷がかかる
動いてみた後、周りがそれをどう受け取ったか不安になる
現実世界でも自分自身が「記号化」していて軽い、中身が薄く感じる
これ、自己肯定感が微妙に低くなっていく原因の一つでもありました。
シミュレーターの自分の方が動けてるのは、自己評価が高すぎるんだろうか?(´∩ω∩`)ハズカシイ
理想の自分をボードに乗せているんであって、本当はそんな能力ないのかも。
なので、少しずつシミュレーターの自分の動きを減らしてみる。
もしくは現実の自分の手数を増やしてみる。
でも、やってもやっても、想定のように動けない。
これ、そんな昔の話じゃないんですよ。
前者後者論に出会った後、今から5〜6年くらい前の話です。
当時はそれほど客観的には理解してませんでしたが。
その時期と前後して梅田幸子さんの
この記事↓を見つけました。
https://ameblo.jp/11oya/entry-12265063786.html
前者にも後者にも、発達障害は居るらしい。
私はというと、発達障害というほどの困り事はなく生きて来ましたが、それでも身体の使い方は上手くない(不安から手数を増やすためエネルギー漏れ多め)。
コンナハズジャナイ感は常にありました。
「反射」「発達」
この言葉を見た時に、コレかもしれない、きっとコレだ!と光を見た。
モロー反射とは。(チェックリストあります)
頭で思い描いたように動けない。
行動の動機が危機管理…と言うかぶっちゃけて言えば恐怖、不安。
真面目なのに急に全部投げ出したくなる(し、実際投げ出すこともある)。
思いやりのつもりがズレることがある。
自己評価が低い。
これ全部、反射の影響でした。
生存本能優位。
より良く生きたい欲求(大脳)よりも身体の生き残り機能(固める反射・モロー反射)が優位。
だから、そんなつもりじゃないのに、そんなはずじゃないのに、なのになのに、な悲しみが常に自分の根底にあって…。
そりゃシミュレーターと現実のズレも大きくなるよなぁ。
頭に思い描いたことを行動に起こそうにも、生き残りを優先する「反射」という自動的な動きに阻害されるんだから。
断っておきますが、反射そのものは人間に必要なものです。
虫が目に向かって来た時に咄嗟に目を閉じる。
熱いやかんに触れてしまった時、咄嗟に手を引っ込める。
これは目で見て頭で考えるより先に身体が生命を守る動きをしてくれているんです。
それが常にスイッチONになっているから困る。
反射を統合して、必要な時に適切に出せるようになる、それが「発達」です。
そして身体も脳も、いくつからでも育てられる。
私今51歳ですが、ようやくこの、とりとめもない考察を書けるまでになりました。
書きたいと思ったことを書ける、という意味で。
●じゃあ「自分が無い」とは何だったのか。
で、今回のテーマ「自分が無いとは?」を反射という角度で考えてみたら、こんなのが出て来ました。
●本来そうあるはずの、考え、工夫し、協力し合ってより良く生きる核となる自分がどこかに追いやられて見えない。
●生存本能ならあるけどそれだけ。
●恐怖や不安要素、人物に対して、避けたり隠れたり闘う行動ばかりで、平時には行動の動機がない。
●人に語れるような自分がない
などなど。
「自分が無い」を言い換えると「空虚感」になるのかもしれません。
あ、あと、
「怒られたり焦ると頭が真っ白になる」
これ、後者の特徴として初期の頃によく言われたんですが、実は反射の影響であって、後者だけではなく前者もなります。
前者は真っ白になっても思考は止まらない、て部分が違うようですが。
https://ameblo.jp/11oya/entry-12771839052.html
私も良く出会うんですが、自己認識では前者なのに、
※前者後者界隈でもよく勘違いする人が多い、「出来る」「出来ない」などの優劣判断ではなくて、例の2D図がナチュラルな世界観であるとか
何かあるとフリーズするとか、天然ちゃんやから、とか、外から見えた「結果」を元に後者と断定されている人には、反射持ちさんが多そうです。
まぁね。
前者後者にさほど重きを置かない人にとっては、そんなんどっちでもええやん案件だったりするから、当然温度差もあるでしょう。
心屋の人だからって全員が前者後者論を知ってるわけでも無い。
とは言え物事には「そうなる」理由というか大元の原因があって、その結果として「真っ白」になっている、もしくは外部からはそのように「見える」だけなので、表に見える現象だけで判断すると間違いやすいのは確か。
で、心屋仁之助さんの発信と、それを元に向江さんがさらに「こうじゃないか?!」と考察を重ねたものとではまた違います。
なので一言で前者後者論と言っても、思い描くものが違う、という点は頭の片隅に置いておくと良いかも。
また色々思いついたら書きます〜。
ちぃ
反射の統合ワークやってます。
反射についての分かりやすい動画↓梅田幸子さん出演!ときともチャンネル。