シシィが嫁ぐ前の、旦那さんちのてんやわんやを書いた前回の記事。

補足画像作りました。



1848年と言う年は、ヨーロッパ各地で革命だの暴動だのが起きてまして。
オーストリアでは病弱な皇帝の補佐という形で、宰相メッテルニヒが国民の行動を抑え込んでたんですが、余計に不満が爆発しまして、三月革命が勃発。
元凶たるメッテルニヒは罷免されたのですが、結局、フェルディナント1世も退位を余儀なくされました。


フェルディナント1世には世子がなかったので、順番から言えば次の皇帝は弟のフランツ・カール。
でも本人が辞退しまして、いろいろあって(雑)次の皇帝はフランツ・カールの息子のフランツ・ヨーゼフが継ぐことに…。


歴史にたられば言うても仕方ないですが、もし、ここでフランツ・カールが皇帝になってたら…
妃のゾフィー・フォン・バイエルンは皇后にふさわしい働きをしたと思う。
そーゆー教育受けてきたし、素質も自覚も責任感も充分。
けど残念ながら、フランツ・カールが皇帝位を辞退しちゃったもんで、なり損ねちゃった。
会社で言うたら、能力あるのにそれに相応しいポジションが得られなかったキャリアウーマンみたいな。

でもゾフィーは諦めない。
皇后が無理なら皇帝の母になる。
息子を皇帝にして見せる!


かくしてフランツ・ヨーゼフは若くして皇帝の地位についたのですが、事あるごとにお母ちゃんから言われたそうです。
あなたが皇帝になれたのは私の尽力のおかげよと。
だもんで、フランツ・ヨーゼフ皇帝はほぼ母親の言うことには逆らわなかった。
ただひとつ、シシィとの結婚を除いては。


本来、フランツ・ヨーゼフのお見合い相手はシシィの姉のヘレーネでした。
シシィはついでにフランツの弟と上手くいけばめっけもんくらいの感じで同行しただけ。
でもフランツ・ヨーゼフが恋をしたのはシシィの方だった。


そーなんですよ。
万事母の言う通りの皇帝が、皇帝としての義務を当たり前に果たす従順な若者が恋をしたんです。
皇后っていう窮屈な椅子に座るには自由過ぎ子供過ぎる少女に。
人は自分にないものに惹かれるとはいうものの…。


出会いの頃はシシィ、15歳。
お姉ちゃんのお見合い相手が自分を選んだことに、申し訳なさと同時に多少なり優越感とか、王子様(皇帝だけど)に選ばれた嬉しさが皆無だったとは思えない…。
とか言いつつ実際お妃教育が始まったらストレスでキィー!てなってたみたいです。
そりゃそうだろう。


ちなみにミュージカルの方ではゾフィー皇太后の歌と侍女のダンスがすごいことになってるんですが、この歌詞に結婚してすぐの揉め事が集約されております。




夫婦のことから歯の色まであれこれ言ってたのは事実だそうですよ奥さん。
歯の色はねぇ…体質とかもあるからなぁ。
実は結婚が決まってから実際に式をあげる迄にも、あれこれ事細かくゾフィーから指示があったそうです。
15歳の女の子にとっては恥ずかしく腹立たしいことも多かっただろうし、結婚式前に心が折れそう。


ゾフィーにしてみれば、本人は皇后としての心構えも責任感も持ち合わせていながら、フランツ・カールの皇帝位辞退ゆえに皇后にはなれず、息子故にいきなり皇太后になりました。
なのに、皇帝に嫁いでおきながら皇后という責任ある立場を、今ひとつ、ふたつみっつ理解していないシシィは、


自覚もなく行儀の悪い子供


にしか見えなかっただろうし、事実そうだったんだと思います。
だってそもそも、お父さんに自由主義思想を教え込まれているんだもん。
街にも出かけるし、乗馬も好きだし、感情隠さないし。
なんならお妃教育の時に教師を務めた伯爵から「共和制っていいよぉ」って教え込まれてたらしい。
専制君主のご家庭とは真逆です。
ゾフィー始めハプスブルク家の価値観と、個を大切にするシシィとでは合うはずがない。


「皇后の務め」のアンサーソング的な替え歌はこちら。


困っちまうコレはパパのせい〜。


だんだん着地点がわからなくなってきたので今日はここまで。
次回に続きます。


ちぃ