今のテーマ、自分で考えること。に関連して、
「体験」する機会をもっと息子さんに。とおっしゃるさちりんさんのコメントからお話しています。
昨日の続きです。
知識と体験。
・知識は、人々(自分以外の何者か)が模範的な解答と判断したものが中心
・体験は、自己実現にむけたトライ&エラーの繰り返し
体験が不足すると
・人々が模範的な解答と判断した姿(知識)と、
・自己実現の最高最良の姿(トライ&エラーの積み重ねの結果)
これらのバランスがとれなくなります。
・人々が模範的な解答と判断した姿(知識)。
多数決が、正しいとは限らないのに、多数決で○が出た答えに、つい安心してしまいます。
体験が足りないうちは、多数決(一見多数決に見えるものも含む自分基準ではないもの)の知識を理想としがちです。
知識を理想とする限り、
現実(生身の自己)と理想の間を、いつまでも、いったりきたりしなくてはなりません。結果、頭の中で、永遠むげんの問いを繰り返すことになってしまいます。人生とは?自分とは?成功とは?理想の男性とは?などなど。
(その知識が、普遍的宇宙的な正解であったとしても、です)
そうするうちに、自分に対して、模範解答の範囲内に収まるように制限をかけてしまったり、模範回答に向けて、強引に自分を動かしたり、体験不足の段階から、理想に執着したり、それができない自分を責めたり、他人や環境を責めたり、フリーズしてしまったり、病気になったりして、そのように行き詰ってしまうケースがとても多いです。
…。
自分の側面を語ってる気もしました。
…。
話をもどして。
多分本当は、この世に生まれてきたら、もっといっぱい失敗していいのだと思います。失敗しながら成功しながら、喜び、トライする勇気を学び、自分の資質を学び、周りの人々に自分という人間を知らせていくのだと思います。
もちろん、失敗前提では困りますけど、失敗前提でもやらないよりマシ。エネルギーが動くから。
…。
…今。
…この上、まだ失敗する気ですか?という、自分への問いが立ってしまいました。
…。
⇒自分に回答。『成功イメージでワクワクしながらトライします』
話をもどして。
ここでひとつ問題が。
「自分が何をしたらいいのかわからない。」
そうおっしゃる方が多いです。
そうおっしゃる方に、私が伝えることは、
「自分が何をしたいのか、知りたいんですね。」です。
それに向かってトライすればいい。
しかし、中には、
「何もしたくない。」
そうおっしゃる方も…。
そのときは、少々強引ですが、
「何もしないで、何をしたいのですか?」です。
たいてい、
「ゆっくり横になりたい。」
「死にたい。」
「休みたい。」
この中のどれかです。
疲弊しています。
死はおそらく、深い休息なのでしょうね。
活動と同じくらい大切なのは、休息ですもんね。
活動に見合った、充分な休息ができるようなシステムになっていないこともあって、本当に疲弊している方が多いです。
疲弊には、活動の質も関係しています。
ワクワクできているか。
交換条件とひきかえの活動ではなく。
無条件のワクワク。
本当の意味での決定を、自分がしたか。ともいえるかもしれません。
そのように、活動と休息の質があがり、バランスが取れてくると、
新たな展開が起こります。
それは。
直感、ひらめきです。
これについては、別の機会に触れたいと思います。
さて、コメントをいただいた、さちりんさんのお子さんは、体験豊かになりそう
ですね、将来が楽しみです。
さちりんさん、途中経過も教えていただけたら、とても嬉しいです。
コメント本当にありがとうございました。
最近どんどん長くなる本文を、
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
徳田美和