RE PRAY  大楽公演ーーその2 | しょこらぁでのひとりごと

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羽生選手大好きな音楽家の独り言のメモ替わりブログです。



 さて、私にしては随分早いと思うのだけれど、早速大楽公演の細部の感想を書き始めようと思う。そうしないと、恐らくnotteまでに書き終わらないと思うから!

果たして書き終わる時が来るのかわからないけれど。。。



最初に羽生選手が白いマント(外套?ここではマントで通すことにします)でリンク上に登場するシーン。ここのブラッシュアップがまず素晴らしかった。


ここの音楽は、実は合わせるのがとても難しいと思う。

ここで出てくる音の部分ーーこのモティーフが16分休符と16分音符で出来ていると考えると、

4分の9拍子になっていると思うのだが、ーーそうでなければ、速いテンポの4分の3拍子だーー途中、恐らくは4分の2拍子の部分が含まれる箇所もある様に感じる。(つまり、4分の9拍子なら休符のどこかの小節に4分の5拍子が隠れてるのだと思う)

《追記:もう一度聴き直したところ、モティーフの小節を数え忘れていたことに気が付き、次回記事で訂正しています。すみません、、、。》


音があれば、さして難しい拍子ではない。

ところが、これは音のない休符の部分が圧倒的に多いのだ。

無音の休符の正確なカウントを取ることは、難しい。


羽生選手はこのカウントをどうやってとっていたのだろうか。

この休符をカウントしながら動くーーしかもスケートでーーというのは至難の業に思える。

音が鳴っていれば、難しい拍子でも練習さえすれば何とかなると思うけれど、何しろ音が無い部分のカウントをとらなければならない。

そうしなければ、映像と合わなくなる。

しかも、ここは羽生選手の動きが映像の動きを導くところなので、映像を追う形になってはいけない。


恐らく、とてつもなく難しかったのではなかろうかと思う。

指揮者がいるわけでもないのだ。


ところが今回は、そんなことを微塵も感じさせなかった。

動きは全て大きく、迷いの欠片もなかった。

全ての映像は、羽生選手が生み出していると感じられた。


途中、水の飛沫を上げるところの最初、あそこは佐賀までは映像が拍より少し早かったと思う。

だから、羽生選手の右手がいつも少し遅れて見えた。

それが今回はドンピシャだった。

ここはもしかしたら、映像が変わった?

実はずっと気になっていた箇所だ。

ぴったりあうことで、段違いの躍動感が生まれる。


その後の羽が舞うところをツイズルにしたのも良かった。《彼が》羽を舞わせているのだと、感じられた。

そして最後、スピンで終わるのも、とても好きだった。羽生選手が水の中に姿を消す感じがして。


とにかく、今回のこのプロローグ部分の羽生選手は、全てを司っている感じがして、素晴らしい存在感だったと思う。

佐賀までのここの羽生選手は、少年のような趣があったと思うが、横浜での白マントの彼は、まさに魔法使いのようだった。


ところで、この白いマントは一体、誰なのだろう?

今回、私には、ゲームの作者のようにも思えた。

ゲームの中の世界を司るものに。

それとも、まだ空っぽの器である、ゲームの中のキャラクターだろうか?

彼の周りでぐるぐる巡る、無数の羽根たちと、

そこに降りてくる、一枚の羽根。

降りてきた白い羽根は、ひとつの命のようにも思えた。

この羽根が、空っぽのキャラクターに与えられた、新たな命なのだろうか。

ストーリー後半最後の部分で、再び投げ上げられる羽根。

そこで語られる、「命は巡る」という言葉。

呼応していると思う。



話を戻そう。


水面に広がった輪っかの中に羽生選手が消えるところから、次の《いつか終わる夢》の始まりまでの流れが美しい。

スピンで消えたことで、水の輪っかの映像への繋がりに余韻を残していて、そこから再び彼の姿が現れるところまでの物語の流れが途切れない。

水のイメージが鮮明になったと思う。


そして始まる《いつか終わる夢》。

羽生選手のスケートの伸びが素晴らしかった。


同じ曲を滑っても、スケーティング次第で、聞こえてくる音楽が違ってくる。

メロディーの美しいフレージング、微妙な色合いに変化するハーモニー、そして同じ繰り返しでありながら、ダイナミックに展開される後半。

この日の演技では、全てがより一層生き生きと表現されていたと思う。

激情、ではなくて。

この感覚は、例えば管楽器なら、より深いブレスで演奏された音を聴く感覚に近いだろうか。

もし曲の妖精というものがいたならば、生まれてきて良かった、と、きっと涙したことだろうと思う。


この『いつか終わる夢』と、『いつか終わる夢:RE』は、どちらも白いマントの人物によって演技されている訳だけれど。

つまり、『いつか終わる夢』というのは、命そのものを指している、と言えるのではないだろうか。



まだゲームに入っていないけれど、今日はここまで。

終わるのか、これ(笑)