先日、スマホの機種を変えた。
古い型だったので、容量が足りず、仕方なかったのだが、キーボードの仕様が変わってしまって、慣れるまで時間がかかりそうだ。
少し憂鬱である。
仕事帰り、バスの中で無性にチャイコフスキーのピアノコンチェルトが聴きたくなって、YouTubeで聴きながら外を眺めていると、不意に子どものころの記憶が蘇ってきた。
私は、今からは考えられないのだけれど(笑)、小学生の頃、学期に一度は必ず熱が出て学校を休む子だった。
朝、熱が有るのが判明すると、母がおばあちゃん(母方の祖母である)に電話する。
母はそのまま仕事に行き、私が熱でうとうとしていると、やがて『おばあちゃん』がやってくる。
そうして、私はおばあちゃんに連れられて、お医者さんにゆくのである。
先生は優しくて、私は先生の顔を見るとほっとする。
お薬をもらって、近くのお蕎麦やさんでお蕎麦を食べて、帰る。
祖母がいてくれるので、寂しくは無かったはずなのだが、それでも母が夕方、帰ってきて門を開ける音がすると、凄く嬉しかった。
二日目になると熱も引いてきて、身体がどんどん楽になってくる。
そんな熱の下がった夕方だった。
多分、日曜日だったのだろうと思う。
母は夕食の支度をしていたのだと思うのだが、隣の部屋でチャイコフスキーのピアノコンチェルトのレコードがかかっていて、
(母はよく、掃除しながらレコードをかけていたのだが)
私はベッドの中でそれを聴きながら、窓の外の夕暮れを眺めていた。
空は薄い水色から薄紫にかわるところで、
薄灰色の雲が浮かんでいた。
私はこの時間がとても好きだった。
音楽は第二楽章に入っていて、
あの穏やかな、優しいピアノの音を聴きながら、
私は凄く幸せだった。
なんて美しい音楽だろう。
そして、この世界はなんて素晴らしいんだろう。
もうすぐ、母が、「ご飯だよ」と呼びにくる。
ああ、私は疲れているのだな。
バスの中で、そう思った。
でも、この音楽は、私をいつも癒やしてくれる。
そこには理屈なんかなくて、
ただ音楽が身体に染み込んでくる。
祖母はとうの昔に亡くなり、
母ももう私にご飯を作ってくれることも無いけれども、
あの時感じた幸せは、確かに存在したのだと、
この曲は思い出させてくれる。
唐突なようだが、羽生選手の演技も、きっと同じようなものなんじゃないかな、と思う。
10年も経てば、私は立派なおばあちゃんだが、
その頃、彼の演技を見返して、
きっと幸せな気持ちになるだろうと思う。
夢中になって彼を共に応援した友達のことや、
このひりひりとした熱も、
幸せな記憶となって、私を癒やしてくれるだろう。
羽生選手、あなたのくれた光は、
今を照らしてくれるだけじゃない。