南光坊天海 ㉜
南光坊天海 ㉜ 駿府に正信が現れた。 家康に謁見すると、「名古屋城の普請についてですが、ここは天下の要地でありますので、お急ぎになられてはいかがでしょうか。」と意見した。 家康はもっともな話だとは思った。確かに名古屋城建設の計画は遅れに遅れているようである。 「上野介、名古屋はどうした。あれから報告がないが、何故遅れているのだ。」と正純に尋ねた。 「はっ、篠山城普請が予定より遅れておりまして、こちらが終わらねば、名古屋に人夫・資材の手配ができません。築城は急がせておりますが、思いのほか硬い岩盤に手こずっております。」という。 すると正信は正純に向かい、「篠山と名古屋とどちらが大切か、考えてみよ。石垣と堀ができたのなら、もうよいではないか。後は城主に任せ、すぐにでも名古屋に向かわせよ。」と言い放ったのである。 正純は憮然として、「しかし、まだ天守もできておりません。城に天守がなければ、まさに画竜点睛を欠くこととなります。」と反論すると、 「聞くところによると、篠山城は広大な堀と高い石垣、枡形に角馬出まで設けているとのこと。このうえ五層の天守を作るのは過剰と言わざるを得ません。過ぎたるは及ばざるがごとし、と申します。そのために名古屋の築城が遅れては何にもなりません。」と断じたのである。 家康の顔は見る見る不機嫌となり、「分かった。」というと奥の間に下がってしまったのであった。 家康は少し気を静めると、正純と資材担当の大久保長安を呼んで名古屋城築城の遅れを叱った。篠山城の工事を早く切り上げ、名古屋に向かうよう命じたのである。 事情が分からぬ長安は「すでに天守の資材は篠山に到着しています。」というと、「そんなもの放っておけ。」と家康は怒ったのであった。 家康が書院に戻ると、まだ正信がいた。正信は平伏すると、 「愚息の不手際をお詫びいたします。」といった。 家康は苦笑いをすると、「親というものは、いつまでたっても我が子の働きが、心もとないものだ。」といった。家康は、秀忠が最近、正信を煙たがっていることを知っていたのである。 「わざわざ、来たのは名古屋の件ばかりではあるまい。」と問うと、 「駿府は良いところにございますなぁ。江戸は暑くて寒いところです。年寄りには堪えます。」というのだ。 「そういうな。色々思うところは、あろうが、御所を支えてくれ。」と家康は宥めるのである。 「実は最近、石見守の良くない噂が流れております。」と正信は言う。 大久保石見守長安は関東代官頭として重用され、関ケ原の後には、佐渡金山や生野銀山などの代官、検分役につき、甲斐奉行、石見奉行、美濃代官を兼任、さらに佐渡奉行、勘定奉行となり、老中に列した。さらに最近では伊豆奉行も兼任し、その権勢は並ぶものがないほどであった。 「独りの者に権力を与えすぎるのは如何なものでしょうか。」と正信が言う。 長安の悪い噂は既に家康の耳にも入っていた。正信が諫言するという事は、既にいくつか証拠を掴んでいるのであろう。 「まぁ、待て。まだ時機が早い。」と家康が言うので、正信は引き下がった。 長安の台頭は大久保一族の繫栄とも結びつき、幕府内の大久保忠隣の権力も増大していたのである。その結果として、正信の立場が弱体化していたのだ。幕府内に大きな権力を持った一族が台頭することは危険である。 「鎌倉の北条氏になりかねない。」と家康は危惧する。危険は慎重に、かつ周到に排除しなければならないのだ。中山正二 編『篠山城史』,本郷大将記念図書館,昭11.国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1185721(参照 2024-10-06)