南光坊天海 ㉔
「慶長十四年七月十四日、家康、板倉重昌ヲ京都ニ遣シテ、宮女処分ノコトヲ奏ス。」(「史料綜覧」)
「慶長十四年京都にて、当今(後陽成天皇)の御いつくしみを蒙る女房廣橋局(廣橋大納言言勝卿女)唐橋局(中院也足軒通卿女)をはじめ五人の女房等、猪熊侍従教利、烏丸大辨光廣、飛鳥井少将雅賢、難波少将宗勝、大炊御門左中将頼国、花山院少将忠長、徳大寺少将宣久、松本侍従宗澄、牙醫兼保備後頼継等に挑まれてしばしば参会し、酒宴乱行に長じけること露顕し、兼保を拷問せられしに、ことごとく白状せしかば、逆隣大方ならず。この輩男女ともに死罪に処せらるべしとの内旨により、京より板倉伊賀守勝重を駿府に召下して、そのことを議せらる。」(「台徳院御實紀」)
若い男はよく一目惚れをする。飛び切りの美女ではなくても、仕草が可愛いとか、ちょっと優しくされただけでも、簡単に恋に落ちるものだ。それでいて冷めるのも早いのが難点である。
その点、若い女は違う。若い女が一目惚れするような色男は100人に一人程しかいない。99%の男はジャガイモか、カボチャである。
しがないジャガイモたちは、惚れた女にせっせと貢ぎ、ささやかなポイントを稼いで好感度をあげる。つまり、もてる男は美醜ではなく、気が利いて、まめに女性に尽くす男なのである。そして、もてない男は、それが良く分からないか、分かっていてもできない男である。
さて、世の中には100人に一人だけ、何もしなくとも若い女が勝手に惚れこみ、キャーキャーと騒いでくれる男がいるのだ。そんな身分になったことがないので、内実は良く分からないが、恐らく女を手玉に取るのも簡単であろう。このような男は見た目だけではなく、知恵も働くので、多くの女性を虜にするわけだ。
しかし若い頃から女にチヤホヤされた男にろくな男はいない。凡そ女に不自由しないので、もてようと努力もしないし、未練も残さない。悪知恵ばかり身につき、女など自分の使い捨ての道具のようなものだと思っている。だから大人の女性になると、99%のジャガイモやカボチャを愛せるようになるのだ。
さて、慶長の世に左近衛少将・猪熊教利という貴族がいた。名前からすると猪や熊のような毛深い山男かと思いきや、天下無双の美男子である。周囲の女どもには「光源氏か、今業平か。」と騒がれたものである。家柄は藤原北家四条流山科家で羽林家であるから、最高位は大納言までなれる家系だという。
教利自身はまず高倉家を継ぎ、次いで山科家の当主となるも、廃嫡され猪熊家の当主になるという複雑な経歴であった。
そんなこともあってか、宮中では傾奇者として知られ、彼の髪形や着こなしが「猪熊様」と称され、京都で大流行したというのだ。
家柄も良く、天下無双の美男子が洒落た着こなしで一世を風靡した、とあっては、世の中の女どもが放っておくわけがない。ついには女遊びが高じて、人妻や宮廷の女官にまで手を出す始末で、「公家衆乱行随一」と呼ばれるほどになった。
慶長12年(1607年)、教利は後陽成天皇ご寵愛の長橋局基子という女官との密通が露見し、帝の激しい怒りを買った。
2月12日、教利はついに「勅勘」(天皇からの勘当)を受け、京都から追放処分となったのである。いち早く大坂に逃れた教利であったが、ほとぼりが冷めると、またぞろ京都に舞い戻った。乱行の納まらない教利は、仲間の公卿を誘っては女官との不義密通に明け暮れていたのである。
後陽成天皇