子年は総理大臣が代わる年!?
いよいよ明日から、怒涛の新年会ラッシュを迎えます。
多くの団体の皆さんにお声掛けを頂けるのは本当にありがたい事なので、来賓として皆さんの前でご挨拶をさせて頂く際に失礼がない様に、前もって今年はどんな年なのか、その団体の近況はどうなのか、と下調べをして行く事にしています。
さて、その中で、今年の干支、子(ねずみ)年の出来事を調べてみました。
そこで気がついたのが、「毎回総理大臣が替わっているんじゃないか?」という事です。
1885年に第一次伊藤博文内閣が発足してから、これまで子年は11回ありました。
その中で総理大臣が替わっていない年は、何と中曽根内閣の1984年、たった一回だけ。その他の10回は見事に総理大臣が替わっていました。
では1984年はどうだったのかと調べてみると、前年の1983年末に総選挙が行われ、自民党は単独過半数に届かない大敗。
中曽根総理は、新自由クラブと、55年体制の下では唯一の連立政権を組む事になりました。
この年(1984年)に行われた自民党総裁選では、結果的には無投票再選となるわけですが、二階堂擁立構想が起こるなど、一筋縄では行かなかった様です。あの歴代最長政権(当時)となった中曽根内閣が、この年に限っては二回も危機を迎えていたわけです。
さて今年は解散総選挙が濃厚と言われています。
現在は「安倍一強」と言われている国政の状況ですが、いよいよ長期政権の緩みが出てきている様にも見受けられます。
政権交代可能な野党は見当たりませんが、自民党内で政権交代が起きる可能性は無きにしも…といったところでしょうか。
いずれにせよ、11回中10回総理の交代が起きている子年。果てさて今年は何が起きるのでしょうか。
2019年を振り返って
私は何と言っても、昭島青年会議所(JC)の理事長として過ごした一年というのがとても大きかったと思います。
うまくいかなかった事、反省点は多々ありますが、その様な中でも東京ブロックにおいて、
・最優秀拡大賞
・女性拡大賞
・最優秀事業賞
この全てを獲り、悲願のタイトル獲得のみならず三冠を達成する事ができたのは、ひとえに現役メンバーの頑張りと、シニアクラブの先輩諸兄姉の力強い支えがあったからに他なりません。
現在昭島JCは、見事に世代交代を成し遂げ、とても良い雰囲気です。この空気感を基盤として、35周年を迎える2020年、日惠野理事長のもと、もう一つの悲願である30名LOMを何もしても達成して、私も卒業させて頂きたいと思います。
さて、政治の分野では、4月には昭島市議選が行われ、私が応援をさせて頂いた小林こうじ候補(4期目)、
そのうち、2人の人間が議員になるキッカケを自分が与える事があるなど思いもよらなかったですが、多くの市民の皆さんのご付託を頂戴し、本当に嬉しく思います。
今後、昭島市の新たな力として頑張ってもらいたいと思いますし、私もしっかりと連携していきたいと思います。
都議会でも様々な経験をさせて頂いた一年でした。
第一回定例会では予算委員会の理事として、予算委員会質疑に登壇。(動画)
『波乱の東京都議会、最終日も応酬 19年度予算は成立』(TOKYO MX)
予算委員会に引き続き、児童相談所一時保護所が、虐待を受けた子ども達の心のケアを行わなくてはならないはずの施設であるにも関わらず、ルールが、“少年院並み”と言われた問題に言及。
局との再三の議論の末、「運営手引きの改正」と「髪の黒染め強制の即時取り止め」となり、一時保護所改革の大きな一歩を踏み出す事が出来たと思います。翌日、各紙でも取り上げて頂きました。
改めて振り返ってみると、感覚的にはそうでもなかったのですが、かなり濃厚な一年でした。
何とか乗り越える事が出来たのも、月並みな言い方になってしまい恐縮ですが、やはり周りの皆さんの支えがあったからに他ならないと思います。
2019年、様々な形で関わり、支えて下さった全ての皆さんに、心から感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
2020年は東京オリンピック、パラリンピックや、都知事選、昭島市長選があります。また2021年7月の都議選に向けて一年を切る年ともなります。
何があろうとも(もしくは何もなくとも)、引き続き愚直にコツコツと日頃の活動を積み上げ、ポスターにもある通り、昭島市民、そして東京都民の皆さんの「学ぶ」「働く」「生きる」を支える都政の実現に向け全力を尽くしていきたいと思います。
何卒、2020年もご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いします。
長島昭久代議士の自民入党について
『自民党への入党にあたって』長島昭久
https://ameblo.jp/nagashima21/entry-12486422479.html私は9年前に長島代議士の秘書として政治活動をスタートし、8年前に市議会議員になりました。
政治家内山真吾の生みの親であり、そこから8年間、特に最初の3〜4年は厳しくご指導頂きましたので、まさに育ての親でもあります。
2年前の都議選の直前、選挙区割りの変更で、長島代議士の選挙区である東京21区から昭島が外れる事になり、その後政治行動は共にしているとはいえ、かたや無所属→希望の党→無所属、かたや都民ファーストの会、と、所属政党まで変わってしまいました。
とはいえ、いつか昭島に戻ってくる、いつかまた同じ政党で活動が出来る、というのを信じてこれまで頑張ってきましたが、それらの望みはほぼ絶望的となりました。
私が長島代議士の自民入党に関してコメントするなどおこがましいので控えさせて頂きますが、長島昭久という政治家を、私は尊敬し、憧れ、彼が国政で力を発揮する事が、本当に国民の為になると信じて来ました。そしてこれからもその気持ちは微塵も変わりません。
自民党へ入党したとしても、まだまだこれからがいばらの道で、これからが本当の勝負となっていくと思います。
心の中で応援をする事しか出来ない無力さが本当に悔しいですが、新たな旅立ちとなる長島代議士に心の底からエールを送りたいと思います。
「未来に誇れる日本」へ…ご武運をお祈りいたします。
これらのかけがえのない日々を糧に、私も私の道を、未来へと進んで行きたいと思います。