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私は地球からできている

自分の地球に対する感触や感想を記録として書きとめておこうと思いました。

これは聖書のコリント人への第二の手紙12章10節に書かれている言葉です。

私はクリスチャンではありませんが、この言葉はいつも覚えています。


しっかりとバイブルスタディーを受けたわけでもなく、

この言葉の意味を正確に理解しているわけでもありません。


恐らく人は弱さを自覚したとき、

神に救いを求め、ゆだねることができる。

そのような神が常に自分とともにいる状態はこの上なく「強い」ということだろうと理解しています。


この言葉と関係するかもしれませんが、

私は、「弱いときにこそ強くなっている」と感じます。


これは筋力トレーニングを例に挙げると、


ウエイト・トレーニングをやれば体は疲労します。

それももう腕が上がらないくらいに完全疲労(オールアウト)の段階までトレーニングし、

そこからトレーニングをやめて、休息に入ります。

この休息期間は使った筋肉によって回復時間が違うのですが、

その回復時間を休息した後に、再度トレーニングをすると、

前回持ち上がらなかった重さが持ち上げられるようになっていたりします。(超回復の法則)



トレーニング終盤では、もう腕も上がらないくらいに疲れ果て、

バーベルを上げることも出来ず、トレーナーに補助をお願いして、

バーベルを上げるのですが、もう自分で上げてる間隔はなく、

トレーナーに引っ張ってもらっている感覚の中、

気持ちだけで「上がれ~!!」と意識しています。

この限界を超えたところの意識がトレーニングには非常に重要です。


実際に私もトレーナーをしていたので、

このような補助をしたことも何度もありますが、

補助をする側からいうと、気持ちだけで上げているつもりのバーベルですが、

実はしっかりと力が入っています。

ただその重さに力が達していないだけで、ぶら下がってるわけではありません。


限界からの努力が人を伸ばす。

そんなふうに思いますし、そういう言葉も聞いたことがあります。


しかしです!

限界から努力と言うのは簡単ですが、実際に行うのは本当に難しいです。


なぜなら、


まず限界までがんばることが難しいからです。



昨日やってみたんですが、

限界まで腕立て伏せをやってみて、

限界から、たとえ上がらなくても力を抜かずに体を上げようとする。

それに挑戦してみました。


そして驚愕の事実が!!??


限界までがんばれなかったんです。

どこかで「もう無理」というあきらめのポイントを自分で作り、

限界前にペシャンコになってしまいました。


限界までがんばれない自分に腹が立ち、

そのペシャンコの状態から「ナニクソ~」って力を振り絞ったら、

なんとまた上げることができました。これは限界に達していなかったことを証明しています。


日常生活の中で、

いつのまにか自分の限界を決め、本当の限界の手前であきらめている。

そんな自分を露呈しているようでした。


これは本当の限界値を下げることに繋がります。

自分で限界をドンドン低くしていたのです。



これはトレーニングや筋力だけの話ではなく、

人生で起こる様々な問題に対する取り組み方にも繋がっていると感じました。



スランプに陥っているとき、

そのときこそ、もがく必要があるのではないでしょうか?

投げ出したら、そのポイントが私の限界点です。

限界点までであきらめた場合、それを超える成長を得ることができません。



人生って、本当に落ち込んだり、やる気がなくなったり、

後ろ向きになりがちなことって本当に多くあります。

そういうときこそが、「がんばり時」なのかもしれません。

そのとき一度立ち止まって冷静になり、自分の置かれている状況を客観的に見て、

まず今何をすべきかを考え、一つずつ、コツコツと、できることを一生懸命やる。

それが人生の筋力を増す方法のように思えます。


もちろん休息も大切なので、

一度ゆっくり深呼吸して、自分の状況を世界の終わりではないことを理解することも大事です。

毎年3万人以上の人が自殺しますが、その理由の全てが納得できるものではありません。

なんてそんなことで自殺したのか?と他人が思うようなことでも、

本人にとってはその時世界が終わるくらいの大きな出来事に感じてしまうこともあるのでしょう。



弱っているときこそ、成長する(強くなれる)チャンスがある。



瞑想しましょう。

何もせずにおとなしく、まっすぐな姿勢で座りましょう。

魂で心を操縦しましょう。

あなたが生きるのに必要な空気もあれば、

多少お腹が空いていても餓死するほどの空腹ではありません。

瞑想することに足りないものは何もありません。

全て整えられています。


つまらない持ち物は全て捨て去ればいいです。


持つからこそ、失うことへの不安が生じます。



「放てば満ちる」



持っていなければ失う不安は存在しません。



人間の「欲」は全てが「幸福」と繋がっています。

しかし、欲を持ち、それを手に入れ幸福になる。

しかし新たに欲が生まれ、それを手に入れようとする。

そんな繰り返しは時間の無駄遣いです。



まず「幸福」を求めましょう。








私は独身なんですが、

最近良くメディアで取り上げられる「年の差婚」「年齢差婚」というものは、

私個人的に言えばあまりしたくないです。


本当に好きな相手なら、




看取ってあげたい




と私は思っています。



多分生物的に女性の方が男性より強いので、

パートナーが先に逝ってしまっても、

その後の余命は、女性の方が圧倒的に長いことも理解しているのですが、


やはり自分が連れ添った相手として、

しっかり看取ってあげたいと思うんです。


これだけは年の差があるから年上が必ず先に逝くわけでもないのですが、

過半数の場合、年下の方が残されます。


もし私が結婚して、

妻が先に逝って、私1人残されるのは

きっと寂しいことだと思います。

統計と同じく、余命も短いかもしれません。


年の差婚を実際にした男性は、

まさか若い嫁を自分が看取ることはないと考えているでしょう。


そして年の差婚をした若い女性は、

年老いた旦那の介護や見取ることをどう考えているのでしょうか?


一度聞いてみたいです。



形あるものはいつか必ず滅びます。


この世の中は、

「生まれること」「維持すること」「滅すること」

で全てが回っています。



彼女の巨乳が三度の飯より好きで結婚した人は、

彼女が乳癌でその巨乳がなくなったら、どうなるんでしょう?

それまでに二人の歴史が作られ、

おっぱい以上の大切なものを見つけられればいいですけどね。


顔も同じです。



全盲の知人に言われたことがあります。




「貴方は目が見えるから嫁選びで苦労してるんじゃない?」



う~ん。深い。


確かにそうかもしれません。



まだまだ目で伴侶を探している間は、

見つからないのかもしれません

まず自分を磨くことでしょうかね?




以前いたウチのスタッフ(女性)が、


「もう男に遊ばれてばっかりだから、次は絶対誠実な男性を見つけます!!」


と言って、

夜、クラブに男性を探しに行ってました。

笑い話ですが、結構こういう人も多いように思います。



誠実な人と知り合いたければ、

誠実な人が集まる場所に行くべきで、

クラブよりもボランティアの方が可能性は高いはずです。


そういう誠実な人が集まる場所で、彼氏彼女を見つけようと思ったら、

自分が誠実でなければ輝きません。



年の差婚って本人同士は年の差を感じてないんだと思うんです。

女性には男性にない「母性」があり、「無償の愛」が本能で備わっているのは

女性だけらしいです。男性は愛された記憶から思考し、女性に自分が受けた愛を

お返ししようとするらしく、男性は「愛」というよりも「大切な人」という認識なのかもしれません。



この女性特有の「母性」は若くても、人生経験がなくても、

持ってるらしく、子供であっても大人の私が「お母さ~ん!!」と抱きつきたくなるくらいの

大きなものを持っています。そして圧倒的に精神年齢も女性が男性より高いです。

だから自分の娘と年齢の違わない彼女がいるオジサンの気持ちも分かります。



年上であっても年下であっても、

生活の基本となる家族になる人なわけですから、

ともに高めあえる関係であることが一番大事ではないでしょうか?

それは、成長した者が相手の成長を伸ばすこともあるでしょうし、

様々なスタイルがあってしかりだと思います。



自分が学歴が高いとか、稼ぐとかそんなどうでもいいことで、

立場の上下を考えるのは愚かです。

喰わせてやってるなんていう愚かで間違った考えが人の世界をおかしくさせてしまったと思います。



そうやって日本は男が外で仕事して、

高度経済成長を成し遂げたのかもしれませんが、

心の豊かさはどんどん衰退していったように思え、

そのような家庭が核家族化で各々の家の独自な価値観や風習やスタイルを生み出し、

それを子供が引き継いで、さらに文明の発展で大切にしなければならないことを忘れ、

どうでもいい価値に振り回され、この世が地獄のように思っている人も少なからずいるでしょう。



大事なことは、

「魂が心をきちんと操縦できているか」

ということです。



それさえできていれば、

人生結構楽しく生きていけるように思えます。



健全な心に操縦できるよう、

今日も瞑想で魂を磨きましょう。



一日が24時間与えられている
ということでしょうか?

だからこそ基準になると思います。

フェアに皆が与えられているものが
基準になるべきではないでしょうか?

時間が存在することとは違います。

短い命も平等に
一日24時間与えられている。
「1秒の長さは皆同じ」
ということです。

その使い方は

未定の未来を
少しでも確定させるために
積み重ねることも
その使い方かもしれません。

お昼まで布団の中で
起きてるのに、
ひたすら横になることも
同じです。

ドラッグや感覚的刺激や
名誉を求めるのもアリです。

平等に与えられていることからこそ
それを基準にして価値を創造すればいい。

例外もありますが、
大体は現在の価値に近いです。

この価値に気付かず、
時間を無駄にしてるのは私です。

一番理解している人の中に
残り少ない人生の時を刻んでいる人
がいます

脳みそごとこの世に残して
魂だけで逝かなければならない人は
自分を離すことなく
自分を見失わず
意識の存在を味わっているでしょう
そのときはじめて
「命」
を知るかもしれない

心の中の自分と
しっかりと対話ができているか?

一人遊びをしてたとき
お風呂に浸かって天井を見てたとき

そのとき私は自分と話していました。

前向きでした。

正面から物事を見てました。
故に傷つくこともありましたが、

前に前に進もうとしてました。

それから、色んな不平等を見て
傷ついて
傷つきたくなくて
自分を守る為に
斜めから物事をみるようになり

心に乱視が症状化しました。
心の癖という感じです。

それから人生が淀み始めました。

心の自分と向き合い
自分を見失わないこと
それだけで人生が満たされます。

類は友を呼ぶので、
そういう24時間の価値に気付いた
友も現れるでしょう。


自分にとって
この瞬間をベストのものにできれば
この世は天国だとおもいます。

正しく真っ直ぐに
瞑想しましょう。