日本人は宗教や神を否定するのが賢い事だと思っている人が多いですが、そういう宗教に対する知識や耐性の無い人こそカルトに嵌りやすいのかもしれません。
旧統一教会やオーム真理教などを見ると高学歴の人も多く、大学構内が勧誘の場になったりしています。
そうかと思えば私の大先輩はロンドンに赴任して早々、現地の人に宗教なんか信じる人は馬鹿だと言ってしまい帰任するまで無視され続けたそうで、「決して海外で宗教を馬鹿にするな」と言っておりましたが、本当に海外で宗教を軽んじるのは止めた方が良いと思います。
それはともかく私は宗教について調べるのが好きで、歴史や政治や経済と宗教の関係を観ると実に面白いと思います。
- 例えば英王室はなぜプロテスタントなのか?
- なぜピルグリムファーザーズは米大陸に渡ったのか?
- 世界の影の支配者などといわれ数々の陰謀論の主役となるユダヤ人(現在はユダヤ人という人種や民族はありません)はなぜ銀行を生み出し、現在の経済の基礎を作り、金融を支配するまでになったのか?
- なぜエルサレムは3つの宗教の聖地なのか?
- なぜアメリカはイスラエル支援を止められないのか?
等々歴史や経済や世界情勢を宗教と共に観ると面白いと思います。
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さて今週はホーリーウィーク。
諸々の歴史がここから始まったといっても過言ではないかもしれません。
今日はMoundy Thursday(聖木曜日)。
洗足(せんそく)木曜日と言われるが、最後の晩餐の日です。
- 最後の晩餐でイエス・キリストが12使徒たちの足を洗ったことに由来しますが、この晩餐が行われる前、12人の弟子たちは誰が一番か言い争っていましたが、イエス・キリストは師である自分が弟子たちの足を洗ったのだから、弟子同士も足を洗いあわなければいけないと言ったとされます。
- 最後の晩餐ではパンとワインで行われますが、パンはキリストの肉を、ワインはキリストの血を意味するようです。
そしてイエスは金曜日に処刑され、日曜日に復活します。
■第一次ユダヤ戦争(西暦66年~74年)
ローマ帝国の属州であったユダヤ地方ですが、地中海文化は多神教の中で一神教のユダヤ教を信じるユダヤ人はローマに対して反感を強めます。
そして反乱を起こし、第一次ユダヤ戦争が起きますがユダヤは破れます。
■第二次ユダヤ戦争(131年~135年)
2世紀に入り再びローマに対する反感が強まり、ローマがユダヤ教の神であるヤハウェ神殿を破壊してローマの神であるジュピター(ユピテル)の神殿を建設しようとした事から第二次ユダヤ戦争が起きました。
エルサレムは徹底的に破壊され、ユダヤ人は奴隷となり新しい市街地にはいっさいの立ち入りを禁止され、ユダヤ人の多くは地中海各地に 離散(ディアスポラ) してゆきました。
■3つの宗教の聖地
そしてこの後エルサレムは3つの宗教の聖地となります。
【嘆きの壁】
この戦争でエルサレムは完全に破壊されましたが、神殿の西側の壁の一部のみが残り、4世紀になって 年に一回、アブの月の九日(ユダヤ歴の神殿崩壊日)にのみ、この壁にすがって祈ることが許されるようになりました 。
これが嘆きの壁です。
【聖墳墓教会】
イエスの死後、弟子たちによって産まれたのがキリスト教ですが、エルサレムにはキリスト教の聖地、聖墳墓(ふんぼ)教会があります。
【岩のドーム】
7世紀初頭に神から啓示を受けたとされるムハンマドによって創始されたのがイスラム教です。
イスラム教にはメッカのカーバ神殿、メディナの預言者のモスク、そしてエルサレムの岩のドームの3つの聖地がありますが、岩のドームの中にあるという聖なる岩は、ユダヤ、キリスト、イスラム3宗教共通の預言者であるアブラハムが息子のイサクを神にささげようとした場所で、古代イスラエル王のダビデと神の契約の箱もそこに置かれたとされます。
■ディアスポラで散ったユダヤ人
ディアスポラで散ったユダヤ人は、イエスを処刑させたため嫌われ迫害されます。
キリスト教社会の中世ヨーロッパでは就ける職業も制限されましたがユダヤ人が就けた職業のひとつが金の預かり商です。
- やがて人々が金そのものよりも「金の預かり証」で取引をするようになり、金の預かり証、例えばロンドンの最大の金細工商の発行したゴールドスミス・ノート(Goldsmith Note)などがヨーロッパの紙幣の始まりとなります。
- また預かった金が同時にすべて引き出されることは無いのに気付き、金の預かり量より多くの預かり証を発行し貸し付けるようになり、これが銀行の始まりと言われます。
- またキリスト教が利息を取ることを禁じていたのに対しユダヤ教は異教徒から利息を取ることは禁じられていない事もあり、貸金業で財を成す者も現れます。
お金がどの様に出来るかはこの動画が分かりやすいと思いますが、意外にもお金は借金によって作られるのです。
オカルトエコノミクスとも言われたサプライエコノミクスのアベノミクスでは、銀行に金を持たせれば市中にお金が回ると考えたのでしょうが、残念ながら民間消費支出が弱く銀行はローンを増やせず、借金でお金を生み出すことは出来ませんでした。
こうして世界各地に散ったユダヤ人の子孫は経済界はじめ多くの分野で成功する者が現れ、後に世界の影の支配者などと言われるようになり、数々のユダヤ陰謀論が生み出されます。
ちなみに日本もユダヤ金融には無縁ではありません。
日露戦争を闘うにあたり、1000万ポンドのポンド建て国債を発行しますが、これの引き受け手がなく苦慮しました。しかしうち500万ポンド(当事の日本のGDPの2.5倍、国家予算の30倍)をユダヤ人銀行家ジェームズ・シフが引き受けてくれました。
しかし日本は日露戦争には勝ちましたがロシアから戦争賠償金をとることができず(太平洋戦争もそれが一因とも言われます)、このポンド建て国債の完済は1986年 (昭和61年)までかかりました。
■キリスト教シオニズム
またシェークスピアの「ベニスの商人」ではユダヤ人の金貸しは嫌われ者ですが、嫌われ迫害を受けた一部のユダヤ人はイスラエルの地にユダヤ人国家の建国を目指すようになります。
そしてそれを応援したのがキリスト教右派のキリスト教シオニズム。
アメリカが大使館をエルサレムに移転して中東情勢の火種に油を注いだのも、国連安保理でガザの即時停戦決議に反対し続けたのも、キリスト教シオニズムを抜きには語れないでしょう。
そんなガチガチのプロテスタント原理主義と違って緩~いのがフィリピンのカトリック。
Loveという言葉が大好きなフィリピン人のキリスト教は私は好きです。