マンゴー。
英語のスペルは”Mango”で「マンゴ」か「マンゴー」か迷うが、発音を聞くと「マンゴゥ」という感じで、どちらかと言えば「マンゴー」でしょうか。
なおこの辺では年配の人は「マンガ」とも言うみたいで、地方によって言語が異なるこの国で細かい事を気にするのは馬鹿らしいことかもしれません。
フィリピンは南北に長い島国で、街ではもう大分前から黄色いマンゴーが売られているが、この辺はまだ緑の実が大きくなり始めた頃です。
南の果樹は成長が早いがマンゴーも成長が早く、しかも結構な大木になります。
これは我が家から20メートルくらいの所に生えているマンゴーで、写真では大きさが伝わらないと思いますが手前の電柱は普通の電柱よりも大分大きな電柱で、実際には大木と言っても良さそうな大きさです。
マンゴーは幹はあまり太くなく、その割に枝や葉は多いのであまり風には強くなさそうで、台風が来たらどうなるか心配ですが、そんなことを心配するのは日本人の爺いだけかもしれません。
電力会社のMERALCOさんもあまり気にしていないようですし・・・・・・。
この木もすでにたくさんの実がなっています。
グリーンの実は酸っぱいですが、こちらの人はこれが好きでおやつ代わりに食べたり、ご飯のおかずにしたり小さく刻んでサラダにして食べたりします。
なお地面近くにもたくさん実がなっており、これなら私にも採れそうなので黄色くなったら採りたいと思います。
こちらは我が家の向かいに生えているマンゴーで、これも所有者はありません。
竿が一本あれば誰でもマンゴーが採れます。
こちらは我が家の庭のマンゴーで結構たくさん実が付いています。
今は自宅のマンゴーの実は温存しておいて、外の木のマンゴーを採っています。
心配なのはマンゴーは成長が早く、呑気にしていると大木になってしまいそうな事で、頃合いを見て切らないと大変なことになりそうです。
話しは変わりますが先日亡くなった漫画家の鳥山明さんはこちらでも有名で、というよりも若い人たちにとってはレジェンドと言える存在で、SNSではすごい反響があるようです。
年を取るにつれて想い出深い人が亡くなることが増えましたが、最近は自分と同世代や自分よりも若い人が亡くなる事も多くなり、寂しさを感じるとともに人生について考えさせられます。
人は皆、死に向ってひたすら生きます。
死について考え、如何に死を迎えるか考えながら生きる事は大切な事だと思います。
お墓や戒名などの心配をするよりも、大切な事は如何に死に向き合い、そして生きるかだと思います。
ガンジーさんは「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」と言いました。
それが出来ていれば悔いのない人生と言えるでしょうが、残念ながら私には到底無理です。
川端康成さんは「人間は、みんなに愛されているうちに消えるのが一番だ」と言いましたが、愛されているからこそ言えること、そのためには愛されるよう生きなければなりません。
残された人生、せめて周囲の人たちからは愛されるよう、自分を戒めて生きたいと思います。
有島武郎さんは「死ぬまで少年の心でいることのできる人は実に幸いである」と言いましたが、いい年をして未だ青くさい考えや幼さを捨てきれない自分は、幸せかもしれないと考えることにします。
何の才能にも財力にも恵まれない平々凡々の人生でしたが、しっかり死に向き合えば幸せな人生だったと思えるかもしれません。