航空機事故の新たな犠牲を防ぐためには事故原因を究明し、再発防止のための措置をとる事が最も重要な事。私も航空機に携わってきた者の一人として、出来る限り正確な情報を残したいと思います。
なお今回、主に次の資料を参考とさせていただきました。
- “日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説”
- “失敗知識データベース-失敗百選 御巣鷹山の日航ジャンボ機の墜落”
- “Lessons Learned From Civil Aviation Accidents Accident Overview ”
- “生存者の証言 -落合由美さんの証言-”
- “Fire on the Mountain: The crash of Japan Airlines flight 123”
- 事故の原因を作ったのは1978年6月2日、大阪伊丹空港で起きた日航115便の尻もち事故です。※尻もち事故の原因となったスポイラーの誤操作に対しては、低高度ではスポイラーレバーを「ARM位置」を超えて引けないように改修されています。
- この事故でJA8119号機は機体後部の圧力隔壁を損傷しましたが、この修理は航空会社に認可されている修理の範囲を超えるため、ボーイング社の修理チームが来日して修理を行いました。
- しかしこの時、ボーイング社から送られた部品の不具合から、誤魔化しの修理が行われました。
- このため上部隔壁と下部隔壁の接続部のリベット列の一列に過大な応力がかかり、飛行による応力の繰り返しから金属疲労を起こし破断しました。
出典:Fire on the Mountain: The crash of Japan Airlines flight 123
この破断箇所から客室内の与圧された空気が、その後部の非与圧域である水平尾翼取り付け部であるStabilizer Comprtmentに吹き込み、➀そのさらに後方にある補助動力装置のコンパートメントを吹き飛ばすとともに、➁垂直尾翼下部のアクセスホール(点検孔)から垂直尾翼内に吹き込み、垂直尾翼後部を方向舵ごと吹き飛ばしました。
ジャンボ機には独立した4つの油圧系統がありますが、方向舵には故障に対する冗長性を持たせるためにアッパーラダーに2つ、ロワーラダーに2つ、計4つの油圧系統全てが使われています。このため全ての油圧系統の作動油が失われ、JA8119は操縦不能となりました。
ジャンボ機など大型旅客機は高度1万メートル以上で巡行しますが、機内の気圧(客室高度)は巡行時でも標高2000メートル(約6700フィート)相当くらいに保たれ、そのために機内は外気に対して最大0.8気圧くらい与圧されます。
日航123便の圧力隔壁が壊れたと推測されるのは18時24分35秒、その時の高度は23900フィートです。
- その時の客室高度は、はっきりとは分かりませんが、5000フィートくらいか、大目に見ても6000フィートまでは達していないと思います。(これは筆者推測です)
- 従って客室高度が10000フィート以上まで上がった時(機内が減圧した時)に作動するCbin Pressure Waningや、14000フィートで作動する酸素マスクとPre Recorded Anouncementが作動(これらは別々のアネロイドスイッチによって作動)したという事は、機内が急減圧したという事を表しています。
それを理解できない陰謀論者は「急減圧なんかしていない」と言い張りますが、その前提では当然合理的な説明は付かず、自衛隊の標的機がぶつかったのミサイルが当たったのなんのという話になります。
■離陸12分後からの経緯
1985年8月12日 18時12分に羽田空港を離陸した日航123便JA8119は、12分30秒後の18時24分35秒、高度23900フィート、時速300ノットで上昇中にドーンいう大きな音がしました。
この時のことを生存された客室乗務員の落合由美さんは次のように証言されています。(青字は筆者注釈)
午後6時25分ごろ「バーン」という音が上の方でした。そして耳が痛くなった。ドアが飛んだかどうかわからない。」
床下やその他で、爆発音は聞こえなかった。同時にキャビン(客室)内が真っ白になり、キャビンクルーシート(客室乗務員用座席)の下のベントホール(デコンプパネルともいうが飛行中に貨物室が急減圧した時に、機内と貨物室の気圧を平均化して客室床の破壊を防止するための通気口)が開いた。床は持ち上がらなかった。ラバトリー(トイレ)上部の天井もはずれた。同時に酸素マスクがドロップ。プリ・レコーデッド・アナウンス(あらかじめ録音された緊急放送)が流れ出した。出典:“生存者の証言 -落合由美さんの証言-”
この時に圧力隔壁が破断し、APU(補助動力装置)コンパートメントが破壊され、垂直尾翼のアフトトルクボックスが破壊されました。
- 垂直尾翼は下図の黄色線のフロントスパーとリアスパーによって構成されたトルクボックス(アフトトルクボックス)と、フロントスパー前方のフォワードトルクボックスで構成されています。
- スタビライザーコンパートから噴き込んだ空気流によりアフトトルクボックスは破壊され、フロントスパーから前方(フォワードトルクボックス)の下部2/3だけを残して、ラダーと共に脱落しました。
出典:Fire on the Mountain: The crash of Japan Airlines flight 123
客室内が白くなったのは急減圧のためです。
陰謀論者や日乗連はこれが急減圧によるものであることを否定しますが、では他に合理的な説明ができるのか?
- ラバトリー上部の天井が外れたのは、客室の床と天上とサイドウォールで囲まれた部分(客室内)の気圧差によるもの、要するに客室内とスタビライザーコンパートの気圧差によるものです。
- 客室の天井裏は殆どガランドーで、客室内の空気はシーリングパネル(天井板)をとばして圧力隔壁開口部に流れます。
- 空気は流れやすい方を流れますから、シーリングパネルまでの高さしかなく、しっかり固定されている最後部のラバトリーが残っているのは当たり前です。
- シート下のベントパネル(デコンプパネルとも言います)が開いたのは客室内が急減圧したために、与圧されている貨物室との気圧差が生じたためと思われます。
酸素マスクとプリ・レコーデッド・アナウンスは客室高度14000フィートで自動的に作動します。
18時24分35秒に話を戻しますが、これが致命的なイベントで、18時24分36秒以降、ラダーペダル(方向舵を操作するペダル)操作に対し応答が無くなりました。
B747型機は冗長性を持たせるために4つの独立した油圧系統がありますが、アッパーラダーとロワーラダーには各々2系統が使用されており、この時に4系統全ての配管が破損して作動油が流出し、やがて全ての動翼は不作動となり、操縦不能となりました。
次は運輸安全委員会がボイスレコーダーとフライトレコーダーの記録を基に作成した、離陸してからの15分間くらいの経過です。
- 18時24分35秒に「ドーン」という大きな音と共に、前向きに0.11Gの加速度を記録しており、後部圧力隔壁からすごい勢いで空気が噴き出したことを推測させます。コクピットのボイスレコーダーに"Something Exploaded"(何か爆発した)と記録されていますが、この時だと思います。
- この2秒後に客室内高度10000フィートで作動する「客室高度警報音」が約1秒間(3回)が鳴りましたが、客室内の与圧が急激に失われた事を示しています。(事故調査報告書の解説では「離陸警報音または客室高度警報音」と記されていますが、T/O Warning Systemの作動ロジック及び脚のチルトロックの構造上、離陸警報はありえません)
- 18時24分44秒に「PRA作動」とありますが、これは客室高度14000フィートで作動するPre Recored Announcementが作動したもので、同時に客席の酸素マスクも出ます。コクピットのボイスレコーダーにも「緊急降下中・・・・」と記録されていますが、それはこの時です。
- 次にコクピットボイスレーコーダーの記録ですが、動画の1分35秒に"Somthing Exploded"とありますが、これが離陸12分30秒後の18時24分35秒(高度23900フィート、時速300ノットで上昇中)の「ドーン」に対してだと思います。
- そして1分39秒にスコーク77を発していますが、これは 航空機に設置されている識別番号の発信装置(ATC Transponder)を通じて緊急事態発生の信号を出すことです。無線通信機で緊急事態を伝える場合は「メーデー」を発します。
- 1分40秒に機長が"Check Gear"と言っていますが、これは調査報告書の解説の18時24分39秒の青字の部分です。(2分くらいにF/Eが"Gear Five OFF"と、ギアドア(脚の格納庫のドア)が全て閉まっていることを告げます)
- この頃客室では「緊急降下中・・・・・」のオートアナウンスが流れ、酸素マスクが自動的に落下し、客室乗務員が酸素マスクを着用するようアナウンスしています。
出典:Fire on the Mountain: The crash of Japan Airlines flight 123
- 2分18秒あたりで羽田帰還をリクエストし、2分30秒くらいに「レーダーベクター大島」を要求していますが、これはレーダー誘導の方位です。
- 2分53秒くらいに"Don't Bank so much"(そんなに機体を傾けるな)という音声が入っていますが、動翼を作動させる油圧は全く無く、また方向舵も垂直尾翼の大半も失われて激しく‟ダッチロール”と‟フゴイゴ運動”する中で、エンジンの出力制御だけで機体の制御を行い飛行を続けており、姿勢制御が困難なためでしょう。
- 8分過ぎくらいに管制官は位置的に近い名古屋を提案していますが、機長は拒否しています。市街地にある旧名古屋空港に向ったら地上の人も巻き込む大惨事が予想され、絶望的な状況の中でも的確な判断がされています。
- 12分39にF/Eが「R5ドアが壊れた」と言っていますが、R-5ドアのDoor Warning Lightが点灯したようです。
そして32分の苦闘の後、18時56分22秒、右翼端と 4番エンジンが稜線上の樹木に衝突、JA8119はさら進み続け別の尾根に衝突。主翼が崩壊しましたが、さらにそのまま進み続け、500 メートル以上の峡谷を横切り別の尾根の稜線に逆さまに激突し、数マイル離れた場所からでも確認できる巨大な爆発で破壊されました。
乗客乗員の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
後編では事故原因について技術的に解説いたします。