イランの地震 その2 中東の石油  | 夢老い人の呟き

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さてどうでも良い雑学ですが、確実に惚けてゆく爺にとっては忘備録であり、自分の思想の証でもあります。書けるうちに書き残しておきたいと思います。

 

石油はどうして出来る?

 

石油のでき方については「生物起源説」と「非生物起源説(無機成因説)」がありますが、現在最も有力なのが生物起源説の「ケロジェン根源説」です。

「ケロジェン」とは、堆積岩中に存在する不溶性の(有機溶媒に溶けない)固体有機物のことを指し、生物の遺骸が海底や湖底に堆積した後、ケロジェンを経て石油になったというのがケロジェン根源説です。

 

古代の海にいたプランクトンなど海底に沈んだ生物の死骸は、酸素がほとんどないために分解されず

、エネルギーを豊富に溜め込んだプランクトンの死骸が、有機物や無機物を含む泥や砂と混じりながら、堆積層の中に沈んでいき、数百万〜数億年という気の遠くなるスパンをかけ、さらに深部まで沈んでいきます。

 

深さ3000mほどに達すると、下からの地熱と、上からの圧力によって分解が始まり、プランクトンの堆積物は「炭水化物」へと変わっていきました。

こうして最初にできたのが「油母(ゆぼ、ケロジェン)」というロウに似た固形物です。

 

これがさらに分解されると炭水化物が液状化し「石油」となりますが、地熱の温度が高すぎると、分解されすぎて全部がメタンになってしまうので、圧力や温度の条件が良い場所でのみ石油が作られます。

 

 

 

 

 

何処で石油が作られた?

 

石油が出来るためには生物の死骸と酸素が無い事が条件なので、海底や湖底だった場所ということになります。

そして石油生成の黄金期は、2億〜1億4500万年前の「ジュラ紀」、赤道付近のテチス海でした。

出典:テチス海

 

 

2億年前超大陸パンゲアがローラシア大陸とゴンドワナ大陸に分かれ、両大陸に挟まれた、赤道付近で暖かいテチス海ではプランクトンが繁殖し、海流が無いため死骸は流されることなく海底に堆積し、そしてたくさんの石油が生成されました。

 

出典:デジタル大辞泉「パンゲア」の解説

 

ローラシア大陸は北アメリカ大陸とユーラシア大陸、ゴンドワナ大陸は南アメリカ大陸とアフリカ大陸だったという衝撃の事実・・・・。

 

 

中東に油田が多い理由

 

その後ローラシア大陸とゴンドワナ大陸は離れ、北アメリカ大陸はユーラシア大陸から、南アメリカ大陸もアフリカ大陸から離れ現在の形になり、テチス海も無くなりましたが石油は残りました。

それが今の中東です。

 

しかし油田にはもう一つ条件が必要で、それは地層が褶曲して石油が採掘しやすいように溜まっている事です。

 

アラビア半島とペルシャ湾の乗っているアラビアプレートは大地溝帯でアフリカプレートから離れていますが、ペルシャ湾の東でユーラシアプレートと衝突し、地層は褶曲しています。

 

 

 

このためペルシャ湾周辺は地層が褶曲し、石油の溜まっている層が出来たため、油田が多いのです。

 

 

 

 

 

中東の100年

 

しかしこの石油ゆえに中東はイギリスによって第一次大戦に巻き込まれ、イギリスの3枚舌外交に翻弄されます。

 

■フセイン=マクマホン協定

1915年、イギリスはオスマン帝国(トルコ)からの独立を実現しようとしていたアラブ民族に対し、大戦後のアラブの独立を約束する代わりにオスマン帝国への反乱をうながした。

 

アラブ人は、イギリスに協力し、対トルコの反乱を起こす代わりに戦後の独立を承認してもらうため、イギリスと秘密協定(フセイン=マクマホン協定)を結んだ。

  • フセインはアラブ民族運動の指導者で、預言者ムハンマドの血統を継ぐハーシム家の首長であり、聖地メッカ及びメディナの管理権を持つ総督(太守)。
  • マクマホンはエジプトおよびスーダンのイギリス高等弁務官。
  • フセイン=マクマホン協定はこの両者の間に秘密協定として結ばれた。

アラブの反乱

  • この協定にもとづいて、1916年にフセインはいわゆる「アラブの反乱」を開始し、ヒジャーズ王国の設立を宣言、1918年にフセインの子ファイサルがダマスクスを占領し、独立を達成した。

このアラブの反乱を指導したイギリス人が「アラビアのロレンス」として有名なトーマス=E=ロレンスであった。

 

アラブを欺くイギリスの三枚舌外交

サイクス=ピコ協定

  • イギリスはアラブ民族とフセイン=マクマホン協定を結びながら、その翌年(アラブの反乱と同じ1916年)、フランスとの間でアラブ地域を英仏で分割するサイクス=ピコ協定を密約。

 

イスラエル建国を認めた、バルフォア宣言

  • さらにその翌1917年、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド(ユダヤ陰謀論でおなじみのロスチャイルド)に対して送った書簡で表明。
  • バルフォア宣言では、イギリス政府の公式方針として、パレスチナにおけるユダヤ人の居住地(ナショナルホーム)の建設に賛意を示し、その支援を約束しています。
  • 結果的に、中東に存在しなかったユダヤ人国家イスラエルの建国を認めた宣言となった。

第一次世界大戦後、シリアを委任統治することになったフランスはファイサルを追い出したので、イギリスは自己の委任統治領であったイラクの実質的支配権 をファイサルに与え、弟のアブドゥラにはトランス=ヨルダンの支配権を与えた。  

 

 

そして第二次大戦後は欧米の石油権益に蹂躙されることとなりました。

 

 

キリスト教プロテスタント右派の国アメリカ。

 

表には出ないが中東の政治に切っても切れないアメリカのキリスト教シオニズム。

 

プロテスタント右派を票田とする米議会は1995年に在イスラエル大使館のエルサレム移転と、エルサレムをイスラエルのものとして統一する法案イスラエル大使館法 (参考:JERUSALEM EMBASSY ACT OF 1995を上下院とも圧倒的多数で可決していました。

 

しかし歴代のアメリカ大統領はこの法案の実施を阻止してきましたが、大魔王トランプ大統領がアメリカの在イスラエル大使館をエルサレムに移転してしまいました。

 

なぜアメリカ議会はこれほどプロテスタント右派の影響が強いかといえば、完全小選挙区制とその結果の二大政党制ゆえでしょう。

二大政党制を素晴らしいものだと思っているお馬鹿野党もありますが、いい加減に政権交代だの二大政党制だのと馬鹿な事を言うのは止めて欲しいものです。