「ロイヤルウェディング」へそ曲がり考 | 夢老い人の呟き

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なんちゅうヤヤコシイ国だびっくり

日本ではどこを見てもヘンリー王子と報道されているがBBCやNewsweekを見ると「ハリー王子」。

BBC「非英国人のためのロイヤル・ウェディング・ガイド」ご参照。

 

そしてBusiness Insider「なぜハリー王子は「プリンス・ヘンリー・オブ・ウェールズ」で「〜イングランド」ではないの?」を見るとハリー王子の方が一般的なのか?

以下引用

  • ハリー王子(Prince Harry)は公式にはプリンス・ヘンリー・オブ・ウェールズ(Prince Henry of Wales)と呼ばれる。
  • 真のプリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)は彼の父であるチャールズ。1958年からその座に就いている。
  • プリンス・オブ・ウェールズの由来は1301年、ウェールズのカーナーヴォン(Caernarfon)城で誕生したエドワード2世をプリンス・オブ・ウェールズと呼んだことに遡る。
  • 通常、現プリンス・オブ・ウェールズが王位に就いたとき、その称号が引き継がれる。
以下省略
 

 

ロイヤルウェディングといえばもちろんキリスト教式ですが、イギリスはカトリックプロテスタントかご存知ですか?

 

「またキリスト教の話しかよ」と思うでしょうが、現在のパレスチナの混乱の元はここにあるといっても良いと思います。


 

英国国教会はプロテスタントか?

 

キリスト教には大きく分けてカトリック、プロテスタント、正教の三つがありますが、「プロテスタント」はカトリックから「宗教改革」で別れました。

※ 15世紀に活版印刷が普及し、聖書は一般人にも身近に手に入るものになりました。

それが宗教改革を後押ししましたが、キリスト教徒が聖書を購入するようになり、自分自身で解釈を加え聖書を絶対視し、イスラエルとユダヤ人とを聖書の預言の中核的要素に格上げする人たちも現れます。

下図の聖公会はイングランド国教会(の教派)ですが、何とも微妙な位置にあります。

 

カトリックとプロテスタントの違いについては「カトリックとプロテスタントの違い・・・・」をご参照願いたいと思いますが、カトリックへの「抗議(プロテスト)」から、「プロテスタント」となったという事を分かりやすくいうと「ローマ教皇の首位権」を認めないという事のようで、プロテスタントにもいろいろな教派がありますが、全てに共通するのがこの一点です。

 

という観点でみればイングランド国教会はプロテスタントですが、教義などはカトリック的といわれます。

 

 

なぜにイングランド国教会はプロテスタントとなったか?(三面記事的見方)

 

イングランド国教会が生まれたのは教義上の争いから起こった一般的な宗教改革ではなく、当時のイングランド国王であったヘンリー8世 在位1509~1547年: 生涯6度の結婚叫びをしたが、男子後継者はエドワード6世だけで、しかも彼も若くして死去したためヘンリの娘メアリ1世が王位を継承、メアリの時のカトリックへの反動などでテューダー朝は一時混乱したが、次のその妹エリザベス1世の時、ヘンリ8世の作り上げた国教会体制が完成する が王妃であったキャサリンとの間に男児が生まれなかったために、離婚しようとして婚姻の無効を主張したが教皇に認められませんでした。

これはカトリックの国の女性と結婚する時の注意点で、アナルメント(婚姻無効裁判)の訴訟を起こして認められないと離婚できないという事になり、苦労するお父さんも多いようですにひひ。)

 

そこでカトリック教会からの独立を宣言しイングランド国王をトップにおいたのが、現在のイギリス国教会のもとで、当時の教義はほとんどカトリックと変わらなかったようです。
その後、ヘンリー8世の息子のエドワード6世の頃から徐々に教義が、一般的なプロテスタントに近くなっていき現在の形になっていったとの事です。


 

ピューリタン(清教徒)
下図はカトリックから分かれた後をもう少し詳しくしたものですが、「ピューリタン」、「メソジスト」がイングランド国教会から生まれた事が分かります。
 

16世紀前半ローマカトリックを批判したルター、カルヴァンから始まった教会改革はキリスト教をカトリックとプロテスタントに二分しましたが、イングランドがカトリックから離れ、国教会が出来た事情は他の宗教改革とはちょっと違います。
厳格で原理主義的、非寛容的といっても良いと思うカルヴァンの教えに忠実なイングランドのプロテスタントは国教会の中のカトリック的な残存物(例えば聖職者に白い聖職服を着せることなど)を一掃し、純粋化する(purification)ことを要求したので、ピューリタン Puritan 、清教徒といわれ、特に国教会の主教制(国王を頂点とした聖職者の階層制)に対して反発しました。

 

 

ピルグリム=ファーザース

ピューリタンにも国教会から分かれることを主張する分離派と内部から変えようとする長老派などありましたが、17世紀に入り、イギリスのステュアート朝の国王ジェームズ1世は「主教なくして国王なし」と称して国教会の主教制度を柱として王権を強化し、それに従わない聖職者を追放しました。( 国王は原理主義的なプロテスタント信仰を嫌ったために、国教会体制下ではピューリタンは弾圧の対象となった)

それに対して反抗し、1620年、信仰の自由を求めてアメリカに渡ったのが「 ピルグリム=ファーザーズ 」でした。

 

その後、英国では1641年から1649年にかけてピューリタン革命が起き、宗教的内戦を経て王政が復活します。

これを不満としたピューリタンたちは、ピルグリム=ファーザーズがすでに入植していた新大陸アメリカに渡ります。そして、国教会よりピュアなキリスト教(ピューリタン)の理想の「神の王国」を、共和制体制下で創立しました。

こうやってみると独立宣言もなるほどと思います。

「 すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているという こと。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づい て正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったと きには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が 最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の 権力を組織する権利を有する

https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2547/

 

そして、1730年~1970年までに4回の信仰覚醒運動(リバイバル)を経て、現在なお国の基盤と言えるプロテスント信仰が形成され、福音派はとくにアメリカ特有のキリスト教の土着化ともいえる発展をとげてきました。

ピューリタンはプロテスタントでも、とくにカルヴァン派の影響を受けていました。そのため、聖書に書かれていることを絶対視する、原理主義的な傾向を持ちましたが、この傾向が福音派キリスト教シオニストへの流れとなります。

こんな事を言ったら叱られますが、ピューリタンがアメリカに渡らなかったら、パレスチナは平和だったかもしれません。

 

 

こういう事を考えながらロイヤル・ウェディングを見るとまた違った感想を持つかも知れません。

私はダイアナさんのファンでしたので、どうしても素直に見れませんでしたが。

 

ところで下のカーネーションは左がカミラ、右がレディ・ダイアナです。

どちらがお好みですか?