日ソ共同宣言 | 夢老い人の呟き

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 昨年12月、 安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領は北方領土の共同経済活動に関する協議開始で合意しました。


支持率の高い政権に忖度した?マスコミと世論はこれに高評価でしたが、私はこれには疑問で 「対外支援の続き 共同経済活動ってロシアに税金納めるの?」 という記事を書きました。そして今年7月、「世論調査で6割が賛成した北方領土経済協力の行方は?」 という記事を書きましたが、私にはこの経済協力は日本には損な、ロシアに貢ぐようなものではないか?と思いました。

 

ところが今月23日、ロシアのメドベージェフ首相はサハリンで行われた会合で、「北方領土をロシアの経済特区に指定する決定に署名した」 というニュースが報道されました。

これではロシアの管轄下となり、 実質支援といわれる3000億円の経済協力は、まるでロシアに貢いだようなものではないでしょうか?

「朝ナマ」で小林よしのり氏は「安倍首相はプーチンに騙された」と言い、田原総一郎氏は「騙されていない」と言い、どちらも引かずに「騙された」「騙されていない」と子供のように言い合ったそうですが、結果ははたして?

 

 

という事ですが、そもそも北方領土は歴史上どうなっているのか?と 「日ソ共同宣言」 を見てみたいと思います。

しかしこの「日ソ共同宣言」 は、そこに至るまでの過程が大事だと思いますので、少々、いえ、大分長くなりますがそこに至るまでを書いてみたいと思います。

 

ハジマリハジマリ・・・カチッ拍子木・・・カチッ拍子木(←拍子木です。ダイナマイトではありませんガーン

 

■時は1941年4月、アメリカとの対決が不可避であると判断した 「近衛文麿内閣」 は北方の安全を確保したうえで南進策をとる必要があると、「日ソ中立条約」 を結びます。

これは相互に領土の保全および不侵略を約束し、締約国の一方が第三国から攻撃された場合は他方は中立を維持することを約したもので、有効期限は5年満期の1年前に締約国の一方から破棄の通告がなければ、さらに5年間、自動的延されることとなっていました。

 

ところが1945年4月5日、翌年期限切れとなる 「日ソ中立条約」 をソ連は延長しない(ソ連側は「破棄」と表現)ことを日本に通達しました。 実はこの時すでに1945年2月4日~11日にクリミヤ半島のヤルタ近郊で行われた、アメリカ、イギリス、ソビエト連邦による 「ヤルタ会談」 で、ソ連参戦の密約ができていました。 (この後、4月12日ルーズベルト大統領は急死し、トルーマンが後を継ぐ。これが日本にとっては不幸だったかも知れません。ルーズベルトだったら原爆投下は無かったかも知れない・・・・)

 

ここに一つ大きなポイントがあると思いますが、ヤルタ会談ででは米英はソ連にも手伝ってもらって日本を降伏させようとしています。

しかしそれから5ヶ月後のポツダム会談ではその姿勢が変わり、ポツダム宣言はソ連抜きで勝利する方針に変っています。

それはなぜか?・・・・・ともったいをつけて続きを読んでもらおうというセコイ作戦です。ガーン

 

■ナチス・ドイツ降伏後の1945年7月17日から8月2日にかけ、ソ連占領状態となったベルリン郊外のポツダムにおいて、米国、英国、ソ連の首脳が、第二次大戦の戦後処理について話し合う 「ポツダム会談」が行われました。

その会談中、7月26日に米トルーマン大統領、英チャーチル首相、中華民国蒋介石主席の共同声明として、日本に対する降伏勧告と戦後処理方針「ポツダム宣言」 が発表されますが、これには太平洋戦争をソ連抜きで勝利しようという意図がありました.。

戦争に勝てないと判断した日本政府は、7月12日、ソ連にいる日本大使宛に、ソ連に和平の仲介を依頼する特使を派遣する予定であることを伝えるよう打電しましたが、その暗号電報は即座に解読され、トルーマンに知らされましたが、トルーマンはスターリンからソ連がヤルタ会談での密約通り8月15日に対日参戦すると聞かされていました。

ところが、トルーマンは、7月21日原爆実験成功の詳しい報告を受け取り、その威力を知ると態度を一変し、東欧問題などで、ソ連に対し断固とした態度を示すようになりました。

 

 

■そして8月6日の広島への原爆投下となりますが、これに慌てたのか、8月15日対日参戦するとしていたソ連は8月8日に対日宣戦布告、8月9日以降満州国や日本領樺太にソ連軍が軍事侵攻しました。

 

蛇足キズヘビですが広島に投下された原爆はウラン型(ガンバレル型)のリトルボーイ。

長崎に投下された原爆はプルトニウム型(爆縮型)のファットマン・・・・・全く違うタイプですうーんはてなマーク

もちろん性能評価がされたでしょうが、戦後、 原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission、ABCC)は被爆者調査を行っておりますので、 「マンハッタン計画」 、広島、長崎と、米国ほど放射線障害のデータを持っている国は ありません。

 

 脱線すみませんでした。m(_ _ )m(

 

 

そして先日書いたように、ポツダム宣言第9項には「 日本の軍隊は、完全に武装解除されてから帰還を許し、平和で生産的な生活を営む機会を与えることとする。 (現代語訳)と定められているにも拘わらず、ソ連はこれに違反し、57万5千人がシベリアに強制抑留されました。

 

■ここ大事です。

8月15日に日本は降伏し、 9月2日に 「降伏文書」 に調印し戦争が終結 しましたが、この時点ではまだ日本の戦争状態は終わらず、日本は連合国の占領状態となります。日本の連合国との戦争状態が終わったのは1951年9月8日の サンフランシスコ講和条約 締結により 連合国のうち、48ヵ国が署名して日本の主権の回復が認められました

但し、交戦国であった中国(中華民国・中華人民共和国ソ連、およびインド・ビルマ加わっておりません

 

 

 

■では日本とソ連の戦争状態が終結したのはいつがというと、1956年(昭和31年)10月19日「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」 によってです。

 

その第6項賠償請求権の放棄が書かれており、これがのちに1991年3月26日の 第120回国会参議院内閣委員会 で 「 日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、御指摘のように我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。」 という答弁に繋がり、それがその後の個人賠償請求に繋がります。

【第6項】

ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。

日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、1945年8月9日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。

 

 

そしてやっと本日のメインテーマ爆  笑ですが、9項には次の様に書かれています。

【第9項】

9 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。

ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする

 

 

これを読んで当事の人達は歯舞群島、色丹島がすぐにも返ってくると喜んだかも知れませんが、残念ながら東西冷戦の中、いっこうに進展はありませんでした。(なお四島返還論もありますが、それが可能と考える根拠は分りません。確かに戦争前は日本のものでしたが)

そして今日に至っておりますが、どうでも良い事が気になる私は、素朴な疑問を持っていました。

それは国家は法人格ですが、ソビエト連邦とロシアでは法人格が違いますので、日ソ共同宣言は有効かという事ですが、これは引き続き有効だという事で確認が取れています。