【満目蕭然】の巻
■楼閣を見ながら我が身を振り返っている人がいます・・ 「左遷された身にとっては、見える風景も寂しく思える!」 岳陽楼が修築されたのを記念して文章を頼まれてしまった。何か書こうと筆をとるが湧き出る内容は我が身の辛さがにじみ出てしまう。岳陽楼からの眺めは決して悪くはなく、絶景この上ないのであるが、どうしてもフィルターがかかってしまう。致し方あるまい。最後にこれだけは言っておきたいことがある。政治を司る者は、天下の人々に先んじて憂い、後れて楽しむべきである。これが、天下国家の安泰や人民の幸福につながる根本である。 満目蕭然(まんもくしょうぜん) 意味 〇見渡すかざりものさびしいさま。 〇草木などが枯れ果てて荒涼としていてものさびしいさま。 ▼「満目」は、目の届く限り。見渡す限り。「蕭然」は、物寂しいさま。 出典 范仲淹(はんちゅうえん)『岳陽楼記(がくようろうき)』 類語 ・寒山枯木(かんざんこぼく) ・秋風蕭条(しゅうふうしょうじょう) ・秋風落莫(しゅうふうらくばく) ・満目荒涼(まんもくこうりょう) ・満目蕭条(まんもくしょうじょう) 用例 ・冬の新潟県の海辺から日本海を眺めると、満目蕭然として、どうにもやりきれなくなってくる。 ・満目蕭条―寒い季節がやって来た。(島崎藤村「桃の雫」) 【故事】 宋の范仲淹は『岳陽楼記』に「この楼に登るや、すなわち国を去り郷を懐かしみ、讒(ざん)を憂え譏(そし)りを畏(おそ)れ、満目蕭然として、感極まりて悲しむ者有らん」と詠っている。讒言や譏りがもとで左遷された者は、この物寂しい景色にいっそう悲しくなるだろうと、その一人である自分の思いを込めている。 【書き下し文】 この楼に登るや、すなわち国を去り郷を懐かしみ、讒(ざん)を憂へ譏(そし)りを畏(おそ)れ、満目蕭然として、感極まりて悲しむ者有らむ。