■孔子様、息子になにやら小言を言っています・・・

 

「『詩経』や『礼記』をちゃんと勉強しておきなさい!」

 

 あるとき庭を足早に父上の前を横切ろうとしたら、一言「詩経」を勉強しているか?と言われたので「ぜーんぜん」と答えた。すると父親は「人に対して立派にものを言えなくなるから、読んでおくように!」と助言されたので、早速読んでみた。ちょっと偉くなったような気がする。また、別の日には「礼記」を勉強しているか?と言われるので、今度もまた「ぜーんぜん」と答えたら、「読んでおかないといつまでたっても独り立ちできない人間になるぞ!」と脅されたので、早速、部屋に戻り勉強した。超、えらくなったような気がした。

 

過庭之訓(かていのおしえ)
意味 〇父の教えのこと。
〇家庭での教育のこと。
▼「過庭」は、庭を過ぎ去ろうとすること。「訓」は、教えや教訓。
出典 『論語』季氏
類語 ・庭訓(ていきん)
・鯉庭(りてい)
用例 ・彼は過庭之訓をしっかりと心に刻み、念願の大学に入学した。

 

【故事】

 孔子(前551~前479)は長男の鯉(り:字は伯魚)が庭を通りかかったとき、『詩経』や『礼記』を学ぶことを教えたということが『論語』に見える。あるとき、孔子の門人である陳亢(ちんこう)が、伯魚に「あなたはお父様から、何か特別な教えを受けましたか」と聞いた。すると、伯魚は、「『詩経』を学んだか。『詩経』を学ばなければ、しっかりした発言ができない、と言われた。また別のとき、『礼記』を読んだか、礼節を身につけないと独り立ちできないぞ、と教えられた」と答えた。これだけを見れば、孔子はわが子に対して、特別な教育をしなかったように感じられるが、そうではなく、教育は基本的なこと押さえさえすれば充分で、あとは本人の個性を伸ばすように図ったものと思われる。

 

 

【書き下し文】

  陳亢(ちんこう)伯魚(はくぎょ)に問ひて曰はく、子も亦た異聞(他人の聞かないこと)有るかと。対ヘて曰はく、未だし。嘗て独り立てり。鯉趨(はし)りて庭を過ぐ。曰はく、詩を学びたるかと。対へて曰はく、未だしと。詩を学ばざれば、以て言ふこと無しと。鯉退きて詩を学べり。他日又独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰はく、礼を学びたるかと。対へて曰はく、未だしと。礼を学ばざれば、以て立つこと無しと。鯉退きて礼を学べり。斯の二者を聞けり、と。