■白い糸を黄色と黒にそれぞれ染めている人がいます・・・

 

「うゎー、今夜はご馳走にありつけるぞ!」

 

 この白い糸の束、黄色にも染まるし、黒にもなる。つまり、ツボの中の染料の違いによってどうにでもなるということだ。人間の世界に置き換えると、その人間の活動している周囲の環境に染まってしまうということではないか!その人間の一生を左右する最も重要なことが、本人の生まれた環境に左右される、決定づけられてしまうということなのだ。これはあまりにも悲しいことではないか、涙せずにはいられない。

 

墨子泣糸(ぼくしきゅうし)
意味 〇人間は、境遇や習慣によって、また、他人から受ける影響によって、善人にも悪人にもなる、ということ。
〇主体性のもろさを嘆くたとえ。
▼「墨子」は、中国戦国時代の思想家墨翟(ぼくてき)。「泣糸」は、糸を見て泣くこと。
出典 『淮南子』説林(ぜいりん)
類語 ・哭岐泣練(こくききゅうれん)
・揚朱岐に泣く
・岐に哭し練に泣く
・朱に近づけば必ず赤し
・墨子、糸に泣く
用例 ・双子で生まれた彼らはその環境の違いによって墨子泣糸のごとく、まったく違う境遇でくらしている。

 

【故事】

 戦国時代の個人主義の思想家、楊子は(揚朱:前395ころ~前335ころ)は、分かれ道に来て泣いた。「どちらにも行けて、その行き先によって大きな差ができるのだ」。また、春秋時代の非戦論で博愛主義の思想家、墨子(墨翟:前468ころ~前376ころ)は、白い束糸を見て泣いた。「染め方によっては黄にも黒にもなり、色の違いで大きな差になる」といった故事による。それから、『墨子』の中には、次のような話もある。夏の桀(けつ)とか殷の紂(ちゅう)とか、悪王と呼ばれた王の元にいた重臣(悪に染めた人間)がよくなかったために国は滅ぼされたとしている。人間は境遇によって善悪どちらにも変わるということを揚子と墨子という正反対の考え方をもつ二人の思想家が述べているのは興味深い。『蒙求』の中には、「墨子悲糸」「楊朱泣岐」として伝えている。

 

 

【書き下し文】

  揚子逵路を見て之を哭す。其の以て南すべく、以て北すべきが為なり。墨子、練絲を見て之に泣く。其の以て黄にすべく、以て黒くすべきが為なり。