■見た目で着るものや食事をしている女性がいます・・・ |
「なんでも、見た目が一番よね!」
そこの二人!何言ってるのか、聞こえないわよ!大きな声で言ってちょうだい!えっ、私がとってもきれいだって!えっ、この世でこんなに煌びやかな衣装が似合う美人にお目にかかったことないって!そぉ、周りにいっぱいきれいな人いるじゃナイ!そんなことない?そうなの、嬉しいわ!そこの二人、ちょうどよかった。いま、おいしい料理ができたわよ!どぉ、食べない!料理も見た目よね!器がいいと、料理もおいしく感じるのよ、多少まずくてもね。いやだわ、ここの料理は絶品だけどね!器がイイと、さらにおいしくなるのよ!ほんとうに!さぁ、めしあがれ!さぁ、近くによって、私のこと、もっとほめてちょうだい!嬉しいったら、ありゃしない! |
目食耳視(もくしょくじし) | |
意味 | 〇衣食本来の目的を失って外観を飾り、ぜいたくに流れるたとえ。 〇口で味わうべきものを、目でうまそうなのを見て食い、体に合わせて選ぶきものを、耳にした評判から衣服を見て選ぶこと。 ▼「目食」は、見た日のよさだけで食べること。「耳視」は、耳で快く感じたものだけを見ること。 |
出典 | 司馬光『迂書(うしょ)』 |
類語 | ・目もて食らい耳もて視る |
用例 | ・最近のブランド志向は、目食耳視となんら変わりがない。 ・インスタ映えというのがあるが、あれはまさに目食耳視の典型だな! |
【故事】
「目食耳視」とは、衣冠は礼にかなっていれば美しいのに、世人は人の評判を聞いて衣服を選ぶ、これは「耳を以て視る」と同じ。また、飲食は口に適すればよし、しかるに世人は食物にさまざまの工夫をこらし、いたずらに盤案(ばんあん:食物を盛る器)を飾る道楽になりはて、これでは「目を以て食う者」ではないか、と司馬光は『迂書』の中で嘆いている。 |
【書き下し文】
衣冠は容観を為す所以なり。礼に称(かな)へば斯(すなわ)ち美なり。世人其の称ふ所を捨て人の尚(たっと)ぶ所を聞きて之を慕ふ。豈(あ)に耳を以て視る者に非ざらんや。飲食の物は味を為す所以なり。口に適すれば斯ち善し。世人果餌(かじ)を取りて之を刻鏤(こくろう)し(刻み細工し)、之を朱緑にして以て盤案の翫(がん)と為す。豈に目を以て食ふ者に非ざらんやと。 |