識名地区から上間地区へと続く通りは緩やかな丘陵地帯になっており…
ここも繁多川地区同様に、
通りには湧水地が点在していますが…
この辺りの住民には興味が無いのか…?
自治会の予算不足なのか…?
「真珠道」のテーマからは埒外の部類と市当局が判断しているのか…?
説明版とかのアピールは皆無…?
或いは消滅…?
そんなモヤモヤ感の一方で…
「名城歯科」さんの古い看板が…
崩落防止にネットでがっちり固めておくのは配慮なんでしょうが、
配慮するなら看板を取り換えるべきかと…?

「むらやー」とは…
今でも公民館の俗称になっていて「死語」じゃないんですね…


こんなところに、
第一尚氏最後の琉球国王「尚徳王」陵墓跡…
先代尚泰久王の側近としてのし上がっていた金丸(のちの第二尚氏開祖「尚円王」)のクーデターにより王位を失い、
29歳で自害したとも言われている人物ですが…
首里から離れたこの地に何故にポツンと埋葬されたのでしょうか…
尚徳王の養育役であった人物がここの上間地区(上間間切)の領主だったことから…
と云う説もあるようですが、
尚更のこと、
「打ち捨てられていた」感があります…
「シチナンダビラの遺念火」のような「怨念」めいた言い伝えは存在してないようですね…
第二王朝にとっては抹殺したい存在だったのでしょうから…