長州街道ガイドウォーク ~ 小郡地区➈ | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

江戸~昭和時代の山口市小郡の三大名家の話は…
以前にも記しましたが、
「林」「古林」「秋本」家…
林家は、
仁保津地区にあり、
結晶片岩と称される扁平な石が綾織状に積み上げられた立派な石垣の旧家…
古林家は、
山陽街道と石州街道の分岐点隣が本家屋敷跡だと記しましたが、
本家は既に東京へ移転していて、
かつての大地主も、現在は所有地すら残っているのかどうなのか…

で、
秋本家は、
この「古地図ウォーク」のルート後半に登場しますが、
山陽街道沿いの小郡宰判管轄東端、
家業は酒造業ながら、
当時の藩米の搬送や管理を取り仕切っていました。
「造り酒屋」~
江戸時代は「酒株」と称される既得権益によって業界は新規参入を阻まれていましたが、
明治になってその制度が廃止され、
高い「酒税」を負担しさえすれば誰でも営むことが可能となったものですから、
(販売さえしなければ自由に自家醸造も可能な時代であったんです。)
明治時代は各地で醸造所が乱立していました。
小郡でも、
秋本家、長井家、田中家が醸造所を持っていましたが、
「酒税」の負担に耐えられず廃業しています。
(「田中醸造所」は昭和時代まで存続していました。)
小郡は海沿いの町でしたけど、
「椹野川」から引いた灌漑用水路が町の縦横を走っていましたから、
良質で豊富な「水」が利用出来たからなんでしょうか…?
ちょっと経営感覚として軽率な印象はありますけど…
それだけ「お酒」の需要が市井で拡大していた時代だったからなんでしょかね…

イメージ 1
(秋本家本家の名残りはこの駕籠置場石くらい…)

ともあれ、
その秋本家の本家跡は、
現在は某宗教の「道場」が敷地に建っていて建物としての名残りはありませんが、
この大きな平たい岩は…
江戸時代に使用されていた駕籠置場です。
あの「都落ち」の三条実美ら「五卿」や、
藩主の毛利敬親が、
傍の椹野川で「鯉狩り」を楽しんだ際にここに立ち寄ったと記録されています。

イメージ 2
(反対側から敷地を望めば、周囲より格段に上等な擁壁が見られます。)