小郡地区のイベント出発地点は、
「小郡宰判勘場・御茶屋跡」…
「勘場」とは、
江戸時代の「代官」の執務所であり、
公用の宿泊所である「御茶屋」とセットになっていました。
我が国の初代外務大臣「井上馨」も、
かつてはここのお代官様でした。

江戸時代末期の1864年(元治元年)、
「四国連合艦隊」との和議方針を決定した「御前会議」はここで行われ、
高杉晋作、井上馨、伊藤博文が同席していました。
翌年(慶応元年)には、
高杉晋作の決起に呼応した討幕派の諸隊50名が、
ここの代官に軍資金の用立てを強要する事件も起こりました。
慶応3年(1867)には、
第二次長州征伐(四境戦争)での小倉藩との止戦交渉が、
ここの御茶屋で行われました。
長州藩からは、
小田村素太郎(後の「楫取素彦」)が臨みました。

今では、
大きなクスノキが残っているだけの地元公民館ですが、
昭和56年までは、
地元小郡町の町役場だった場所であり、
周辺には、
官庁は警察署から郵便電信局、
民間では銀行、電燈会社(ガス灯)など、
ここが地区の中心地でした。

(ごめんなさい。出典元が不明です。)
これは貴重な古写真です。
北側にかつて「県農業学校」(現在の「山口農高」の前身です。場所は移転しています)があり、
そこからの「小郡市街全景」です。
明治40年頃のものと思われます。
写真左上の微かに見える樹木の場所が、
「小郡町役場」のクスノキと思われます。
これが、
当時の「小郡町」の中心地だったんですね。
当時の「小郡駅」はずっと右側の枠外で、
写真の真ん中右の細長い黒線から煙が吐き出されているのは、
どうも「汽車」のようですね。