長州街道ガイドウォーク ~ 小郡地区② | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

「小郡宰判勘場跡」「御茶屋跡」を南下して直ぐの小さな交差点…
手前右の角地の「藤本金物店」…
イメージ 1
(向かって左側の建物が「藤本金物店」~中央の奥に「宰判勘場跡」のクスノキが見えます。)

古地図には、
ここはかつては「高札場」(こうさつば)があり、
(官が民に下知する「掟」や「禁令」などを公布するための掲示場です。)
その斜め向かいには「天下御物送場」(てんかおものおくりば)と「御手子固屋」(おてごこや)があったことになっていますが、
(公儀専用の所謂「バスセンター」みたいな…宿駕籠、継人夫、継馬が常備された施設があり、
その隣には、宰判内巡視吏員(これが「御手子」と称われます)の詰所がありました。
ここには、元服し立ての若き「山県有朋」も働いていたそうです。)

当時は、
ここが「官庁街」のメインストリートだった訳ですが、
時代が明治~大正になると…
イメージ 2
(「宮市銀行小郡支店」の明治30年頃の古写真です。
「東京駅」を設計した辰野金吾氏による設計なんだそうです。
写真の左奥にクスノキが見えますから、
上の写真の「肉の丸秀」が当所だった訳です。
何だか、角の玄関構えが似ているような…)

民間の経済力もどんどん発展していましたから、
銀行や電燈会社などの各種会社や、
「農協」をはじめとする各種協同組合などが建ち並びました。

イメージ 3
(ここも「宰判勘場跡」の近く~「吉敷郡農業保険組合」「養蚕業組合」の大理石の表札~今は公園の役目を…)