京都おばんざいのお店は「庶民的」であればこそ… | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

京都での「おばんざい」料理のお店探しには…
「庶民的か否か」をキーワードにして、
訪ねるのが楽しむコツなのかな…
と云う気がしています。
「家庭の味とは一味違う…」とか、
「手間を惜しまず…」とか、
「割烹料理のような…」とかの高尚さを「物差し」にするのではなくて…
「女将さんがひとりで…」とか、
「カウンターのみで…」とか、
余り混んでなさそうなお店を探してみるのが…
(それじゃあ、人気のないお店になる? いえいえ、それでもいいような…)

決して、その「ふじ井」さんが、
人気のないお店だと言っているのではありません。
(京都では、芸妓さんや舞妓さんは名刺代わりに所属と芸名が朱字で印刷された団扇をお得意さんなどへ配る風習があるそうですが、このお店の壁にはちゃんと飾られていましたよ。)
大将は気さくな方で、
一元の客にも楽しい話題を提供してくれたり…
カウンターの常連客との会話を取り持ってくれたり…
(沖縄料理店でのようにはいきませんが…)

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料理の方は、
「アジのきずし」に、「秋刀魚の灰干し」、「鱧皮と胡瓜の酢和え」…
(あれもこれもと「子供の注文」ぶりでガツガツと…)
京都ならではの料理の工夫が判って興味深く…
ただ、
新鮮な魚介類なら簡単に手に入る地方からの観光客にとっては、
それらは京都の風情を楽しめる料理ですが、
それ以上のものにはならないような…
(納涼床で戴いた「鮎の塩焼」でも然り)
でも、それはそれでいいんです。
その雰囲気を楽しめれば、
料金が「庶民的」であることで…
十分よい思い出になるような気がするのです。
金銭的ストレスを覚悟してカウンターに座るのなんて、
(銀座とかじゃ、「カウンター割烹」なんてところもあるそうですが)
本末転倒のようですもんね…