本土の「精霊流し」のなれの果て… | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

岡山の田舎に帰っていました。
お盆の時期に帰省したのは久しぶりで…
丁度、ご先祖様達の霊を「彼岸」へお送りする「送り火」の行事に参加してみたのですが…
 
私が学生の時分だった昭和末期に、
それまで、
藁で編んだ「舟」にお札とお膳飯やら砂糖菓子やらのお供え物や供花をご先祖様が道中ひもじくないようにとたっぷり載せ、
道案内のロウソクを灯して川下から海へ流してやる…
「精霊流し」の行事を各家庭がやっていたのですが…
「海の汚染を防止する」ために中止になってしまいました~
 
氏寺の住職が代わりに拝んでくれることになり、
地区の集会所の広場に祭壇が設けられ、
そこに、各家庭から出されるその「藁舟」を納めてから、
恭しく読経して頂くのですが…
その後には、地区を上げての「富くじ大会」が催され、
やれ自転車が当たっただの、
テレビが当たっただのと老親は喜んでいましたが…
沢山納められた「藁舟」は…
まとめて業者に引き渡され、
「燃えないゴミ」として埋められるか、
生活ゴミと一緒に焼却されてしまうのか…
と、シラケていたものでした。
 
そして、
現在は、そんな一応の「精霊流し」のパフォーマンスもあっさりと省略されていました。
各家庭には「お札」1枚のみが事前に配られており、
各家庭でお盆を過ごしたその「お札」を、
「精霊流し」の代わりに、
お寺に納めに行くだけの「行為」に変わり果ててしまっていたのです。
足を悪くした老親は自宅で留守番です。
代わりに「お札」を納めに行く私は、
幼少の頃の、
海辺を流れ去っていく「藁舟」の淡いロウソクの灯を厳かな面持ちで眺めていた記憶を思い出しながら…
次の世代の子供達の「歳時記」はどんな様相になっていくのだろうと…
(それにしても…)
と、沖縄の風土に思いがつい至ります。
 
イメージ 1
(「水棚さん」です。私の幼少期は、お盆前には庭先にこんなものが設えられていて、お坊さんに拝んでもらっていました。)