沖縄では、
人々の生活と「風水」との関係は、
琉球王朝時代の昔から、
仔細では、日々の行事事から…
大事では、都市計画に至るまで…
密接に繋がっていて、
この「風水」のルールに逆らえば、
例えば、
家族に不幸が起きたり、事業に失敗したり…
集落が被害に遭ったり、疫病が流行したり…
首里王朝の王府に凶事が起こって国の安寧が脅かされたり…
と本気で信じられている(いた)訳です。
ここで「風水」について詳細を説明する事はしませんが、
沖縄での「地形風水」は、
「北風が邪気を運んで来て(悪風)、津波を連れて来る」
と云う考え方が基本になっているのです。
ですから沖縄では、
「東シナ海」からの風には「防風林」や「防砂林」…
「太平洋」からの波には「イノー」(サンゴ礁)…
などによる「防護」されている事がキーポイントになっているのです。
住宅建築や都市計画においては。
で、私が5年程以前に、
カヤックの「セルフレスキュー」の講習を受けに、
本部町の「瀬底島」で2日間滞在した時の記憶なんですが…
瀬底島は北方から見れば、「本部半島」と「伊江島」に挟まれた下手に位置し、
丁度、東シナ海からの「北風」が「恩名岳」へ向け吹き抜ける平たい地形になっていて、
強風のため、島の「居住区」は真ん中の丘陵部に集中しているのが特徴でした。
そして、その「居住区」の一帯は高い「防風林」で住戸ごとに囲まれているのです。
滞在の頃は9月末…
地区で行われる「豊年祭」の練習で集落がざわついていたのが印象的でしたが、
その会場になっていた「ウチマンモー・ウフジュク」(どう云う意味なんでしょうか?)と称される広場は、
大木に囲まれた鬱蒼とした森の中の広場なのが更に印象的でした。

(各住戸の屋根を覆い尽くすようなフクギやブーゲンビリアの並木)
その豊年祭の村踊りの練習には、
地元の人々に混じって「移住組」の方々も5名程度参加しておられ、
練習の後の飲み会に私もご相伴に与り恐縮ものだったのですが、
この「移住組」の方々の住まいになっている地域は、
島の集落の行き詰まり辺りにある東シナ海に沈む夕陽が絶景の南面のなだらかな丘陵地の外れでした。
そこは、悠々自適に暮らす人々の瀟洒な建物やペンションなどが点在し、
「こんなところで私も暮らしてみたい…」
なんてつい夢想したものでしたが…
この地域には無いんです…
防護してくれるべき「防風林」の存在が…
ですからその周辺は、
木々は島の西側から南側を吹き抜ける強風で低く斜めに傾いているような場所でした。
つまりは、地元では「居住区」としては「不適」と考えられている地域だったんです。
それで、どうこう「現象」があるとか無いとかのお話ではないんですが、
この島の西海岸は「本島指折りのサンセットビーチ」と言われる「瀬底ビーチ」があって、
その背後のゴルフ場の端っこにあるのが「瀬底ビーチリゾート」の大廃墟…

この廃墟は、
リーマンショックの時代に、計画した開発会社が倒産し、
ホテルとして一度も営業する機会のないまま建設途中で放棄された建物群です。
島一周10km弱をカヤックで巡っていた際に遭遇した光景は、
天に向かって地面が口を開けて何かを飲み込もうとしているような「暗澹」でした。
また、位置にすれば、島の北端が東シナ海に向け晒されている辺り、
カヤックを漕ぐ海上は…
それまで白い砂の海底が見えるようだったのが、
ストンと底が抜けたように極端に水深が深まる場所です。
そこはコバルトブルーの世界から暗転して、
見つめているとそのまま引き摺り込まれてしまいそうな「紺碧」でした。
地元では「瀬底ブルー」と称われていて、
ロマンチックなイメージですが、
私的には、「恐怖の深淵」とでも言いましょうか…
単独でこの辺りを洋行するのはちょっと勇気が要ります。
「瀬底の海は潮の流れが急に変わる場所が多いから素人は単独では危ないよ~」
講習してくれたショップのオーナーさんはそう言っていました。
沖縄の離島や小さな島では大体が、
過酷な生活を強いられてきた歴史を持っています。
瀬底島に限ったお話ではないですが、
所詮、人智で克服しようなどと考えるのが不毛に思えるような…
過酷な自然の脅威が直ぐ傍に拡がっている…
そんな気がします。
それでもそこで生活を送らなければならない人々は、
自然を科学の力で克服するのではなく、
時には悲惨な目に遭いながらも、上手に凌ぎながら共生しているのです。
後進は先人の知恵を軽んじていては痛い目に遭います。沖縄では大体。