「謹賀新年」
とは無関係のお話ですみません~
首里城公園からの那覇市街方面の眺めが好きです。
では、逆の方向から首里城を見上げる眺めはどうかと言うと…
城の近くまで住宅街が迫り上がっているので、
夜間を想像するに…
まるで「要塞」のような…
城にもスポットライトが当たるので、ちょっと神々しい眺めが期待出来そうですね。
で、その「逆の方向」と云うのは何処からかと言えば…
城の北側なら「末吉公園」、
南側なら「繁多川公園」、
となる訳ですが…
どちらにしても「夜間」に訪れる勇気は…
私にはとてもありません。
「末吉公園」は、
「琉球八社」の一つ「末吉宮」の「境内」一帯の総称なんですが、
これが広大な森で、
日中でもちょっと道を外れて迷いでもしたら奥の方へ引き摺り込まれそうな怪しい雰囲気です。

(末吉森から首里城を望む~手前は「ゆいレール」の高架)
そして、
「繁多川公園」の方は、
これと言って変哲のない小さな公園なんですが、
「首里金城町石畳道」を下って安里川を跨ぐ「金城橋」からずっと登り道になっていて、
この公園の上手の「識名宮」(これも琉球八社の一つですね)辺りから、
「識名霊園」に至る急勾配の坂道が、
「識名坂」(シチナンダビラ)と称われていて…
当時、私は何の知識もないまま、
「ついでに"識名園"を見学してこよう…」
と散策気分で歩いていたのですが、
突然目の前に展がる「破風墓」の「団地」群の異様…
ここは、琉球王朝時代からの由緒ある霊園で、
奥に行けば古い門中の「亀甲墓」群があるのですが、
戦後になって那覇市の都市計画により市営墓地と指定されたため、
新しいお墓が次々と「新設」されるようになり、
道路脇辺りではこのような新型の「破風」型が…
それこそ、道の両脇を埋め尽くすように並んでいるのは圧巻です。

(繁多川公園から首里城公園西側を望む)
さてこれが、単なる墓地なら「圧巻」の感想で済むのですが…
この地域は、
かつて「琉球芝居」でよく上演されて有名になった、
「シチナンダビラヌイニンビ」(「識名坂の遺念火」)が出没すると言われている場所なんです。
ここで詳細を説明するのは省略しますが、
王朝時代に「金城橋」で無念の死を遂げた夫婦の所謂「人魂」が、
「識名坂」を上っていく…
そうです。
私がそれを確認した訳ではありませんが、
深夜のタクシー運転手さんは、
この「識名坂」界隈を通るのを嫌がるそうですので、
機会があれば試してみたらどうでしょう…
(私は嫌です。)
いずれにせよ、沖縄中部から南部にかけての、
大概の「○○台地」や「○○坂」(「坂」を「ビラ」と言うのは「平」を意味しているものと思われます)と称われるような場所では…
かつての「沖縄戦」の激戦地だった場所なんで、
集落が根こそぎ焼き払われていたり…
無念の死を遂げた沢山の住民達の遺骸が折り重なっていたり…
今でも、川底から当時の破片が発見されたりしているので…
南部の「ガマ」では、今でも人骨が発見されることがありますし…
戦後の「傷跡」は完全に癒えている訳ではないなと…
そんな地域での物見遊山の軽はずみな行為は慎んだほうがいいと心からそう思います。