京都の「鍾馗さん」と沖縄の「シーサー」 | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

今年の我がfamilyの動きはダイナミック~
娘の大学卒業と就職…
息子の大学入学と引越し…
そして、つい一昨日には、
愛すべき我が家の"うさピョン"の昇天…
私達夫婦のみが後に残され、
戸惑うばかりの図です~
 
とは言え、
子供部屋が解放され、
狭かった我が家も書斎が増え、
執筆活動の幅も拡がると云うもの…
 
息子の引越し作業で2年ぶりに京都に滞在~
引越しシーズン真っ只中で、
何処の宿泊先も満員…
息子の新居の散乱する荷物群の間隙にダンボール3枚を敷いて野宿状態…
首筋は凝るし、背中が痛むし…
 
そんな中で時間を見つけて京都の街中を散策~
画像は町やの軒先に鎮座する「鍾馗さん」…
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この風習の起源は、
江戸時代中期と比較的歴史は浅く、
一見、沖縄の「シーサー」の風習と同じように見えますが、
それが設置されているのは商家とか財産をある程度有していたような邸とか…
「自然に対する畏敬の念」が厳然と残る沖縄とは、
根本的な発祥の根拠が決定的に相違しているように思えます。
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中には、「大黒さま」や「恵比寿さま」があったりして、
「蓄財」願望の強い「鬼瓦」のジャンルに嵌るのではないでしょうか。