(…「"美麗島まで"~沖縄もの書籍ありんくりん」から続く)
これから記述する内容はあくまでも私個人の意見であり、
読み手によっては、不快だとか、侮辱的だとかのご批判を受けることになるかも知れませんが、
極力客観的に、ニュートラルな立場で申し上げる積もりです。
この本の著者自身も、
直系尊属の両親のことを、ここまで冷静に評価していいんだろうか…
と感じる程に冷徹なリポーター役に徹しています。
ですから、読み手の皆さんにも、感傷的な部分は一切排除したところで吟味して戴きたいと思っております。
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彼女の父親の地方公務員の給料では、家族7人の生活を維持するのは大変だったことでしょう。
母親の生活態度が多少放漫だったこともあり、
質屋との頻繁な関わりや、沖縄の祖父への度重なる無心が、生活の苦しさを想像させます。
戦後の混乱期の中にあって、公務員として安定した収入を得られていたのは幸せな話なのかも知れませんが、
祖父の朝保やその弟朝光のスケールの大きさに比べて、
この夫婦の慎ましさがとても気になりました。
ラジオパーソナリティだった母親は、「箱入り」の世間知らずの女性…
都庁職員でそれなりの知識人だった父親も、安定していた沖縄での生活を投げ出してまで上京した決断力の持ち主の筈が、その職歴は閉鎖的で知識欲だけが深化していたような世間ズレの無さが伺えます。
考え方によれば、両人とも、純粋無垢なまま人生を全う出来た稀有な存在だとも言えるのですが、
言い換えれば、周囲との関わりを避けようとする隠居めいた生活ぶりが伝わってきます。

(お墓参り)
今でこそ、本土各地の沖縄県人会の自負心と存在感は物凄いものがありますが、
当時の東京や大阪で暮らしていた:県人の人々が置かれていた境遇は…
歴史の波に翻弄され否応無く留め置かれていたものや…
沖縄へ帰ろうにも戻るべき故郷が失われていたり…
戻るための交通費の捻出が出来ず歯を食い縛っていたり…
謂れ無き社会的差別に虐げられていたり…
そんな、悲嘆や苦渋、辛酸の中でも耐え忍んできた経緯が厳然としてありました。
この場でその良し悪しを論ずるものではありませんが、
そんな県人の人々の境遇を、この夫婦の生活ぶりが象徴的に投影していたのではないかと…
そのように推察するのです。
何度も書きますが、
ここまでご自分の肉親のことを客観的に冷徹に表現してしまう著者の筆捌きには脱帽してしまいます。
と同時に~
これだけ波乱万丈の人生を送ってきた一族の、
彼女もその一員であることを、
とても羨ましく思っている次第なのであります。