中城城址周辺の霊所のこと | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

その中城高原ホテル跡は、中城城址の敷地続きにあります。
途中にはロープが張られ、城址区域とは無関係である旨の説明板と「立入禁止」の看板が掲げられていますが~
開放的廃墟の魅力に抗えず進入してしまいました。
(良い子の皆さんはマネしないで下さいね。サンダル履きやハイヒールとかは厳禁ですよ !)

ここは、開業前に経営法人が破綻したもので、
家具類や家電類が無い分、「すっきりした廃墟」とでも言いましょうか。




ところで、中城城址の正門は、この廃墟側にあります。
見物客が通常出入りしているのは裏門に当たるのです。
土産物屋さんさ冷し物屋さんが並んで賑やかな(?)裏門に比べ、
正門はひっそりとしていて、
誉ある「世界遺産」の碑は、草茫々の中で寂しげです。

この正門から西方面が尾根(高原状)になっていて、
そこにホテル廃墟が陣取っているのですが~
ここを突き抜けて更に尾根を進んでいくと、亀甲墓や拝所が現れてきます。
突き当たりには、小さな鍾乳洞があって、
その奥には何やら厨子甕らしきものが見え、それ以上は畏ろしくて腰が引けてしまいました。
その手前には、鳥居(塩ビ製?)を構えた小さな祠があり、
「中護敷辨受姫御世」と刻まれた石碑には、「三つ巴」の家紋が施され、ノロ司による建立だと顕示されています。
「中護敷」とはナカグシクであり、即ち「中城」の意、
中城の「弁受姫」の御世とは…
中城城址には、「護佐丸」按司に纏わる話は有名ですが、
周辺には、「伊壽留」按司の墓とかもあり、由緒のありそうな雰囲気です。
城址周辺は、霊的スポットであると言わざるを得ません。
そんな場所に、世俗的な観光ホテルを建設し金儲けしようとした心根が理解出来ません。
きっとバチが当たったに違いありませんね。



廃墟ホテルの玄関前は、所有者による、時の中城村や北中城町に対する怨念を書き記した「告発状」が貼付されたまま…
ただ、風化の時を待っているようです。
(近々、撤去されると云う話もあるようですが、真偽は不明です…)