再び「真壁ちなー」のお話です。
この「ちなー」とは屋号のことなんだそうです。「喜納」(きな)です。
お店のオーナーさんの曽祖父の時代(明治24年)に建てられたもので、
地元の有力者だったのでしょう、沖縄終戦直後は旧村の役所や診療所としても利用されていたことがあったそうです。
築120年以上と云う凄まじい年数を経てきたこの建物には、

様々な家族の歴史や、時代の変遷の記録が、正に刻み込まれています。
丁度、私が食事をした場所が、「一番座」と称される奥の座敷に当たるのですが~
そこの縁側に迫り出している太い梁には、くっきりと弾痕が残っていて、
弾丸が潰れてめり込んでいるのか鉄片の一部を見ることが出来ました。
周囲を見回すと、やはり柱のあちこちは被弾して木片が飛び散った跡が判別出来ました。
沖縄戦の痕跡は、南部地区では珍しいものではありません。
この辺り一体はなだらかな起伏の高原状になった地形ですから、
戦況が悪化して、激戦地の前線が南下するに従い、
人々の生活があった集落は絨毯攻撃を受けたように、凄惨な廃墟と化したであろうことが想像出来るのです。
一部のガマでは、今でも人骨が発見されることがあると言われます。
林地では、古い薬莢のカラが落ちていることもあるそうです。
終戦から65年も経ち、我が国は安穏の恩恵を享受していますが、
まだ癒されていない部分が、深奥には残されていることを理解しなくてはなりません。
話は「真壁ちなー」の建物の歴史に戻りますが、
茶処として開業したのが平成10年~
18年には、母屋と石垣、井戸、ワーフールが県の登録有形文化財に指定されています。
「ワーフール」はご存知ですね?
豚小屋に直結したトイレのことです。
昔は、豚は人間の生活に正に密着していて、
人々にとっての血となり、肉となり、金となったんですね。
私の知人の山入端さんは、宜野湾市に実家がありますが、幼少の頃はまだあったそうです。ワーフール。