ヒステリックな世の中~再考 | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

世間の「懐の浅さ」について、再び思うことがあったので、記しておきます。

知人の派出所の警察官がしみじみ「恐ろしい…」と愚痴ってました。
スイカを一つ盗んだ小学生を拘束して派出所へ連れて来て、
「直ぐ逮捕してくれ!」と主張する農家のおじさん~
その知人が小学生の頃は、スイカなんか何十個でもヤッてたから、
「俺だったら、何回逮捕されるかなぁ…」

「子供には、よく叱っておきますから、今回はそれで許してやってもらえませんか…」
逆恨みされないよう丁重に説明してから、その場は何とか凌いだとのことでした。


これもまた知人の公務員ですが、
来客中に、近くの職員がマンジュウを頬張っていたのをその来客に見咎められ、
「この税金ドロボー!」と罵られたそうです。
その人の主張によると~
「マンジューを一つ食すのに2、3分。これを毎日繰り返して一か月1時間の浪費。とんでもない税金の無駄遣いである! とても不愉快である!」

まぁ、来客の目の前で、呑気にマンジューを頬張る職員も無神経ですが…
勝手に毎日分を累積され、「税金の無駄遣いだ」と罵倒されるのは、ちょっと…
お茶も飲まない、無駄口も叩かない、呼吸もしない、丸でロボットのような公務員像を求めているのでしょうか…


物事を批判するのは容易いことです。
「自分はこんなに不愉快な思いを強いられている」と感情的にエスカレートしてみせれば、結構世間に通用するんですね。
組織がクレームに対して毅然と対応することに慣れておらず、「道理が引っ込んでしまう」と云うか。
指摘されたことは弁解の余地はありませんが、「幾ら何でも、そこまで言いますか?」と云うところまで事態が至ってしまっているんですね。短絡的に。


時間の観念がズレていても気にならない~
少々指摘されるようなことがあっても、「さぁ~、何でかねぇ?」でそれ以上追及されないテーゲーさ~
相手を批判しても、窮地に追いやるのではなく、「逃げ道」を用意しておく~
そんな寛大さ、懐の深さを世間に求めるのは無理な時代になってしまっているんでしょうかねぇ…

沖縄ならそんなことないと、私は勝手に思い込んでいますが…