ウチナンチュの死生観と厨子甕墓 | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

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石垣島伊原間のサビチ洞です。

職場の同僚が洞窟を通り東シナ海へ抜ける光景を見たいとせがむので、行ってみました。
ここで(唯一)私の記憶にインプットされたのは、「厨子甕墓」でした。
一つや二つではありません。数十、いや、3桁の数と思える甕が、洞の奥まった所に安置されているのです。
その中では「階級」もあるようで、最奥の上段に鎮座しているのが、何トカと云う偉いカタの甕墓でした(よく知りません)。

本島の「玉泉洞」でも同様に厨子甕が多数安置されているようですが、沖縄の風習として、身近な「暗闇」(洞窟、穴、杜など)に対して、独特の意識を抱いているように思えます。
「亀甲墓」は母胎を象徴するものですし、各地の「拝所」は巨岩や奇岩、大樹の洞等にあり、生活行事の中心(拠り所)として大切にされています。
 
「観光地」に「墓」となれば、薄気味悪さを感じる余所者ですが、地元の人々にとっては、先祖の霊は身近な存在です。
霊魂は、死後33年間は、「ニライカナイ」の地にあってグソー(後生)を「生きる」のだそうです。
その間は、いつでも現世を行き来できる存在であり、亀甲墓の前で一族が宴会を張るのも、トートーメを大切にするのも、人々がその死後の霊を身近に感じている証左なのでしょう。

翻って「洞窟内の厨子甕」だけは、生活との密接さが希薄で、観光客の無思慮な目に晒されていることをどう解釈すべきなのでしょうか?
沖縄には戦時中の悲惨さを物語る多数の「ガマ」があります。
そこにも多数の「厨子甕」が安置されていた筈です。
残念ながら、ここでも戦後学習のため公開されている箇所があります。
観光地であろうが戦後学習であろうが、晒し物になっているのは事実。


「亀甲墓」や「拝所」と違って、何故か「洞」だけが「霊」にとって安息の地でなくなっているような気がするのです。
そんな思いがして、無垢な冒瀆者の一人であろう私としても、不安な気分に陥ってしまうのです。