石敢當と「道祖神」 | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

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(「シーサーと鬼瓦」から続く…)

前回は、「除災招福」の祈りが、本土の場合「財形」という欲望へ転化したという話でしたが…
今回の話は、街角や路地の「辻」に対する信仰形態についての一考察を…。


本土では、旧街道を歩いていると必ず目にする「道祖神」と云う石塔や祠~
画像のようなタイプは「賽の神」と呼ばれています。
街の辻には悪気が溜まるとされ、道往く人に災いが及ばぬよう守護するものです。
「お地蔵様」と同じ信仰の流れを汲む慣習のようです。
他にも「庚申塔」や「馬頭観音」等々、種類は多彩であり、この信仰が広く長く民間に浸透していることの現れでもあります。

一方、沖縄の有名な「石敢當」~
街辻、特に三叉路とかの街角には悪気が溜まるとされ、辻角の塀や家の壁に「石敢當」と彫り込まれた「石の札」を埋め込みます。
これは街中を歩けば嫌でも目に入り、これまた民間信仰の深さが伺えます。
古代中国に発生した「悪気を防ぎ、水を得ることの出来る地を選定する」技術として発達した「風水思想」は、沖縄の人々の生活に深く馴染んでいます。
人々は「気」や「地」の流れに対し敏感であり、発生する事象に対しては畏敬し寛大に対応してきました。


(以下、次号に続く…)



(既出)

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