シーサーと「鬼瓦」 | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

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人は何かに縋って生きています。
どんなに立派な人でも、強い人でも、暗闇は怖いし、孤独は辛いものです。
「靴の紐が切れた」とか「愛用の箸が折れた」とかの仔細なことで、その日一日が不安なものになってしまったりします。この科学万能の時代であってもです。

ましてや、平安京の時代では、陰陽道の思想が支配者層に浸透しており、運気の盛衰を、流れ星や日食・月食等の天体の異常に求めたり、庚申信仰に見られるような暦占いに求めたりすることは常識でした。
そしてこの思想は、民間にも浸透し、明治時代まで連綿と受け継がれています。

人々は、自分の悪行を「三戸の虫」が「天帝」に夜中に報告するのを恐れ、60日に一度巡ってくる「庚申」の日の夜を徹夜して騒いだり、「庚申塔」を建立したりしました。
道端の辻々には悪気が溜まるとされ、道往く人々を護るための「道祖神」を建立したり、辻角に「札」を埋め込んだりしました。
古い町並みを歩くと、今でもそれらは観察できます。

中でも人々の生活に深く浸透しているのが「鬼瓦」の風習です。
屋根の軒端に鎮座して、その家の「除災招福」を祈っています。
何故「鬼」なのか?
これは、過去の悪行を悔い改め仏法を守護することになる「鬼子母神」「荼吉尼天」とかの「善鬼神」や、憤怒の形相の「不動明王」「青面金剛」等が敬われているのと同根と思われます。
この「鬼瓦」は、ノーマルな「鬼面」もの、「狛犬」や「獅子」の「獣身」もの、「家紋」もの、「鯱」ものと、実にバラエティに富んでいます。
大体、神社仏閣の鬼瓦は厳粛です。
「降魔」の意思表示がストレートに具現されています。

ところで、現在の本土の一般民家に見られる鬼瓦には、「大黒様」とか「打出の小槌」とかが登場します。
時代が下り、人々の生活も安定し、人心も落ち着いたからでしょうか、祈りの目的は「降魔」から「財形」へと移ろっています。
「自然や事象に対する畏敬の念」は、ちゃっかり「我が幸福」へと変化しています!

一方で、沖縄の「シーサー」は、現在でもその姿は不変です。
安定した経済社会の中にあっても、人々の心理の深層には「自然や事象に対する畏敬の念」が変わらず存在しているようです。

本土の「鬼瓦」は既に「財形」に傾斜しているのに対して、沖縄の「シーサー」はあくまでもベーシックであり、実に純朴です。


ところで、この沖縄の「シーサー」。
本土のものと同じ「悪気封じ」の「鬼瓦」の一種なのですが、本土のそれは棟端に鎮座しているのに対し、屋根のスカート部の中央に鎮座しているというのは、何の違いから来るのでしょうか?

沖縄は「風水思想」が浸透した世界です。
悪風は正面から直進して来るから、玄関を中心からずらしたり、「ヒンプン」を正面に据える、というのは理解できます。
ならば何故、本土のは棟端なのでしょうか?



(既出)

HP「沖縄の話をしよう!」へ (http://2nd.geocities.jp/lmeg_mamo0821/