「ないちゃー」という言葉には、沖縄の人々にとっては複雑な感情が大なり小なり入っているようです。
そこには、歴史的国家観がどうしても介入してくるようです。
我が国の地域的な迫害の歴史は「沖縄」だけではありません。
大化改新時代は関東の無法地帯を蝦夷と呼び異端視し、平安時代の征夷大将軍は東北の蝦夷を制圧するのにエネルギーを費やしました。
そもそも「蝦夷」とは、「未開人」という侮蔑的な意味があります。
歴史的に見れば、東北は東京に近かった分、戦後昭和の「集団就職」や「出稼ぎ」のように、経済的な問題から「人身売買」とも揶揄される人口流出現象が起き、早くに中央に同化していきました。
一方、沖縄は、地理的原因から本土との同化現象は限定的なものでした。
翻って、沖縄が沖縄だったからこそ地域的アイデンティティ(地域性)が失われず残った、と言えるのではないでしょうか?
歴史的に国家によってこれほど翻弄された地域は我が国では類を見ませんが(世界では現在もあちこちでありますね!)、地域性を失わずにいることを誇るべきです。
地域の歴史を自虐的に評価しても何も産まれません。
被害者意識からは建設的な未来を創り出すことは至難なことです。
事実は事実として、前向きにポジティブに捉えて欲しいと思います。
勿論、沖縄の人々の中にはそうした感情があることを、私達は分かった(I seeであって I understandではありません)上での言動を心掛ける必要があるのは当然です。
以上、沖縄の気候、風土、人々、衣、食、住に魅了され続けているからこその一考察でした。
気に食わなければ一笑に付して下さい。
(既出)
HP「沖縄の話をしよう!」へ(http://2nd.geocities.jp/lmeg_mamo0821/)