いつも思うのですが、情況も知らない物見遊山の観光客が気安く行く所じゃない気がするのです。
私は広島で10年間生活しましたが、原爆被害を象徴する「広島平和公園」は、見事に整備され観光地化されており、戦争の悲惨さを感じさせる所は全くありません(平和記念館は当然除いて)。
ここの上空で原子力爆弾が炸裂し、日常生活を送っていた何十万もの人々の命が瞬く間に奪われたとは微塵も感じさせません。
翻って、沖縄南部では、1年にも渡る激しい戦闘が繰り広げられ、戦い、逃散していた人々が隠れ住んだガマが今も残っています。
今でも放置された人骨が発掘されるようです。
生き残った人々の凄惨な生活は広島でも沖縄でも同様でしょうが、その生々しさは、写真で見るようなレベルを遥かに超えたものが、この南部には今も残っている…
そう思っていました。止む無く訪れることになった6年前までは…。
「ひめゆりの塔」は見事に観光地化されていました。
丁度修学旅行の生徒達の大群が押し寄せていて、歩行すら支障を来す有様で、土産物屋が入り口の正面・左右に陣取り、「ここは何処の観光地か?」と見違えそうです。
塔と洞を保存している公園の狭さに反比例して広過ぎる駐車場と観光客の多さに辟易して、それ以上奥へ進む気力を喪失してしまいました。
その奥には記念館があって、地元のご老人達による丁寧なガイドを受けられたようですが。
「摩文仁の丘」では、前日に開催された「慰霊の日」記念式典の名残を目の当たりにしました。
大勢の遺族が訪れたらしい前日の影響なのか、その日半日だけでこうなってしまうのか、ゴミが溢れ散乱し、犠牲者の名前を刻印した碑の周囲には、供え物が無秩序に放置されていました。
そのうち、「ひめゆりの塔」で「ご一緒した」大群がやって来たのに恐怖し、「健児の塔」のある丘へ逃げ上がりました。
俗界への嫌悪感は、そこから見渡せる絶景の海岸線と公園の全景の美しさで、すっかり霧散してしまいました。
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群立する戦没者刻銘碑の陰に隠れるように、ポツリと遺族の老婦人が痛む足をさすりながらお参りしていました。
溢れかえる夏の太陽光線と散乱するゴミの中で、そこだけが、悲惨な時代を経験した沖縄の、忘れてはならない現実のようでした。
(既出)
HP「沖縄の話をしよう!」へ(http://2nd.geocities.jp/lmeg_mamo0821/)