所は那覇市上間交差点から識名園へ上る途中だったように記憶しています。
この周辺の家々の基礎角に埋め込まれているのが、画像の「お札」です。
画像のお札には、「北方多聞天王」と書き込まれています。
他にもごちゃごちゃと経文を書き込んだものとかがありますが、「石敢當」と違うのが、家の壁に直接貼り付けられたりしていることです。
「石敢當」を真似てこれを作ったのか、これが「石敢當」の原型なのか、全く無関係なのか…
よく分かりませんが~
「北方多聞天王」は日本へ渡来すると「毘沙門天」になり、即ち「財産」を象徴する守護神のことです。
この「欲深さ」からすると~
どうも後世の本土文化の影響を色濃く受けているような気がしています。
(既出)
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