そもそも尾身クロンだかになってからの諸症状が咳が出るだの鼻水がでるなどで殆ど収束しているのだから、2類に固執する意味そのものがワケワカメ。
結局は医者が金儲け出来ねーから反対してるだけ。
利権に塗れた医療業界の闇が今回の新コロ騒ぎでよーく分かったもんね。
そもそも尾身クロンだかになってからの諸症状が咳が出るだの鼻水がでるなどで殆ど収束しているのだから、2類に固執する意味そのものがワケワカメ。
結局は医者が金儲け出来ねーから反対してるだけ。
利権に塗れた医療業界の闇が今回の新コロ騒ぎでよーく分かったもんね。
霊体験と言うのは無い。
何故ならそれが『霊体験でした』と言える根拠が無いから。
その代わり、不思議な体験は数度有った。
バイクツーリングで訪れたゴールデンウィークのハチ北キャンプ場。
残雪ががまだまだ有ったまだ開業前のキャンプ場に誰もいなかったのでテントだけ張らせてもらった。
その晩、テントの中に突如入り込んで来た狸の様な獣が物凄く鋭い爪で寝袋にくるまって寝ていた俺の腹をカッ捌こうと掻きむしって来たのを見て驚き、声を上げて抵抗しようとしたが、声が出ず体も動かずただ掻きむしられるのを目を見開いているだけだった。
それで、何秒かうめき声らしき物が出たかと思ったら、バチッと目が覚めたらしく体が動き声が出た。
全身から滝汗。
勿論テントは破られておらず、シュラフも何とも無い。
テントから外に出て周りを見るもあたりは漆黒の闇と言うか残雪のせいで薄明るい。
おりしも春の嵐が来てて大風が吹きゴーゴーと山鳴りもする。
今から四半世紀前の話。今こんな天気でこんな状況ならば絶対にキャンプなんてしない。
ライダーとして有るまじき事。
北海道には郊外に出れば見渡す限りの畑や牧草地が広がる。
内地住みの人間から見たらまさに日本離れした風景に圧倒され感動する物だ。
しかし、やって良い事と行けない事は厳然として有るのも忘れては行けない。
それはこの画像に全てがある。
牧草地によく見られる牧草ロールであるが、あろう事かこれにまたがってはしゃいでいる写真がfacebookの北海道ツーリング関連のグループに掲載されたのである(現在は削除)
牧草地や畑は私有地である。
許可なく立ち入る事は厳しく禁止されている。
特にこうした牧草ロールは家畜の貴重な食糧であり、他人が勝手に触れては行けないのは常識以前の常識である。
それを、知ってか知らずか北海道ツーリングをしたと言うハーレーに乗っているライダー(やはりか)が仲間を焚き付け土足でよじ登らせ、記念撮影したと言うのだから呆れるとしか言いようが無い。
こうする事によって、そのブーツや衣服に着いた病原体がロールに付着し、家畜がそれを食べたらどうなるか。
彼らはそう言う所まで思いを巡らせる事が出来なかったのだろう。
そして、その投稿者のプロフィールを見たら更に呆れた事に、東京都自転車商国民健康保険組合理事とか日本二輪車文化協会理事とか、ハーレー販売店の社長とか大層ご立派な肩書きを持っておられる。
そんな社会的地位の決して低くない人間が、バカでも分かる様な事もまともに守れないとか一体この世はどうなっているのかと嘆かわしい思いになる。
この写真は顔出しとなって言う上に、公開設定のグループに掲載されていていつでも誰でも見ることが出来二次使用の制限は無い。なので無加工のまま掲載させてもらう。
同じバイク乗りとして非常に恥ずかしく情け無い光景である。
こう言う人間は二度と北海道へは足を踏み入れて欲しくないと強く思った次第。
詰んだね。
日本第一党、さっさと解党したら?www
献金泥棒、高田誠。
変態ブタホモ、高田誠。
中核派の若い男性ラブのキモい高田誠。
在特会時代から支援してきて最後にこれか、一体いくらおめえの団体に寄付したと思ってんだよ、少額訴訟でもやったろうかな、マジで。
とりあえず、おにぎりさんが先鋒で高田誠にゼロ距離射撃やりそうなので、その支援してあげようかなwww
facebookやインスタ、Yahoo!ニュースなどにログインして情報収集しているのが専らなので、最近はAmeba blogに来る事は殆ど無いが、たまに知らないアカウントからのフォローが追加されている事があるのでその確認を兼ねてこちらにも来るようにしてる。
因みに、フォローして貰えるのは有り難いが、そのアカウントが全くブログをアップしていない場合はこちらを監視する為のアカウントでは無いのかと言う疑いも払拭出来ないのでこちらからフォロー解除させてもらっている事を了承して頂きたいと思う。
また、暇になったら過去の廃墟探索データをこちらにアップしていくつもり。
取材日時 2008年 9月12日
コメント・かの有名な「軍艦島」と「池島」と「崎戸炭鉱住宅(RIP)」を抱える日本でも最も重要な廃墟を抱える自治体として名を馳せる(?)長崎県。
じつは絶対に突入できない廃墟として地元探索家だけでなく、全国の廃墟探索家の羨望の的であった廃墟がもう一つある。
それが旧長崎刑務所だった。何故に絶対中に入れない廃墟だったかというとここの物件が現役当時はなんだったのかを考えれば簡単に答えが出るはずだ。
刑務所は簡単に脱走出来ないように出来ている訳だから、その逆も不可能なわけだ。
しかし、俺が取り壊し後の現地に赴いて思った事は「塀さえ乗り越える手立てさえあれば、なんとかなったかも」という印象だった。
つまりは、周囲を民家に囲まれているものの、時間帯さえ考えて正門の凹凸を利用してよじ登れば、意外と簡単に敷地内に入れたはずだった。
一旦中に入ってしまえば、いくら刑務所とは言ってもすでに無人の放棄された廃墟である、大きな音や光を出さなければむしろ中途半端なセキュリティーに守られた廃墟よりはずっと安全に探索する事が出来たと思う。
しかし、残念なのは去年の夏に解体されてしまったという事だ。正直言うとこの長期遠征に出かける寸前に、ネットで軍艦島と長崎県に関する情報を集めていた時にたまたま見つけたのがこの旧長崎刑務所だったのだ。
ということは、俺が遠征に出かける時には既に刑務所としての原形は無くなっており、今から急いで現地に飛んでいったとしても、当時の姿を偲ぶ事は叶わない事は分かっていた。
それでも、先日の崎戸での脱力その更に前の志免での硬直するような風景で若干のトラウマになっていただけに、今回の現地訪問は既に抵抗力が出来上がっていたのでそれほどのショックは受けなかったが、やはり「逃がした魚は大きかった・・・・・」そんな気持ちを抱きながらの写真撮影となった。
とりあえず、廃墟物件番号を割り当てたのは崎戸ほど絶望的な更地になっていたわけでもなかったので、とりあえず残された正門と正面の尖塔のみを残してくれた事に対する敬意を表したかったのが理由だ。
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