初夏の東京下町散歩②~鳥越神社から秋葉原 | 病気だけど元気です(・ω・)ノ

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気管支喘息、慢性膵炎、白内障と共存中。

鳥越神社神社に着きました。
神田明神の氏子だったことは以前書きましたが、住んでいた家からは鳥越神社の方が近かったのです。
しっかし、記憶にあるのとだいぶ違ってるあせる
お祭りのときとかに来た記憶なのかなあえー?
 

 
鳥居の手前にすでに橋がポーン
 
 
橋の名前は「白鳥橋」。
ご祭神は日本武尊。
最後は白い大きな鳥になって飛んで行ったと言われる日本武尊・・・
 
そして源義家の奥州征伐の際に白い鳥に浅瀬を教えられ大川(隅田川)を越えることが出来たことから「鳥越大明神」の称号を賜ったそうです。
 
かつては広大な社地を誇り、熱田明神・第六天神(先に訪問した第六天榊神社の前身)が鎮座していて鳥越三所明神と称していましたが、江戸時代に入り再開発により遷座を余儀なくされました。
 
そして参道は左に大きく曲がっています。
橋、そして曲がり参道。
「古事記異聞」の洗脳がまだ続いているなあ汗
 
 
手水舎には鳥が。鳳凰なのかなあ?
今週末が例大祭で都内最大級と言われる千貫神輿が出るらしいんだけど、予定が合わないので見られなさそうショック
 
 
そしてこの狛犬。
 
 
わかりやすくオスですポーン
ちなみに左右ともオスです。
珍しいけど何か意味があるのかな?滝汗
 
 
↑こちらが本殿。
 
 
社殿左手にある志志岐神社。
 
 
境内に咲いていました。
Googleによるとアザレアらしいです。
 
 
境内末社の福寿社。
 
 
鳥越神社を出て歩いているとアジサイが見事に咲いていました。
ここからは久しぶりに自分が生まれた町を見に行きます。
 
 
母と佐竹商店街で待ち合せました。
私が神田佐久間町に住んでいたのは5歳ころまで。
まだ一人っ子だった私を連れてこの商店街まで買い物に来ていたそうですが、1キロくらいあるのによく幼子を連れて来てたなあびっくり
 
 
お店もいろいろ変わってしまったり、週末の午前中で閉まっているお店も多くてあまり懐かしい!という感じではなかったけど、唯一この文房具屋さんはもしかしたら小学生の頃来たかも!という記憶が。
引っ越した後も小学校はこの近くに通っていました。
 
 
知らなかったのですが、秋田藩佐竹家上屋敷跡に出来たのがこの商店街なんだってびっくり
神田明神の木遣りのCMといい、妙に龍角散が地元に絡んでくるなああせる
 
 
 
母とゆっくり20分ほど歩いて秋葉原駅近くにある「つなぎ庵」さんにお昼を食べに来ました照れ
 
 
こちらでは「幻のそば」と言われる富倉そばがいただけるということで早速注文してみました。
 
 
こちらが富倉そば。
写真だとわかりにくいですが、普通のそば(九割)に比べて山ごぼうが入っているため色が少し黒いです。
そしてコシがめっちゃめちゃ強い!!
しっかり出汁の効いたそばつゆがピッタリでおいしくいただきましたニヤリ
 
ここから私の通っていた小学校はすぐ近く。
ですが、かなり以前に合併されて今は違う名前になって校舎も残っていません。
 
 
区の施設も一緒になっているようで、半地下のプールがあり校舎はスロープを上がっていかないと見ることも出来ません。
お休みだし中には入りませんでした。
ちなみにこのすぐ横にある病院が私が生まれたところ。
その隣によく通っていた銭湯があったとか。
 
でも学校指定だった文房具屋さんも、友達の家もみんなもう違う建物になってしまいました。
 
 
そして子供の頃よく遊んだ佐久間公園。
当時からこの草分稲荷神社はありましたが遊具があったりで奥の方にあって、あまりお参りとかした記憶はありません。
 
 
昔はこの辺に大きな滑り台があって父と一緒に撮った写真にも残っています。
今は遊具もあまりなくてだだっ広い公園という印象でした。
後ろにはJR総武線が通っています。
 
 
そして・・・そしてこの花はっ!?
お前もキンシバイか~えーん
 
この後昔住んでいたアパートがあったあたりに行きましたがもちろん残っているわけもなく、フツーのビルになっていました。
角にあったデミグラスソースのハンバーグがおいしかった洋食屋さんは行列のできるラーメン屋さんになっていて、母と2人でビックリしましたポーン
 
母と途中で別れてこの後しまね館にしまねっこを見に行ったのですが、本日の歩いた距離11キロと出てました走る人走る人走る人走る人走る人
いや、さすがにそんなに歩いていないと思うけど滝汗
・・・ウォーキングはやせるからダメだって言われてたよね?