ブームの頃など(長野編) | 行け! 武蔵小山撞球隊

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長年性懲りもなくビリヤードをつづけてきたおじさんが、
なんだかんだといい加減なことを綴ります。

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ビリヤード大ブーム時代の話をいくつか紹介してきましたが、今回は「長野編」。
そして悲しい恋の物語でもあります。
なお本文中に賭け球の話が出てきますが、賭け球嫌いな方はご容赦を。


そのころ長野県の小さな町に友人が住んでいて、遊びに来い遊びに来いと熱烈に誘ってくるのでドライブがてらに向かったわけです。
食事を済ませ一杯飲んでいるとき友人が言いました。

「そうそう。この町にもビリヤードができたんだけどけっこう流行っているぞ。ちょっと行ってみようか。」

私たちは飲み屋のねーちゃんも連れて、その店に向かったのです。


さて店に入ると大層繁盛している。
友人はひとりのおっさんを紹介してくれました。
「ちょっとやりましょうか。」
エイトボールで対戦することになったのですが、おっさんは賭けを申し込んできたのです。

「いくらか握りませんか?」

「ああ、いいですよ。いくらにします?」

「じゃあ・・・1ゲーム5000円でどうですか?」

「わかりました。で、セット数はどうします?」

「えっ? セット数? だから・・・1ゲーム5000円で・・・」

なんとなんと、おっさんは1先5000円の勝負を挑んできていたのです。叫び
わたしゃビビりましたよ。
初対面の上に私はけっこう酔っ払っている。
しかも相手は高級なキューを持っているのに、こちらはシバキュー。

「これは隠れた名人かも知れん。まいったな。」

でも、飲み屋のねーちゃんを連れてきているので逃げるわけにもいきません。カッコ悪いですからね。


対戦が始まりました。
そして、このおっさんが名人ではなく「ただのおっさん」だということもすぐにわかったのです。


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細かい配置は忘れましたが、肝心なところはおぼえています。
上図のような球をちょこっと引いたのです。

その時でした。






「おおおー!」


おっさんは大声で叫ぶと、私のほうに駆け寄ってきたのです。

「い、今、この球バックしてきましたよねっ!」

「はあ・・・ちょっと引いたんですけど・・・」



「すっげー! こんなの初めて見た! すっげー!」


おっさんは「引き球」を知らなかったのです。
この日は数ゲームお願いしたのですが、店のお客さんは私たちの台を囲んで大喜び。
私はスター気分を満喫したのです。


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↑↑↑こんな感じ合格
飲み屋のねーちゃんの瞳はうっとりと潤んでおりました。$行け! 武蔵小山撞球隊



さて翌日。
友人のところにおっさんから連絡が入ったのです。

「夕方6時にビリヤードに来てほしい。昨日の人ともう1回勝負したい。」

私はピンときました。

「ははあ~、どこかから助っ人を呼んできたな。」

前の日に勝っているので、これまた逃げるわけにはいきません。
ところが、約束通り店に行くと様子がちがっていたのです。

「仲間を集めました。すみませんがみんなの相手をしてやってもらえませんか?」

私も大したことはありませんが、いくらなんでも引き球を初めて見た人には負けません。
5000円は丁重にお断りしたのですよ。タダでいいです、と。
でも「タダで教えてもらうようなケチな真似はできん。」などと激しく拒否されて、結局前日と同じ1先5000円が始まったのです。


私はすっかりリッチになりました。
それはいいのですが、なんだか詐欺行為を働いたようでどうにも気分がよろしくない。
なにかお礼をしなければならんと考えた末に、妙案が浮かんだのです。



「みんなでスキーに行きましょう、スキー。私の奢りで。」クラッカー


翌日だったか翌々日だったか、車2台で蓼科スキー場に向かったのです。
私の横には飲み屋のねーちゃんが座ったのですよ$行け! 武蔵小山撞球隊

『BOSS回顧談』
私ね。
30数年ビリヤードでモテたことがない、と言っておりますが、この時ばかりはロマンスの予感がありましたよ。いや、本当に。


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さてスキーですが、私はさっぱりです。
左足がダメなので右に曲がることができないわけで、お話になりません。

そのくせスピード狂なので2回に1回の割でケガをしている。
どういうわけかいつもどこかに激突するのですが、この蓼科でもやっちまったのです。
私はリフトの鉄塔にぶつかった気がするのですが、それは別のスキー場だったようでもあり、はなはだはっきりしません。
ただ覚えているのは、一瞬気を失った後に目をさました時、右肩が泣きそうなくらい痛かったことと右足が動かなかったことくらいです。
「右肩打撲」と「右足ネンザ」でした。

右足が使えないことには車の運転はできませんので数日友人宅で厄介になったのですが、長引きそうなので大阪に連絡して迎えにきてもらい、這々の体で長野県を去ったのです。


えっ?
ロマンスのその後ですか?


私が右肩の痛みに耐えているころ、彼女は普通では考えられないような場所に突っ込んで足を骨折していたそうです。
「どうやってあんな所に突っ込んだのかわからん。」
そんな話でしたので、たぶん無鉄砲な性格だったのだと思います。



こうして記念すべきビリヤードでの初ロマンスは、片やネンザ、片や骨折という壮絶な終焉を迎えたのでした。$行け! 武蔵小山撞球隊


私はそれ以来スキーに行っておりません。