どうも、やさぐれアラフォーのBOSSです。



ALSの女性に依頼されて?
医師二人がお薬を投与して
安楽死(殺害)させた、と
ニュースで繰り返しやってます。。。

日本の法律で安楽死は禁止されてます。
つまり 完全に殺害です。

亡くなられた本人が
どれだけ "それ" を望んでも
実行したら それは殺人です。
※過去には積極的安楽死が認められた判例もあるようですが。




2016年10月よりも以前の事であれば
私は全然違う感情で
ニュースを見ていたかもしれません。

どのような感情でニュースを聞いていたか。








少なくとも 今の私は
ALSだった女性の気持ちも
わからなくもありません。

良いか悪いか、善か悪か、
そこは ひとまず置いておきましょう。






2016年の10月に
父はガンで、母はALS
お空へ解き放たれました。


ALSを目の前で見ていたんです。


母は それまで健康そのもので
とにかく元気で明るくてポジティブでした。

母が寝込んでいる姿なんて
見たことがありませんでした。

とにかくアクティブな人でした。

いつも笑っている人でした。

そんな母が
ALSになり
人工呼吸器も
装着しない(したくない)と決意し
わずか3ヶ月で お空組になってしまいました。

父がお空の様子を見に行く為か
10/6に 先に出発してしまいました。

父が "ここは安全だ" と確認できたのか
母を迎えに来たのが 10/25の事。

その19日間が
母にとっては
一番辛く苦しく怖い時間だったのでしょう。

肺の筋肉が痩せてしまい
肺呼吸は出来ません。

鼻で薄く細く呼吸をするのみ。

人工呼吸器を装着しない、
それはイコール
"息苦しさ" からは 逃れられないと言うこと。

例えば風邪だとしても
例えばアレルギーだとしても
鼻が詰まると それは 即 窒息を意味します。

風邪をひかなくとも
アレルギーが出なくとも
最終的には
鼻ですら 呼吸が出来なくなり
窒息する可能性が高いと説明も受けており
母もわかっていたはず。

それでも やはり
頭で理解するのと
実際 体感するのとでは
全く違っていたのでしょう。

苦しくて苦しくて
眠れないのです。

寝たい。寝させて。
母から何度も伝えられました。

母は 話せなくなっていましたが
筆談は可能だったんです。

私は不眠症をこじらせた経験があるので
眠れない辛さは わからなくもないんです。

精神的な辛さも蓄積される一方。

かと言って
ALSの母に 睡眠導入剤は使えません。

眠りたいだけなのに
それすら叶えてあげられないのです。

身体をさすろうとしても
その手のひらの重みですら負担になるのです。

そのうち 母は 
寝たい、寝させて、
から
しにたい、しなせて、
と伝えてくるようになりました。

ころして と言う言い方は
1度もしませんでした。

母は 医者にも
なんとか安楽死とかさせてもらえないのか
と、私のいないところで
相談もしていたと。







また 
ALSの残酷なところは
意識レベルは 鮮明そのものなのです。

意識や感情は 満タンなのに
身体が動かないのです。

どれだけ力を入れても 入らないのです。

この事は 初めて書くような気がしますが
ある日
病院のヘルパーさんが
母の身体を拭きに来てくれたんです。

その頃には 下着に貼り付けるタイプの
尿とりパッドをつけるようになっていました。

お尻が かぶれてしまわないように
携帯式のポンプの様なものを使って
水で洗い流して 清潔に拭いてくださるんです。

すると
刺激があったからか 尿が出てしまったんです。

筋力を失った状態で
尿を我慢する、止めるなんて事は
不可能なわけです。

その時の 母の顔は
ほんっとうに うんざりと言うか
情けなさと恥ずかしさと やるせなさと
とにかく もぉ嫌だと 悔しさに満ちてました。




プライドも尊厳も失うんです。




完治はおろか
ほんの少しの改善すら見られない状態で
なぜ 生きているのか、
なぜ 生きなきゃならないのか、
生きる理由も 生きる希望も
何も見出だせないのです。






テレビで
『ALSは 全身の筋力を失う一方で
  目の動きを使って 意思表示は出来る』
と言っているアナウンサーキャスターを
見かけますが

TLSと言って
まぶたすら動かせない症状が出る人も
いらっしゃることは ご存知ないのでしょうね。



完全に閉じ込められる状態になるのです。

意識は はっきりしているのに、です。


眼球も動かせなくなるのです。
まぶたを自分で 
開けたり閉じたりできないのです。

どんなに恐ろしい事か
想像できますか。。。。。







しにたい、しなせて、
それは "助けて" なのです。

難しいですよね、本当に。


正解、不正解じゃないんです。






少なくとも
私は 最愛の母が
最期の呼吸を終えた時
ホッとしました。

何故って?

それは 母が
苦しみや恐怖から 解放されたからです。

私は 母に生きていてほしかった。

生きてほしかったと
心の奥底から思います。

それでも 母の "望み" が 叶ったんです。


あんなに辛い苦しみの中にいた母に
"頑張れ" だなんて 言えません。
言えるはずがありません。


母の呼吸が止まりそうになった時
私は
"もぉ良いよ、頑張らんで良いねんで"
と母に言っていました。

母が最期の呼吸を終えた時
私は
"良かったね" と言いました。



父の最期
私は 泣き叫んでました。

"待って!!いかんといて!!待ってー!!" と。

そんな私が
母の事を看取れるのか
その瞬間に対して 不安しかありませんでした。

自分が壊れてしまうのではないかと
本気で思っていたのです。

しかし私は 冷静でした。

父の時は 泣きすぎて
メイクは すっかり落ち、
とんでもない顔になっていたのに
母の時は
ツーッと涙が一筋流れただけでした。


自分でも不思議でした。

もちろん 哀しくて寂しくて
やるせなくて 悔しくて
喪失感は 半端ない程でしたが
それでも
安堵したんですよね。。。


母が自由になった事に。


これでまたいっぱい喋れるな、
これでまたいっぱい動けるな、
これでまたいっぱい笑えるな。
好きなもの食べて たらふく飲みや。

眠りについた母に話しかけたことです。







もし 日本で安楽死が許されていたとしたら
私は どうしていたでしょうか。

私は、、と言うより
母は、、、母は きっと
それを望んだでしょうね。

母は 依頼したでしょうね。

意識も思考能力も しっかりしてるのですから。
意志が しっかりあるのですから。

そしてその時 承諾書が必要だったとしたら
その承諾書は 母のサインか
家族のサインか どっちが必要なのかで
"道"は かわっていたのだろうと思います。

母の苦しみ、切なる願いを
どれだけ知っていても
娘としては
母親には そこに居て欲しいものなのですから。

生きてほしい。
でも
生き延びさせることは
苦しみを延ばすに過ぎないのも事実。


娘として サインは出来ない、
したくない、と思ったでしょう。
しかし 一方で。。。と
母を想い どん底まで悩んだ事でしょう。


生きて欲しいと思うのも愛。
解放してあげたいと思うのも愛。
しかし
どちらも エゴなのでしょう。




なにより
母が "生きたい"と 望んでいなかったのですから。





それでも やっぱり
"誰かの手" によって 命を終えられるのは
家族としては やりきれないのも事実です。

自分自身も、そしてその"誰かの手"も
許す事は出来ないでしょう。


一方で 本人は "ありがとう"と思うのでしょう。
心からの感謝をするのでしょう。



なんて複雑なのかしら。。。。。








母が 懸命に "生きたい" と望んでいたら
私の気持ちや感情も 
また全く違ったものに
なっていたのでしょうね。




 




少なくとも 昨日今日初めて会った様な人の手で
眠りにつかされるのは どうあがいても
納得なんて できるはずがありません。
本人(母)が どれだけ それを望み、
どれだけ感謝したとしても 残された方からしてみれば
たまらないことでしかありません。。。





難しい問題です。


ALSの治療法、治療薬が
1日も早く発見、開発されますように、、、。









誤診と言う奇跡

 

 


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